実体験と創作の関係性。
「話す自分」と「書く自分」。
そして、芥川賞との「距離」について──。
高瀬氏の新刊『うるさいこの音の全部』をめぐって、同作に「今一番共感できる」と語る、市川氏との初対談。
◆プロフィール
高瀬隼子(たかせ・じゅんこ)●1988年愛媛県生まれ。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。22年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川龍之介賞を受賞した。他の著書に『水たまりで息をする』『いい子のあくび』がある。
市川沙央(いちかわ・さおう)●1979年神奈川県生まれ。2023年「ハンチバック」で第128回文學界新人賞を受賞しデビュー。同作で第169回芥川龍之介賞を受賞した。筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側弯症および人工呼吸器使用・電動車椅子当事者。
■「身バレ」の予行演習
市川 去年『ハンチバック』を書いていたのは、高瀬さんがちょうど芥川賞を受賞されたタイミングでした。直近の受賞者ということでとても憧れていましたし、『おいしいごはんが食べられますように』も大好きです。芦川さんにすごくシンパシーを覚えました。だから今日お話ができて、大変光栄です。
『うるさいこの音の全部』も、とにかく面白かったです。噓と真を抱えている人間や社会を、小説家の自意識を通して徹底的に描いています。虚実を併せ呑んだ人間の多様性は、いわゆる社会性というものでもあると思うんですけど、社会から求められる言動の陰影としてのゆがみ、ひずみが文学賞をきっかけにして浮き彫りになっていく。その過程が、サスペンスめいた緊張感を醸し出して読者を惹きこんでいく小説でした。冒頭から、ぬぬ、この先に何事か仕掛けがあるぞ油断ならないぞ、と私は身構えながら読んでいたのですが、まんまと翻弄されましたし、ぞくぞくするような心理表現の連続にもしびれました。
高瀬 ありがとうございます。嬉しいです。
市川 作品を書かれたのは、芥川賞を受賞された後だったんですか。
高瀬 いえ、実は受賞前に書いたんです。芥川賞の候補作が発表になる前、六月の前半には、表題作「うるさいこの音の全部」の第一稿を編集者に渡していました。自分の作品が候補になるかどうかにかかわらず、平常心ではいられない予感があったので、先に手放してしまおうと思って。「明日、ここは静か」は、「うるさいこの音の全部」が「文學界」に掲載された後、書籍に併録するための作品を、と編集部に依頼されて書いたものです。だから二作を書いている間に、半年以上の間があります。
「うるさいこの音の全部」では、主人公の朝陽が小説家であることがばれてから、周囲の人間関係が変化していく様子を書いたんですが、あれは書いた時点では実体験ではなかったんです。だから芥川賞を受賞して、職場の人全員に小説家であることが知られたとき、デジャヴのような感覚を覚えました。「これ進研ゼミでやったところだ!」みたいな(笑)。
市川さんは小説を書いていることはご家族や周りの方にお話しされていましたか。
市川 小説を書いていること、応募していることについては、家族も知っていました。ただ私の家族はあまり小説を読まないんです。小説を書いていること自体は知っているけれど、興味はない、みたいなスタンスでした。
高瀬 私も幼いころから小説家になりたかったので、家族に「あの子は書いてるな」というのはばれていました。その後、社会人になってからも新人賞に十年ほど応募していたのですが、家族には話していなくて。二〇一九年にすばる文学賞でデビューしたときに、はじめて自分から話して、自分の小説が家族に読まれる、という経験をしました。
私の場合、家族はおそらく意識して、私への態度を変えないでくれているのですが、『ハンチバック』発表後にご家族の態度の変化は感じられましたか。
市川 あんなものを書く人間だとは思っていなかったでしょうけれど(笑)、表面的には変わっていないですね。家族にはあまり作品について触れないでと頼んでいて、それを尊重してくれているのだと思います。
