九十四万人の人口を擁する政令指定都市・北九州市。その中心に建つ小倉城の城内に八坂神社がある。当時の城主・細川忠興によって建てられた四百年の歴史を誇る同社には、毎年正月に市内最多の十万人近い参拝客が集まる。神社には複合商業施設「リバーウォーク北九州」が隣接し、その車寄せを抜ければ国道一九九号線にぶつかる参道となっている。
毎年、その国道沿いで高級車を降り、参拝客でごった返す参道を我が物顔で上がってくる異様な集団がいた。宮司から新年いの一番に祈祷を受けるのはこの集団と決まっていた。
野村悟会長(当時)をはじめとする暴力団「工藤會」の幹部一行である。
工藤會の対策本部がある福岡県警小倉北署は八坂神社の目と鼻の先にある。彼らが一般の参拝客を押しのけたり、脅したりでもすれば、迷惑行為として警告、場合によっては逮捕もできた。
だが、彼らはそんなことはしない。何も言わなくても、参拝客は黙って道を開けるからだ。私たち暴力犯担当は苦々しく思いながらも、その姿を監視することしかできなかった。
市民が恐れる工藤會。事実、当時の工藤會は意に沿わなければ、市民に対しても、卑劣で凶悪な暴力を繰り返し振るっていた。
みかじめ料を拒否した店は、駐車する客の車に塗料剥離剤がかけられ、客のいる店内に毒性の強い農薬を撒かれた。幹部のプレーを拒否したゴルフ場の支配人は胸を刺された末に死亡した。入店を断ったスナックのママは刃物で顔に傷を刻まれた。
私にとって、工藤會の壊滅を本気で志すきっかけとなった事件がある。
平成十五年八月に北九州市小倉北区の繁華街にある「倶楽部ぼおるど」で発生したクラブ襲撃事件だ。実行犯の工藤會系組員が投げ込んだ手榴弾によって、店で働いていた女性たち十二名が重軽傷を負った。
ぼおるどは大手企業がよく利用する格式あるクラブで、当時としては珍しく暴力団員の出入りを禁止していた。このため、前年の四月には工藤會系組幹部らが営業中の同店に糞尿をばらまくという威力業務妨害事件を起こし、クラブ襲撃事件の三か月前には、ぼおるどの店長が深夜帰宅中に立ち寄ったコンビニ店の駐車場で、男から刃物で斬りつけられる殺人未遂事件も発生し、工藤會、または他の暴力団関係の両面で捜査を進めているところだった。
私は店に到着して現場を検分した。手榴弾の爆風によって、ソファがひっくり返り、トイレの小便器が粉々になり、壁紙で塞がれていた窓はガラスが外に砕け散っていた。その威力のすさまじさには驚いたが、後日、手榴弾は不完全爆発だったことがわかった。完全爆発だったら、確実に死者が出ていただろう。工藤會を壊滅しなければ、再びこのような事件が起きる──。私は工藤會壊滅に本気で取り組むことを決意した。
このような一般人までも標的とする容赦のない暴力を背景に、工藤會は北九州の利権をわがものとしていった。
建設業界に睨みを利かせ、大型工事の受注額の一~五%が入る仕組みを作り上げていた。関係を断とうとしたゼネコンの事務所には銃弾が撃ち込まれ、建設会社の経営者は射殺された。
そうして北九州は「暴力の街」「修羅の国」と呼ばれ、繁華街を工藤會組員が大手を振って歩いていた。まさにやりたい放題だった。
今、その工藤會の屋台骨が大きくぐらついている。
それは平成二十六年からの福岡県警による相次ぐトップ検挙、いわゆる頂上作戦によるものだ。野村悟総裁、田上不美夫会長、菊地敬吾理事長のトップ3がいずれも殺人事件等で検挙、起訴され勾留中という未曾有の事態が続いている。
市民の態度も変わった。
平成二十一年以降、八坂神社は工藤會など暴力団の集団参拝を拒否している。幹部が愛人との逢瀬に利用していたホテルも、暴力団お断りの掲示を出している。最大の繁華街・鍛冶町、紺屋町でも、それとすぐにわかるような人間の姿は見られない。北九州市は今、全国の政令指定都市でも一番安全な街といっても過言ではない。
ひるがえって、東京をはじめとする他の大都市はどうだろうか。発砲事件など、すぐにそれとわかるような事件は、ほとんど発生がない。しかし、それらの街でも暴力団は存在している。事件がないということは、逆に言えば、その必要がない、つまり彼らの経済活動が順調に行われているということではないだろうか。
暴力団対策法や暴力団排除条例は暴力団に大きなダメージを与えた。だが、暴力団は自らを規制する法律を学び、対策を講じながら、今もしぶとく存続している。
一部には暴力団を社会のセーフティネット、必要悪と見る人もいる。だが、それは間違っている。時にましな暴力団員はいるが、良い暴力団員などいない。暴力団壊滅は道半ばだが、壊滅は可能だし、壊滅すべきである。
福岡県警は工藤會と本気で戦ってきた。時にそれは彼らが引き起こした凶悪事件の遠因ともなっているかもしれない。しかし、その戦いを経て、現在の安全な北九州市があるのは間違いない。
私は昭和五十年に福岡県警に採用されて、平成二十八年に地域部長で定年退職するまで、警察官人生の半分を暴力団、特に北九州市を本拠にする工藤會対策に従事してきた。
本書で詳述する福岡県警と工藤會との戦いを通して、現在も全国に残る暴力団と、日本社会がどう向き合っていくべきなのかが見えてくるのではないか。
きれい事で飾った「ヤクザ」ではなく、真の暴力団の姿を、そして暴力団壊滅のために何が必要なのか、一人でも多くの市民に知っていただきたい。
(「はじめに」より)