憧れの地、ミラノ・スカラ座でのデビューを果たした藤田さん。巨匠・シャイーとの初共演はそれはそれは素晴らしい夜だったようで……。
ゲルギエフに代わって今回のコンサートの指揮を務めることとなったのは、スカラ座音楽総監督のイタリア人、リッカルド・シャイーでした。この偉大な音楽家は一つひとつの公演に命を懸けている、そんな気概を彼の仕事ぶりから感じました。
特にリハーサルでの熱のこもり方は、尋常ならざるものがありました。ふつうなら2回ほど繰り返してうまくいかなければ、課題を共有しひとまず先へ進みますが、シャイーは何度も何度も納得するまで繰り返す。シャイーのこのようなスタイルのおかげで、指揮者交代から本番まで1週間というタイトなスケジュールの中であっても、わたしは絶大な安心感をもって、リハーサルを進めることができました。
シャイーは非常に細やかなタイプの指揮者で、曲の捉え方も繊細そのもの。協奏曲はピアノとオーケストラが常に結びついていなければならないという強い考えを持っています。リハーサルの度に詳細な自筆のメモを手にわたしの楽屋を訪れ、丁寧な提案をしてくださる。さらに、わたしにも率直な意見を求め、そのすべてを誠実に吟味してくれました。
彼が指定した曲は、ラフマニノフの《ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30》。過去の公演でも何度も演奏してきた、わたしの大切なレパートリーのひとつですが、毎回まっさらな気持ちで、いちから曲の解釈をするようにしています。3番はあまりに偉大な楽曲ですので、巨大な山嶺のように、向き合うたびに新しい発見があるのです。
ラフマニノフというと、ロシアの大地を思わせるような重厚な音を求められることも多いのですが、今回わたしはラフマニノフの「歌」の要素を重視したいと考えていました。
さらに、第3番の特徴でもある、ポリフォニック(多声的)な面もしっかり表現したい。メロディはしっかり響かせつつ、メロディとベースに挟まれた、内声と言われる音の細かい動きも丁寧に追いたいので、繊細なパッセージではテンポをほんのすこし落としてみたりもしました。そんなわたしの演奏はユニークだとよく言われますが、そこはシャイーも同意見のようで、「新しい解釈だな」と口にしていました。そしてそれをおもしろがり、どうやってオーケストラと調和させるかをイチからいっしょに考えてくれた。いい演奏のためになるなら、どんな難関も乗り越えようという強い決意が感じられて頼もしかったですね。
シャイーからの提案でいちばん印象に残っているのは、ピアノの音だけが響くカデンツァのパートへのものです。静かな旋律が続くなか、わたしがピアニシモで弾いていたところを、「ここは楽譜ではメゾフォルテとして指定されている。一段音の強さを上げてみたら?」と。本番直前での思いがけないアドバイスでした。
わたしは前後の繊細なパッセージとのバランスを考えてあえて弱音にしていたのですが、彼の理屈も納得できるものでした。そうして、急遽シャイーの意見を取り入れ、本番ではメゾフォルテで弾いてみました。そうして生まれた絶妙な響きと緩急は、心が華やぐようなものでした。思わず顔を上げて指揮台に向き直ると、シャイーもまたこちらを見ており、ふたりの目が合いました。曲に没頭しながらも、なんだか微笑ましい気分でしたね。
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