■「話す自分」と「書く自分」
市川 主人公が芥川賞を受賞した後の日々が描かれている「明日、ここは静か」に今一番共感できるのは私ですよね。もう、書かれていること全部に共感しました。
高瀬 それはありがとうございます、と同時に、心からお疲れ様です。
市川 取材を受けている際に、嘘とは言わずとも、相手の求めていることを言わないといけないと思ってしまう気持ち、非常によくわかります。
先日行われた芥川賞の贈呈式もそうだったんです。スピーチで『ハンチバック』という作品は「怒りだけで書いた」と言ったんですね。それは、絶対に見出しに使いやすいなと思って使った言葉でしたが、言った瞬間に疑問がわきました。『ハンチバック』って、本当に怒りだけで書いた作品だったかなと。
高瀬 見出しになりそう、という言葉を意識して使われているなんて、記者の方にとっては、きっとすごくありがたいですね。
市川 小学生の頃はコピーライターになりたかったんです(笑)。ちょうど糸井重里さんの「おいしい生活」ってコピーが流行った時期でもありましたし。
高瀬 市川さんのエッセイや取材記事を読んで、サービス精神が旺盛な方なんだろうと感じました。そうするとなおさら、人前で話すとお疲れになるのでは。
市川 人に会うこと全般が苦手なので、インタビューなどは全部辛いですね。
高瀬 印象的なフレーズを言うのは難しいんですが、私も、記者の方の反応を見ながら話していると思います。この話をすると目がちょっと吊り上がったな、じゃあもう少し話そうかな、とか。「全然わからないし、考えていません」って言いたいけれど、さすがに困るだろうから何か考えていたことにしようかな、ということがよくあります。
私にとって、書いている自分と話す自分には少しずれがあるんです。でも、新刊の取材の時には「書いている自分」のことを「話す自分」が語らなければならない。口頭で返すんじゃなくて、書いていいのであれば、もう少しうまく答えられるのに、とよく思います。
市川 「うるさいこの音の全部」を読んでいて思い出したのが、遊園地の鏡の館です。中に入ると鏡に色々な自分が映って、本物がどれだかわからなくなる、あれですね。オーソン・ウェルズの「上海から来た女」が有名ですが、映画の中で印象的に使われています。だから、本当の自分がわからないっていうテーマって、結構昔から存在すると思うんですよ。
高瀬 なるほど。
市川 ちょうど去年、大学で生命倫理学の授業を受けていました。生命倫理学って矛盾を扱う学問なんですね。例えば、動物がかわいいと言う人が、平気で肉を食べる。戦争反対と言う人が、トロッコ問題で残酷な答えを選んだりする。人間の中には、そもそも矛盾があるって授業なんです。
そのときに、クラスメイトが、平野啓一郎さんの「分人主義」について教えてくれました。相手や環境によって人格は異なり、そのすべてが自分であって、どこかに「本当の自分」があるわけではない。すなわち、一人の人間のなかに色々な矛盾があり、別々の考えがあるのは当然であって、整合性が取れなくてもいいのだと。
その考え方を知って、少しほっとしたんです。何より、小説を書くときには自分の中の矛盾した部分こそが、ひとつの物語になると思います。
高瀬 私も「分人主義」の考え方に初めて触れたときに、強く共感しました。自分の中に整合性が取れない矛盾があってもいいんだって、許されたような気がして。
大学生のときに初めて平野さんの小説を読んで、それから今に至るまで、ずっと好きで読み続けているんですが、「分人主義」は自分が小説を書くこととは結びついていなかったかもしれません。矛盾が小説を書くために必要だと無意識には分かっていたことを、改めて市川さんが言語化してくださった気がします。
■作家の「顔」と当事者性
高瀬 市川さんが芥川賞の受賞者記者会見で、当事者作家であるという取り上げ方をされても構わない、とおっしゃられていたこと、本当に痺れました。私自身は、作者として見られることを引き受けていないから、かっこいいなと。
