- 2024.05.09
- 読書オンライン
「きつい世界だし、将来性はないし、君みたいな子が思ってるような場所じゃないよ」映画業界へ就職を志していた西川美和が出合った先輩助監督の忘れられない言葉とは?
西川 美和
『ハコウマに乗って』収録「そういうもの?」より #3
〈夜更けにふと、用もなく人に電話をできますか? 電話のアポを事前にとる昨今の風潮に想う、時代とコロナが私たちから奪ったもの〉から続く
大学4年生になり、周りが一般企業への就職を決めていくなか、映画の仕事をしてみたいと考えていた当時の西川美和さんは、知人の伝手を頼って「助監督さん」に初めて会うことに。生まれて初めて出会った映画人は思いがけず暗い目をしていて……。
ここでは、『ゆれる』『ディア・ドクター』『すばらしき世界』など、数々の話題作を手掛け、またエッセイ・小説の名手としても知られる映画監督の西川美和の最新エッセイ『ハコウマに乗って』(文藝春秋)の一部を公開中。「好き」と「仕事」の関係性についての考察を紹介する(全3回の3回目/#1、#2を読む。初出:2022/1/08)。
この仕事につく以前、私には映画関係の知り合いは一人もなかった。映画や写真や音楽にのめり込んでいた大学時代の仲間も、四年生になると出版社や鉄道会社や商社に就職を決めていったが、私は一人「映画の仕事をしてみたい」と青臭い夢に浸りつつ働き口を探していた。
そんな折、故郷の父が通う床屋の息子が映画会社で撮影助手をしているという話を聞いた。クラスの中でも物静かだったO君が、大きなカメラを担いで撮影現場に立っているとは意外だった。床屋には巨匠カメラマンの傍らに立つO君の写真が飾られているそうだ。すごーい。
私は図々しくもO君を頼って、撮影所の先輩を紹介してもらうことにした。そうしてO君のアパートにやってきたプロの「助監督さん」が、私が生まれて初めて出会った映画人であった。
「現場に入りたいって? 将来監督になりたいと思ってるわけ? きつい世界だし、将来性はないし、君みたいな子が思ってるような場所じゃないよ」
O君が用意してくれた鍋をつつきながら、黒いジャンパーに白ちゃけたジーンズの助監督さんは暗い目をしてそう呟いた。若い女だからって、俺は本当のことしか言わねえからな、という壁を感じた。けれどそれもやみくもな排他というより、この人自身の夢のくじかれた果ての表れのような気がした。泥にまみれて仕事をしても、割ばかり食って監督になんてなれない。これだけ勉強して、情熱を注いでる俺たちがだ。それをお前みたいな半端な女が簡単に考えてくれるなよ。と言われているようだった。O君のせっかくの鍋は全く美味くなかった。
睡眠時間は3、4時間。2週間以上休みなしで現場が続くことも
とりあえず大手の映画会社に就職するのはよそうと思った。貧乏や苦労はさておき、もっと自由で独創的な映画を作っている場所に行きたいと思ったからだ。その後私はフリーランスの助監督になって、客の入りそうにない、はちゃめちゃな、だけど楽しい現場で、予想通りの貧乏と苦労と過剰労働に首まで浸かった。撮影中は新宿や渋谷に朝6時に集合して帰宅は24時過ぎが当たり前。睡眠時間は三、四時間。二週間以上休みなしで現場が続くことも少なくなかった。洗濯、掃除、ゴミ出しはおざなりになり、部屋の中はものが散乱した。初任給は八万円。カチンコの叩き方すら知らないんだから授業料だと思って学生時代よりアパートの家賃を落とした。この仕事をする限り、将来子供を産み育てたり家を買ったりという人並みの営みはないのだろうなと覚悟した。でもまあ、「そういうもの」だろう。だってみんなまともな就職をしたのに、自分だけが子供の頃から好きだったものにこだわっちゃったんだから。
監督になってからはまた別の不安定さがつきまとった。一本の映画に、脚本作りから興行や海外行脚まで四、五年つきあうのは珍しくない。監督料など時給換算すれば数十円程度だし、「ぜひ劇場にお越しください!」とテレビカメラに向かってにこやかにPRしても、興行収入の中から私や俳優には一円も分配はない。脚本を書く間は貯金を切り崩し、取材費も殆ど持ち出しだ。撮影ではできるだけゆったりしたスケジュールを工夫するが、休みを入れれば撮影期間は延び、経費は膨らむ。予算内で健康的なスケジュールを組もうとすれば、内容を削り、妥協し、あれもやめ、これも諦め、しかないのだ。こうして日本映画は瘦せ細り、韓国映画、欧米の映画に比べて、誰の目にも見劣りを隠しきれなくなった。
はっきりと言えることは、私は「好きなことをやっている」。映画作りは、出会いと結束と緊張と創造性に満ちた素晴らしい仕事だ。けれど一方で労働の過酷さや中身の乏しさについては「そういうものだ」とうなだれるばかりで、反発の仕方すら考えてこなかった。他の国の映画人は、ハードな撮影はありつつも素晴らしいセットを建て、太陽を待ち、雲を待ち、家族と時間を過ごし、子供たちからも尊敬される職業の一つとされているのに。
映画業界を目指す若い人たちに「トライしてよ。いい仕事だよ」と言うために
気がつけば私よりずっと若くて多様な才能を持つ人たちが現れてきた。けれど彼らと話をしてみると、「日本で映画を作るって、こういうものなのでしょうか……」とすでに暗い影が瞳に宿っているのだ。これは自分たちが下を向いてきたツケだと思った。「好きなことを仕事にした人間はみじめな人生になる」という慣例が、映画の仕事に限らずこの国の次世代に渡されていくのだとしたらあまりに夢がない。
映画に感動したことがあり、「自分も作ってみたい」と思ってくれた若い人に対して、「トライしてよ。いい仕事だよ」と言ってあげられる状況を作るためには何ができるのか。それは私が「良い作品作りをする」という本分に没頭し続けるだけでは埋め合わせられないことだろう。
昨年はいろんなものが停滞したけれど、停滞の中でしか気づかなかったこともあった一年だった。新しい気づきと、新しい試みに踏み出せる、良い年にしたい。あけましておめでとうございます。
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