写真週刊誌『FRIDAY』(二〇一九年六月二十一日号)が報じた記事、
「宮迫博之ほか吉本興業人気芸人が犯罪集団に『闇営業』」
を発端にした一連の騒動は、半グレという反社会的勢力と芸能人との関係性について、改めて世間に強い印象を残した。
「雨上がり決死隊」の宮迫博之(当時49)や、「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮(当時47)をはじめ、多数の人気芸人らが、二〇一四年十二月に、組織的詐欺グループの主犯格である大野春水の誕生会をかねた忘年会に出席し、会社を通さない“闇営業”を行い、多額の謝礼を受け取っていたわけだ。大野らは、振り込め詐欺によって全国の被害者から二十億円以上の金を詐取したとして詐欺容疑等で二〇一五年に逮捕されている。
この事実は世間に衝撃を与え、芸人らが所属する吉本興業をはじめ、出演させていた各テレビ局も番組差し替えなどの対応に追われた。
そもそもなぜ、芸人(芸能人)は半グレ(反社会的勢力)と接点を持ってしまったのだろうか?
闇営業問題では疑惑発覚後の二〇一九年七月に宮迫、田村が記者会見を行い、宮迫が百万円、田村が五十万円の謝礼を詐欺グループから受け取ったことを認めたが、芸人の後輩である「カラテカ」の入江慎也(当時42)に頼まれて参加した、と明かしていた。そして、二人に誕生会への出席を依頼した入江本人も、誕生会の主賓や参加者が「詐欺グループだとは知らなかった」と否定している。
だが、闇営業問題を報じた前述の『FRIDAY』誌上では、詐欺グループの元メンバーが「入江とグループの幹部とは以前から知り合いであり、(入江は)彼らが詐欺グループだとも知っていた」などと証言していることから、単なる偶発的な出来事とは考えにくい。
そして、騒動の最中の同年七月に放送された『NHKスペシャル』は、近年弱体化した暴力団に代わって台頭してきた半グレの実態を特集していた。一九九二年に施行された暴力団対策法や、二〇一一年に全国で施行された暴力団排除条例によって、暴力団は縮小を余儀なくされ、二〇一九年末時点での構成員数は、ピーク時の六分の一、約二万八千人に減少したとされている。
番組では大阪・ミナミを拠点にする半グレ集団のトップである元格闘家の拳月こと相良正幸(当時35)や、相良と行動をともにするテポドンこと籠池勇介(当時32)に密着し、夜のミナミでのシノギなど彼らの実態や、半グレが絡んだ特殊詐欺の実情を約一時間に亘って放映した。闇営業問題でクローズアップされた半グレについて、改めて世間の関心が高まっているのだろう。
筆者は二〇〇四年から二〇一九年までの十五年間、『週刊文春』の特派記者としておもに刑事、公安事件の取材・執筆を担当してきた。その間、事件に纏る暴力団関係者や大物ブローカー、事件屋など、様々なアンダーグラウンドの世界の住人らを取材してきた。
だが、二〇一〇年に半グレの代名詞とも言える「関東連合」の取材を経験したときの驚きは、いまだに忘れがたい。当時大相撲の横綱だった朝青龍が東京・西麻布で起こした暴行事件、いわゆる「朝青龍事件」で関東連合の存在がクローズアップされたのだが、グループの実態や人数、メンバー内のヒエラルキーなどが判然とせず、警察当局によって全体像や組織図がある程度把握されている既存の暴力団取材のような“取材勘”が全く通じないことを思い知ったのだ。
関東連合は東京の杉並区、世田谷区などの暴走族出身者の集合体だ。事務所を構え、定時連絡、上納金などを組員に要求する暴力団とは違い、暴走族時代からの序列や関係性を何よりも重視している集団である。彼らは個々に様々な職業を持ち、暴走族を退いてからも、目的によって協力し合いながらその団結力を維持してきた。