市川 障害者としてではなく、作品だけを見てほしいという考え方はもちろん正しいのですが、今この自分としてそのスタンスを取るのは、ちょっとダサいと思っていて。私の場合、どうせ障害のことは見えてしまっていますから、あえて隠さない、という気持ちです。
高瀬 小説家が顔を出して、自分自身のことを伝えることに、私は少しネガティブな気持ちもあるんです。より多くの人に本を読んでほしいし、売れてほしいから、「いくらでもプロモーションに協力します」という言葉も嘘ではないんですが。
市川 顔出しについては、作品の「外部」の問題ではないかと思っています。純文学のプロモーションの特性上、作者の写真が出るし、インタビューもあるから、それらが作品の内容と混ざって受容されてしまう。作者がほとんど顔出しをしないラノベとは全然違いますよね。もちろん私も、プロモーションは大事だと思っているんですけれど。
高瀬 買ってくれる読者が、作者と作品を完全に切り分けられなかったり、作者の存在を無視できなかったりするのはよくわかります。いくら作者と作品を全く別のものとして見てほしい、読んでほしいって思っても、実際に本屋に行くと小さな顔写真入りのPOPがあったりしますし。自分だって、作者のことを無視できているとは思わない。すぐに解決はしない問題ですよね。
常に意識しているわけではないけれど、小説家としても「どう読まれるか」ということは、頭の片隅にあります。執筆中はあくまで主人公のつもりで書いていて、自分のことを書いている感覚は全くないんです。小説家としての自意識があるとしたら、それは「やばい、締め切り間に合わない!」ですね(笑)。とにかく書かなきゃという焦りや、書いても没かもしれない、書き切れるかどうかわからない、という不安はあります。
書き終わって、校正も終わって、自分の手を離れたぐらいのタイミングではじめて、ああ、書いてしまったな、誰かに何か言われるかな、という懸念が頭に浮かびます。市川さんは、読まれるときのことを意識されていますか。
市川 書いているときはもう必死というか、誰かに読まれるなんて考えずに、とにかく使えるものは全部使ってしまいますね。小説に限らず、エッセイやインタビューでも家族のエピソードをノリで書いちゃうんです。家族には怒られるんですが、締め切りがあるからつい書いてしまう。
高瀬 芥川賞の贈呈式の祝辞で、川上弘美さんが『ハンチバック』は「惜しみなく自分の持っているものを小説に注ぎ込んでいる」とおっしゃっていましたよね。
私もやっぱり、使えるものは全部使っていかないと、小説が書けなくなってしまう、と感じています。『うるさいこの音の全部』は特に、芥川賞を含めて、デビューしてからの様々な出来事を彷彿させる作品ですよね。こんなことを書いているとばれたら、もしかしたらインタビューを二度としてもらえなくなるかもしれない、職場の人にもさらに嫌われるだろうし、編集者にも嫌な目で見られるかもしれない。そうは思っていたけど、書いてしまった。
市川 これまでの高瀬さんの作品以上に、『うるさいこの音の全部』は、私小説的に読まれる可能性がありますよね。
高瀬 実は「高瀬さんの実話ですか?」っていう質問や感想は、今までもたくさんあったんです。『おいしいごはんが食べられますように』が刊行されたときには、あの作品みたいに高瀬さんの職場って嫌な感じなんですか、って質問されたことがあります。
夫がある日突然お風呂に入らなくなる『水たまりで息をする』の時には、まず結婚しているかどうか確認されました。していると答えると、じゃあ夫は風呂に入らないんですかと聞かれるんです。あれはフィクションです、夫は風呂に入ります、と何回も答えました。
『うるさいこの音の全部』も、芥川賞を取ってから大変だったんだね、と言われるかなと思っています。読者の読み方は自由ですし、否定はもちろんできません。でも別に、自分が大変だったことを訴えたくて書いたわけではないんですよね。
市川 『ハンチバック』も、どこまで自分自身の話なのか聞かれることが多いのですが、私にとってあの作品は、あくまでフィクションなんですよね。使えるものを全部使って書いたのは事実ですが、物語として面白くなることを重視して、要らない部分は全部そぎ落としました。経験を書くということではなく、物語としての面白さを優先しているんです。
