二〇二三年六月一一日――。
その日、私は京都にいた。気温は東京より低いのだが、ひどく蒸し暑く、首筋からふき出る汗が止まらない。
学生時代を京都で過ごした私は、その不快さを懐かしく感じたものの、年を重ねた体には、苦行でもあった。
コロナ禍が落ち着き、京都のまちにも人が溢れている。
鴨川には川床が並び、京都は、夏本番の準備を整えつつある。
暫し木陰で休み、汗の引いたところで、京都南座に向かう。
歌舞伎発祥の地に建つこの殿堂で、『星降る夜に出掛けよう』のゲネプロが行われている。
翌日に本番を控えた稽古は、総仕上げの場であり、メディアなどに作品をお披露目する目的もある。
小説家の看板を掲げる前は、エンターテインメントのPR原稿を書いていた私は、年に数回はゲネプロを覗き、作品の見処を文章にしてきた。
以来、このような場に来るのは、二〇年ぶりだった。
今回、見に来たゲネプロは、坂東玉三郎が、演出、脚本、そして一部作詞まで務めた新作だ。
歌舞伎界の至宝と言われる玉三郎は、演出家や芸術監督として、これまで多くの名作を残している。
玉三郎の演出作品は、彼の「美意識」への飽くなき追求が通底し、観る人の心を奪うだけではなく、人生とは何かを考えてしまう強いメッセージを感じる。
久しぶりに演出を務める本作は、オリジナルで、初めて脚本も書いた。
これは、事件であり、観ないわけにはいかない。
ゲネプロの四日前も、私は京都で玉三郎と会った。
互いの近況を話しながら、新作の話になった。
「自分の好きな世界を一つにまとめて、お客様に観て頂ける機会を得られたので」
玉三郎は特別なことではないように言った。しかし、過去に玉三郎が脚本を手がけたことはない。
「脚本とクレジットには入っているけど、実際は、小説や戯曲の中から必要な台詞を抽出して、繋ぎ合わせただけだから」
異なる作品を繋いだだけというが、それをオリジナル作品にまで仕上げるのは、相当に大変な作業だと、容易に想像できる。
「大変でした。でも、苦痛ではなかった」
題材となる三作品とは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と、ジョン・パトリック・シャンリィの『喜びの孤独な衝動』、『星降る夜に出掛けよう』だ。ちなみに、シャンリィは映画『月の輝く夜に』の脚本でアカデミー脚本賞を受賞し、一躍世界に名が知られた作家だ。
『星の王子さま』は、日本でも時代を越えて人気のファンタジーだ。
砂漠に墜落したパイロットである「ぼく」が、小さな星からやってきた王子と出会い、互いの会話を通じて、「生きる」意味や人間が忘れてしまった「真理」に気づかされる。
そして、『喜びの孤独な衝動』は、人魚を恋人にした青年が親友に紹介しようとニューヨーク・セントラルパークに出掛ける一夜の話。
もう一本の『星降る夜に出掛けよう』は、普通の人には見えない影が見えてしまう人と出会い、孤独から解き放たれる作品で、両作ともファンタジーでありながら、日常の常識の呪縛から解放される心地良さがある。
中でも、『星の王子さま』は、玉三郎の普段の言動や考えに重なることが多く、「いつか、あの作品を舞台化したい」と、彼自身から何度も聞いていた。
「シャンリィ作品の中でも、『お月さまへようこそ』という戯曲集に収められている二作品には、とても惹かれていた。『星の王子さま』だけでは言い足りないところを、その二作でカバーした」
三作品には、ある通底したテーマがある。尤も物語としては異なる点の方が多く、いったいこれをどうやって繋いでいくのだろうと興味が湧いた。
そもそも、『星の王子さま』だけで、充分二時間程度の演劇はつくれるというのに、そこにシャンリィ作品を足す理由とは、何か。
ますます観たいと思った。
そこで、「必ず拝見します」と言うと、「だったら、ゲネプロを観て欲しい」と即答された。
舞台は、砂漠に墜落したパイロットの登場で幕が開く。
メインキャストは、三人。いずれも男性で、ミュージカルではないが、劇中では歌唱もある。
玉三郎が、リサイタルなどでよく取り上げる玉置浩二や井上陽水をはじめ、ビリー・ジョエルの名曲などが選曲され、最初からこの舞台のために書かれたのかと思うほど、歌詞と芝居がリンクしている。
劇中、何度も繰り返される台詞がある。
大切なものは心でしか見えない――。
『星の王子さま』の中でも、肝となるメッセージだ。
現代社会の有り様を感じ取ることに心を砕き、社会に厳しい視線を注ぐ玉三郎にとって、今、最も伝えたい言葉であり、また、それは芸術の真理でもある。
後半、舞台は一転して、ニューヨークのセントラルパークに移る。ここからは、『喜びの孤独な衝動』に材を取った物語になる。
主人公の恋人である人魚が、セントラルパークに住んでいるのだが、親友に紹介しようとしても人魚は現れない。親友は、主人公に疑いの目を向け、やがて背を向ける。
そこでも、「心の目で見なければ、見えない」という隠れたメッセージが、じわりと伝わってくる。
そして、『星降る夜に出掛けよう』の物語へと移っていく。
この三作品が流れるように繋がるとは、まるで予想していなかった。
しかも、次々と放たれるメッセージは、これまで、玉三郎が幾度となく口にしてきた人生観や美意識、矜恃と重なる。
これは、紛れもなく玉三郎哲学の集大成だ――。
玉三郎の舞台を観た後(演出でも出演でも)、必ず感想を直接送ることにしている。
以下、その一部である。
“私の想像を遥かに超えた素晴らしい作品でした。
現代社会に横たわる問題を、優しく楽しく提示した上で、若者に送るエールの温かさに、玉三郎さんの強いメッセージを感じました。
そして、舞台で描かれていたのは、私が玉三郎さんと話し、なかなか答えに至らない問題の「解」でもありました。
しかも、誰にでも分かるシンプルであり、ファンタジックな世界観の中で、とてつもない真理を突きつけられました。
このところ、私自身が作品づくりに行き詰まりを感じ、出口が見つからず苦悩していたのですが、それを吹き飛ばすエネルギーを戴きました”
玉三郎の芸術観に大きな影響を与えた人物の一人である世阿弥の『花伝書』に記されているように、芸の真髄である「花」は、軽はずみに公表するものではなく、秘してこそ「花」となる。
だから、そろそろ玉三郎の哲学をまとめる時ではないかと尋ねると、「自らを語るようなものを残したくない」と、言われた。
それでも三〇年にわたり、彼と語り合い、その生き様を観てきた私は、伝えずにはいられない。
だから、こう請うた。
「敬愛する人物の生き様の片鱗を今の時代に刻んでおきたい」と。
快諾はされなかったし、今でも「嬉しくない」と言われ続けている。
しかし、私の中では、今こそ語る時なのだと、強く確信している。
〈つづく〉
(初出 「文學界」2023年11月号)