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切れ味たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリを堪能していただきたい!!

切れ味たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリを堪能していただきたい!!

文:西上 心太

『119』(長岡 弘樹)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 通常、警察官は起きてしまった事件を捜査するが、消防署員の現場仕事は、火災であれ急病人であれ、現在進行形の事案が多い。火災を鎮火することはもちろんだが、巻き込まれた人々の命をも救わねばならない。だがあまりにも悲惨な現場を見たり、救助する人を自分のミスで助けられなかったりすると、それがトラウマとなり、消防士自身の精神を傷つけていくのだ。

 本書は、死と隣り合わせで働き、罹災者や仲間の死を否応なく見つめてきた者たちを取り上げた物語とも言える。第五話「山羊の童話」で登場する垂井柾彬は、自殺企図者の救助に失敗して死なせてしまった過去がある。その思いを拭うことができず、ついに退職してしまったのだ。そんな男が友人の部屋で痛飲して寝入ってしまった際に火事に巻き込まれるのである。

 第七話「救済の枷」は、本作中もっとも異色の作品かもしれない。レスキュー技術の伝授のために、姉妹都市であるコロンビアのM市に、第三話「反省室」にも登場した猪俣威昌が出向するというストーリーだ。だが彼の心にはある屈託があった。三ヵ月前の現場で、部下を死なせてしまったのだ。コロンビアは誘拐事件が頻発する国だ。猪俣は指導に当たった現地の消防士から、わざと危険な目に遭うためにやってきたのではないかと喝破される。

 このように、第一話で今垣の述懐にあったように、自殺企図者だけでなく、彼らを救うはずの消防士や救急隊員も「希死念慮」に捉われているエピソードが多いのだ。数が少ない消防ミステリーとはいえ、これまでこんな作品があったろうか。

 だが作者は、彼らの心の襞(ひだ)をえぐるようなテーマを紡いではいるが、その悩みをストレートに描くことはしない。これまでの作品同様、周到に伏線が張りめぐらされており、観察眼鋭い登場人物によって、観察の対象になった本人自身も気づかなかったような真実や、彼らが抱えていた深層心理が浮かび上がってくるのである。いつもながら、お見事という以外に言葉はない。

 命を助けられ、新たな幸せをつかんだはずの女性がなぜ再び自殺を試みたのか(「石を拾う女」)。第二話「白雲の敗北」で、「怖がるなとは言わない。だが、恐怖を他人に感染させるな」というアドバイスを新人に教える上司が、なぜパワハラめいた作業を新人に課すのか。「救済の枷」で、反政府ゲリラに誘拐された猪俣は、なぜショッキングな脱出方法を取ったのか。救助者にとって一番大事なものは、助けられる者が安心するような「破顔」した表情である。その教えを受けた者同士が、立場を変えて火災現場で交錯する第八話「フェイス・コントロール」で導かれた真相とは。

 またベテラン消防士の父親が、友人宅で遭遇した命にかかわる奇禍からどのように脱することができたのかを描いた、第六話「命の数字」のようなホワットダニットの興趣が横溢した作品も並んでいるのが嬉しい。

 全九編の物語の中では、およそ十年という時が流れる。新人だった消防士も、救急隊やレスキュー隊も経験した十年選手になっているのだ。今垣の同期・吉国の中学生だった息子も成長して、父と同じ消防士になる。その親子のエピソードは、今垣の〈現在〉とともに最終話「逆縁の午後」で語られる。このように時の流れも新たな物語に結びついていくのだ。

 ゆるやかに流れる時と、ゆるやかにつながる人間関係を背景に、危険と隣り合わせだが、ヒーローとはほど遠い、「いつ顔を出すか分からない闇を抱えたまま、それをぎりぎり押さえつけている危うい存在」である消防士のありようを、容赦なく、そして鮮やかに活写してみせる。

 長岡弘樹の持ち味であり最大の長所である無駄のない描写。そこから導かれる切れ味鋭い意外性たっぷりの逆転劇。人間ドラマとミステリーの面白さが、どのエピソードの中にも凝縮されているのだ。

 枚数以上のボリュームを感じることができる、消防署員をめぐる九つの物語を、たっぷりと堪能してみてはいかがだろうか。

文春文庫
119
長岡弘樹

定価:792円(税込)発売日:2022年03月08日

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