高瀬 そうですよね。自分のうちから出ている何かはあるけれど、書いているときには、自分の話だと思っているわけではない。
市川 だから私は、文芸誌で当事者性の問題についての特集をしてほしいと思っているんです。いわゆる「当事者小説」への批判的な議論も含めて。いったん可視化して整理することが必要かもしれません。まさに今が旬ではないかと。
高瀬 確かに読みたいですね。「私小説」特集はありましたが、それとはまた別の、「当事者性」にフォーカスした特集があっていいような気がします。
■正気を保つための小説
高瀬 ちなみにデビューしてから、私はとにかく、小説家が小説執筆以外の仕事をこんなにもたくさんする、ということに驚いたんです。エッセイも、インタビューも、対談もある。そのことに今でも戸惑い続けています。市川さんは、デビュー前後で出版業界へのイメージは変わりましたか。
市川 出版業界というのは怖いところだと思っていたんですが、こんないい人たちがいるんだと、そのことに一番驚きました。ありがたいと思っています。
高瀬 どこから「出版業界は怖い」ってイメージを持たれたんですか。
市川 ラノベの賞にずっと応募していたので、応募者同士の情報網で編集者が怖いとよく聞いていました。怖いというか、編集者も忙しいみたいで、作家の扱いがあまり良くないといいますか……。
高瀬 そうなんですね。確かに私も、デビュー前までは、編集者については、ドラマとか漫画で得たイメージしかありませんでした。例えば、家まで来て、ドアを殴るように叩いて原稿を催促する、とか(笑)。
市川 「明日、ここは静か」は、まさに編集者と作家の物語でもありますよね。
高瀬 ゲラを読みながら、朝陽の担当編集者の瓜原さんは振り回されてかわいそうだなと、私も思いました。
市川 瓜原さんの端正な仕事ぶりを、朝陽ごしに見る読者としては頼もしく感じます。
高瀬 「うるさいこの音の全部」と「明日、ここは静か」は執筆に半年以上間があると言いましたが、「明日、ここは静か」では、芥川賞を受賞した後追い詰められたのか、朝陽がだいぶ危うい感じになっているんです。執筆からしばらくたった今、彼女のことが心配になっています。
市川 朝陽はゲームセンターで働きながら文学賞を受賞してデビューするわけですが、彼女が人間関係の摩擦で生まれるちょっとした感情でも、心の内で非常にうまく言語化できてしまうことに驚きます。逆に、それだけ言語化できてしまうと、長井朝陽は、作家・早見有日〔長井朝陽の作家としてのペンネーム〕がいなければ、正気を保てないのではないかという気がして。早見有日を通じて感情を小説に吐き出さないと、朝陽はパンクしそうだと思うんです。
高瀬 私はよく、怒りやむかつくことを糧に小説を書かれてますね、と言われるんです。確かに、先日発売になった『いい子のあくび』の表題作は、二〇一九年にデビューした後すぐに、怒り狂いながら書きました。当時は毎日、今よりもブチギレていて、常にむかついているような状態で……。
でも主題にしなくても、現代日本を舞台に、女性を主人公にして小説を書く限り、主人公が何かにむかついているシーンは必ず出てくると思うんですよね。女性主人公を書いていると、脊髄反射で怒りが出てきます。ただ、男性が主人公でも、人間を主人公にしている限りはそうなりますね。普通に道を歩いただけで、何かむかつくことが起こってしまうのが今の日本社会だと思うんです。だからこれからも、主題ではなくても、作品の中に怒りがにじみ出ていくんだろうなとは思います。
■「田中さんが推しなんです」
高瀬 改めて『ハンチバック』、すごく面白かったです。「文學界」で読み終わってすぐに、本好きの友人に電話しました。「今年の文學界新人賞やばいよ、読んでないなら早く読んで」と。友人もその三日後ぐらいには読み終わって、二人で長電話して感想を言い合いました。市川さんが芥川賞を受賞されたときも、その友人と、嬉しいねって電話で言い合いました。我々は全く無関係なんですが(笑)。
市川 ありがとうございます。