メンバーのなかには個人的に関東、関西の広域指定暴力団と密接な関係を持つ者や、現役の暴力団組員も存在するが、その特殊性から警察当局も各メンバーの出身母体である暴走族に起因する人間関係や職業など、彼らの全体像を把握するのは容易ではなかったようだ。
東京の比較的裕福な地域の出身者が多い関東連合は、暴走族時代からの暴力性に都会的なセンスをまぶし、“街のギャングスター”として渋谷、六本木、西麻布などの夜の街で徐々に“顔役”となっていく。そうした暴力団とは違った彼らの現代的なスタイルに、芸能人や起業家などが胸襟を開き、クラブなどの社交場で彼らと飲むことをステータスのようにしていた時期もあった。
本書の構成について簡単に説明しておきたい。
第一章では「朝青龍事件」を振り返りながら、城西地区の暴走族だった関東連合が、渋谷進出をきっかけに芸能界など華やかな人脈を築いた経緯を辿る。そこには、あるキーマンが存在しているのだが、その人物こそが朝青龍事件の当事者なのだ。そのキーマンがいなければ、現在の関東連合はなかっただろう。
第二章では、関東連合が六本木、西麻布の繁華街で“ギャングスター”として確固たる地位を築いた経緯を詳述する。彼らの背後には、新興起業家、芸能界の大物などの存在が見え隠れする。
朝青龍事件以前には、暴力団担当記者など一部マスコミ関係者以外には、それほど知られていなかった関東連合だが、二〇一〇年十一月に起きた「市川海老蔵事件」によって、その悪名は全国的に鳴り響いていくこととなる。
歌舞伎役者の市川海老蔵が西麻布の飲食店で、関東連合のメンバーに暴行を受けたこの事件は、新聞、テレビ、雑誌などのメディアが連日のように捜査本部の置かれていた目黒署に押しかけ、二カ月近くに亘り、報道し続けた。このときの筆者の取材経験をもとに、改めてこの事件がもつ意味を第三章で考えてみたい。
ジャーナリストの溝口敦氏は「半グレ」の名付け親として知られるが、市川海老蔵事件後の二〇一一年、著書『ヤクザ崩壊 侵食される六代目山口組』(講談社+α文庫)の中で、「半グレ」という言葉を作った経緯をこう説明している。
「堅気とヤクザとの中間的な存在であること、また『グレ』はぐれている、愚連隊のグレであり、黒でも白でもない中間的な灰色のグレーでもあり、グレーゾーンのグレーでもある」
こうした意味あいを「半グレ」という言葉に集約したのだという。
以降、既存の暴力団に属さず、あるいは特殊詐欺などの犯罪目的によっては暴力団と連携して離合集散を繰り返す反社会的勢力のことを半グレと呼ぶようになった。そして、半グレの呼称は世間で広く使われるようになり、冒頭に述べた吉本興業の闇営業問題時にも、連日のように「半グレ」という言葉がニュースを賑わせたことは記憶に新しい。
続いて、第四章では関東連合が事実上崩壊する原因となった事件について述べ、第五章ではいわゆる半グレではないが、芸能人やスポーツ選手のタニマチだった実業家のグレーな実態を明らかにする。そして第六章では関東連合をはじめ、半グレたちの最新事情を報告したい。ここでは宮迫博之と一緒に写真を撮った金塊強奪犯についても詳述する。
関東連合をはじめとした彼ら半グレは、いかにして夜の街に網を張り巡らせ、芸能界と接点を持つようになっていったのか。
そこには本来交わることのないはずの半グレと芸能人が、夜の街を中心とした特殊な“生息域”によってつながっていく様が垣間見える。
本書では関東連合を中心とした半グレと芸能界の絡んだ事件を振り返り、彼らの生態に焦点を当てつつ、芸能界との関係性について、筆者の私見と取材経験を交えながら可能な限り紐解いていく。
(「はじめに」より)
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