高瀬 本当に素晴らしいのですが、感想を言うのが難しい作品でもありますよね。私も最初うまく言語化できなかったんですが、まず読んだ瞬間に、自分が変えられた、これまでと同じではいられない、という衝撃や熱がありました。
市川 とてもうれしいです。
高瀬 読書バリアフリーについても、やはり頭を殴られたような衝撃がありました。私も無自覚に何度も、紙の本の質感がいいと、何の想像力もなく言い続けてきた。読書バリアフリーに限らず、全てのページから、自分が持っていなかった目線を与えてもらった気持ちでした。境遇も身体も違うのに、『ハンチバック』を読むと、釈華の目線になることができる。自分の知らない目線になることができる、というのはまさに、読書が与えてくれる喜びそのものですよね。
もちろん、何より作品として面白いんです。田中さんの造形も堪らないですね。彼が、釈華からの高額な小切手を受け取らなかったことについて、再読しながらずっと考えていました。釈華は田中さんが小切手を受け取らなかったことを「憐れみ」であり、それこそが障害者への「正しい距離感」だととらえたけれど、私はそれを疑っているんです。自分でもそういうことがあるんですけれど、田中さんは熟考の末の決断ではなく、半ば思考を放棄したのではないかと。つまり、小切手を持っていかなかったんじゃなくて、「いけなかった」のかなと思うんです。
そうだとすれば、今後の彼の人生にとって、小切手を受け取らなかったことがずっとフックになり続けるんじゃないかと思います。もらっておいたらよかったと後悔したり、あるいは、持っていかなくてよかったなと思う日もあるだろうな、とも考えました。
市川 私も田中さんが好きなので、彼に注目してもらえることがとてもうれしいです。どう読むかは読者の自由なのですが、田中さんは悪者扱いばかりされているみたいで。個人的には田中さんは推しなんです。
高瀬 田中さん、物語にとっては悪役ですし、実際に彼の行動はやはり最低だと思うんですが、でも現実に存在するような人物でもあり……。市川さんは、田中さんのどこを推しているんですか。
市川 ああいうひねくれた人が好きなんです。多分ああいう男の子が好きだから、ラノベの新人賞に落ち続けてきたんだと思います(笑)。
高瀬 田中さんが生まれた経緯が、すごく気になります。
■コバルト文庫への愛と劣等感
高瀬 そもそも『ハンチバック』でデビューするまで、市川さんは二十年近く新人賞に応募されていたんですよね。ラノベだと、なおのことキャラクターが重要だと思うのですが、どうやって考えられていたんですか。
市川 確かに、毎回違うキャラクターを書かないといけないと思って、アニメなどで勉強していましたね。
高瀬 私は主人公がどうしても似たような感じになっている気がして悩んでいるんです。そしてそれと同じくらい悩んでいるのが、今、小説が上手く書けていないことです。ここ一年くらい、小説や映画など、インプットの量が減ってしまったことが大きな原因であるとは思うのですが……。
でも、今回の対談のために『ハンチバック』を精読していたら、小説が書けるかも、書きたい、という気持ちになって、本とPCの間を行ったり来たりしていました。
市川さんは、長い応募歴の中でスランプはありませんでしたか。
市川 私はお答えできる立場におらず、むしろ私こそ書けていないと思うのですが、確かに二十年の応募歴の中で、二回ほど、書けなくなったことがありました。本当に、どうやって書けばいいのかが全く分からなくなって。そういう時、自分が一番好きなものについて考えていたんですが……特に好きなものはないんですよ。
高瀬 本当ですか。
市川 例えばラノベだと、黒髪が好き、みたいな趣味趣向や、得意分野がある作家さんの方が強いんです。でも自分はあまりこだわりがない。それでもあきらめず公募の締め切りに向かって執筆を続けていると、物語が浮かんできました。
高瀬 ちなみに、どの新人賞に出すかはどうやって決めていたんですか。
市川 自分が読んでいるジャンルの賞に出していました。
高瀬 市川さんはコバルト文庫がお好きとお聞きしたのですが、コバルトは最近のものも読まれているんでしょうか。私も、小中学生のときはすごく好きで、お小遣いを全部つぎ込んでコバルト文庫を買ってたんです。最近はなかなか読めていないのですが……。
市川 実は私も、ここ十年くらい読めていません。どこまで応募し続けても選ばれない劣等感で、いわゆるラノベ全般が読めなくなってしまったんです。書くこと自体は苦しくなかったんですけれど。
高瀬 劣等感のお話、気になります。
市川 応募を始めたころは、比較的軽いタッチのものを書いていたんです。でも、十年前くらいかな、ラノベの新人賞の評価シートで「市川さんはもっと緻密で重厚なものを書けるはずだ」って言われて。そこから迷走が始まってしまいました。「重厚なもの」といいますか、自分のオリジナリティを追求し始めたんですけれど、結局編集部が何を求めているのか分からないままでした。高瀬さんはコバルトの賞に応募されたことはありましたか。
高瀬 小中学生の時は、コバルトとか、ティーンズハートの賞に出したかったんです。でも、応募規定である原稿用紙二〇〇~三〇〇枚に届かず諦めました。コバルトの短編小説部門は出したことがありますが、落選しましたね。
中高生のときは、ジャンルの区分けが特にない、中高生小説コンクール、みたいなものによく応募していました。大学に入ってからは青春小説を書いて、社会人になってからはずっと純文学の賞に応募して。そしてすばる文学賞を受賞するまでことごとく落選してきました(笑)。
市川 応募する賞が変化しているのは、自分の向き不向きに悩まれて、ということでしょうか。
高瀬 読んでいたジャンルが変化したからだと思います。小学生、中学生ぐらいまでは電撃文庫やティーンズハート、コバルト文庫などが大好きだったので、それらに近いものを書いていました。高校生、大学生ぐらいで現代の純文学作家の作品に触れるようになりました。大学時代に青春小説を書こうと思ったのも、その頃読んでいたからでしょうね。とにかく好きな作品に引っ張られてきた気がします。
ちなみにコバルト文庫で、好きな作品、思い入れのある作品は何ですか。
市川 私が最初にコバルトに触れたきっかけは、若木未生さんの「ハイスクール・オーラバスター」シリーズです。それから、前田珠子さんの『破妖の剣』とか、響野夏菜さん、樹川さとみさんも好きです。金蓮花さんも読んでいました。
高瀬 樹川さんの『楽園の魔女たち』、私も大好きです。金蓮花さんも、すごくいいですよね。もう、すごい以外の語彙が出ないんですけれど(笑)。
市川 高瀬さんは何を読まれていましたか。
高瀬 私は『楽園の魔女たち』が一番好きで。それから、氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク」シリーズを読んでいました。水杜明珠さんの『ヴィシュバ・ノール変異譚』や、日向章一郎さんの「星座」シリーズも大好きでした。タイトルや著者名がうろ覚えになってしまっている作品も多いのですが、どれもストーリーはよく覚えていますね。
色々並べましたが、未だに読みたくなるのはやっぱり『楽園の魔女たち』です。今思い出したんですが、私、多分二次創作もしていました。どこにも出していない、本当に自分用の二次創作なんですが(笑)。
市川 ちなみに、『楽園の魔女たち』ではだれが好きでしたか。
高瀬 サラちゃんが好きでした。
市川 サラちゃん、ストーリーが深くてよかったですよね。
高瀬 でも、サラちゃんに限らず、登場人物はみんな大好きです。マリアもダナティアもファリスも好きだった。
市川 ダナティア殿下、誇り高くて好きでした。あと、使い魔のごくちゃん(笑)。
高瀬 市川さんが一番熱心にコバルト文庫を読まれていたのは、いつくらいでしたか。
市川 九〇年代ですね。当時はみんな、コバルトとティーンズハートを通っていましたよね。
高瀬 そうですよね、小説を好きになるきっかけが、ジュニア小説やライトノベルでした。それらの小説を通じて純文学も好きになったので、いい入口だったなと、しみじみと思います。
■芥川賞のリアリティ
市川 『うるさいこの音の全部』は、一冊を通じて、作家・早見有日が芥川賞作家になるまでの物語とも読めます。改めて、高瀬さんにとって、芥川賞とはどんな賞でしたか。
高瀬 受賞後の方が、芥川賞をフィクションのように感じています。デビュー前は、芥川賞を自分の全く手の届かないところにあるものだと思っていましたし、デビューしてからも関係のないものだと思っていました。出版業界とは関係のない知人なんですが、その人に「あなたの作品は芥川賞を取れなそう」と言われたこともあります。でも、本当にそうだなと自分でも思っていました。
だから、『水たまりで息をする』でノミネートの連絡を受けた時に本当に驚きました。あの瞬間に、芥川賞が自分の世界に生まれた気がします。それから『おいしいごはんが食べられますように』で受賞するまでの二年間だけ、芥川賞が私にとって実在していたように思います。
市川 興味深いです。
高瀬 芥川賞を受賞した後、これからも頑張りなさい、と選考委員の先生方をはじめとして、書店員さんや編集者も期待をかけてくれたのは事実ですし、嬉しかった。でもその嬉しさとは別に、芥川賞が再び遠いものになりました。受賞直後はもっと近かった気がするのですが、朝陽が「芥川賞の旬は半年」というように、私も半年くらいで実感が遠ざかったように思います。
「うるさいこの音の全部」の書籍に併録する小説を書いて欲しい、と編集者から依頼があったとき、すぐに朝陽の話の続きが書きたいと思いました。彼女ならきっと芥川賞を取るから、続編が「芥川賞受賞、おめでとうございます」と始まったのは私にとってごく自然なことだったんです。でも、芥川賞と自分の心との間に距離があったからこそ、「明日、ここは静か」を気負いなく書けたのだと思います。
市川さんは今まさに受賞直後ですが、芥川賞へのイメージの変化はありましたか。
市川 とくにはないですね。でも、候補者として、芥川賞のシステムを経験したことは面白かったです。そもそもライトノベルという別ジャンルを向いていたので私も芥川賞は遠いものだと思っていたんですが、ものを書いている限り関係があったんだな、とノミネートされて実感が持てました。
高瀬 市川さん、文學界新人賞の最終選考に残ったという連絡を受けてから、感情の昂ぶりや緊張がなくなったとおっしゃっていましたよね。芥川賞の候補になって、受賞してからもずっと心が死んでいると。私も、その気持ちは少しわかる気がするんです。
私はすばる文学賞の最終選考に残ったときは舞い上がったんですが、一ヶ月後に受賞の連絡の電話があって、その二秒後ぐらいから心が死んでいった気がします。どうしよう、という気持ちがあっというまに落ち着いて、今までの約四年間ずっと、どこか他人事のような気持ちが続いてるんです。
市川 本当に、心はずっと死んでいますね。でも何故だか贈呈式に限っては、一週間前くらいからナーバスになりました。今は大丈夫なんですが、八月の半ばくらいから、少し心が弱くなってしまって。とはいえ、やはり基本的に嬉しいとか、楽しいとか、感情がなくなってしまって、何も感じられないです。
高瀬 私は今でも人と話すのは苦手で、人前に立つのも苦手、会議で発言するのも嫌だし、友人でも四人以上集まったら喋りたくない……というレベルなんですね。でも、今も得意とは言えないにしろ、どうにかこなせている。デビューしてから心の一部が死んだおかげで、ギリギリ心が保てていると思うんです。
市川 きっと心に、自分を守るためのシステムがあるんだと思います。
高瀬 そうか、確かに心の一部は、小説家としてデビューすることと引き換えに、どこかの世界に飛ばされてしまったのかもしれないですね。
芥川賞は受賞すると金屏風の前で急に記者会見をすることになるわけだから、本当にすごいことですよね。あの金屏風の前に立っても自分がどうにか話せていたなんて、やはり何か心におかしいことが起きている気がします。
今日の対談も、五年前の自分なら緊張してしまって、もっと話せなかったと思います。こうして市川さんとお話しして改めて、自分が小説家になったのだと思いました。
(八月二十七日、Zoomにて収録)
(初出 「文學界」2023年11月号)
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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