『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(ジリアン・テット著 土方奈美訳/文春文庫)が第一線で活躍するビジネスパーソンに売れ続けている。高度情報化社会になるほど、専門的な技術を扱う部署が「サイロ(たこつぼ)」と化して周囲に壁をつくり、じわじわと企業全体の衰退を招く──すべての組織に起こり得るその危険性を、文化人類学者でもあるジャーナリスト、ジリアン・テットが鋭く指摘した書である。
1999年、絶頂期のソニーは「ウォークマン」の次世代商品として、同じ機能の互換性のない商品を発表。複数の部署がばらばらに開発したため、優秀な技術者集団を抱えながらアップルに決定的な遅れをとってしまう。サブプライムローン問題で破綻寸前まで追い込まれたスイス最大の銀行UBS、30以上もの専門部署に分かれていたことが大量の住宅火災につながっていたニューヨーク市など、取材に基づいた具体的な事例が本書には列挙されている。
NTTデータグループで執行役員を務め、読書家としても知られる池田佳子さんは、「昇格試験を控えた部下に勧める本」として、この本を「日経BOOKプラス」で紹介。いったい、この本の何が、企業や社員を率いる経営層に刺さるのか? 池田さんにお話を伺った。
──池田さんは、『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』を愛読書の一つにあげておられますね。
池田 日本はもともと製造業が発達していて「縦」のつながりが強く、一定の時期までは縦のラインに高度な専門家集団、すなわちサイロが存在することが生産力向上につながり、強みとなります。しかし、それぞれのサイロが情報や技術を囲い込むようになると、無駄な競争や非効率につながってしまう。異なる視点からの解決策やヒントを生む「横軸」の大切さが分かる1冊です。
特に、米国オハイオ州のクリーブランド・クリニックという大病院のエピソードは、他人ごとではなく、非常に面白かったですね。なぜかというと、専門化することが、必ずしも患者のためになっていないことがわかる非常に本質的な事例だからです。
一流の専門医を揃えるクリーブランド・クリニックは、多くの分野で国内トップクラスにランキングされ、最先端の医療を他の医療機関より低価格で提供するため、世界中から患者が集まっていました。一見、21世紀のあるべき病院の姿だったんです。
米国トップクラスの人気病院が「内科」と「外科」を廃止
池田 けれど、心臓外科医でもあるCEOのコスグローブは、ハーバード・ビジネススクールで講演した際に一人の学生から受けた質問をきっかけに、このままでよいのか?という根本的な疑問を抱きます。私たちも、たとえば、体のどこかが痛いというときに、いったいどの病院にかかったらいいのか迷いますよね。整形外科に行けばよいのか、脳神経外科なのか、内科なのか……時には病院でたらい回しになり、診断が遅れてしまうこともあります。クリーブランド・クリニックも、各部門が成功していたからこそ、複雑なサイロ化に陥ってしまっていた。
そこで、コスグローブは、思い切った改革に打って出ます。患者の側に立って組織を捉え直し、内科と外科を廃止し、各部門をクロスオーバーさせ、「心臓・血管センター」「頭部・頸部センター」など27のセンターを新設したのです。このエピソードに特に共感したのは、私のキャリアにも関係があるのかなと思います。
──池田さんは、どのようなキャリアを歩まれたんでしょうか?
池田 私は主に法務を担当し、広報部長などを経て今はサステナビリティを担当していますが、キャリアのスタートの頃に、顧客満足度を上げるCS(カスタマーサティスファクション)という部署にいたことがあるんです。ですので、お客様が何を求めていて、どんなサービスを提供したら満足していただけるか、という視点が、常に自分の根っこの部分にあります。だからこそ、既に名声を得ている大病院が、何が患者さんにとってベストなのか、徹底的に患者目線で考え抜き、組織改革を大胆に実行した突破力はすごい!と思いました。
一週間以上かかっていた作業が3日に短縮
池田 私のカスタマーサティスファクション時代の経験で言えば、当時、ISDNというネットワークがあったんですが、お客様が申しこんでから導入するまでに一週間以上かかっていました。お客様はそのスピード感のなさに非常に大きな不満を感じていらっしゃったわけです。それにはいろいろ原因があって、多部署にまたがるプロセスの煩雑な手続きが障壁になっていたんですね。まだ入社して数年目の頃でしたが、上司から、いろいろな部署に話を聞きにいってこい、と命じられました。そこで、各部署のキーパーソンに話を聞いて回って調整した結果、今まで一週間以上かかっていた作業が、3日に短縮できたんです。
──一週間以上かかっていたものが、3日になったんですか!
池田 私がやったのは、第三者として各部署のキーパーソンの話を聞いて繋ぎ合わせるという作業でした。これも、今思うと、分業化によってサイロ化して見えなくなっていたものが、直接話してみることによって、この部分はショートカットできて無駄を省けるのではないか、ということが可視化されたんですね。当時はもちろん「サイロを壊そう」などと思っていたわけではなくて、技術者の方たちに「これ、どうにかなりませんかね?」とひたすら聞いて回っていたのですが(笑)。でも、まだ入社して間もない私に「いろいろな部署に話を聞いてこい」と言ってくれた上司は立派だったな、と思いますね。
部下に専門性を2つ持つとよいと勧める理由
池田 ちなみにイノベーションが生まれるパターンは、ゼロから新しいものが生まれるように思われがちですが、実は既存の部署が持つ情報や技術を掛け合わせることで生まれるといわれていますので、考え方は似ていますね。
それと、私はNTTに入社した後にNTTデータに転籍したり、直近で言えば、NTTデータ北陸と信越の社長を同時にやったりと、2つの異なる場所に身を置くという経験が多くて、同時に2つを見るというクセがついているんです。振り返ってみると、高校時代にはダイバーシティの国ブラジルに一年間留学し、入社後には米国のイリノイ大のロースクールに留学して、南米と北米の両方で生活したりもしています。
『サイロ・エフェクト』の著者のジリアン・テットは、人類学者でもあることから、物事を同時に外部の別の角度から見る「インサイダー兼アウトサイダー」の視点を身につけ、本書の執筆につながったそうですが、私自身ももともと「インサイダー兼アウトサイダー」という感覚が自分の中に自然にあったように思います。部下には、専門性を2つ持つとよいと勧めていますが、実はこれもこの考え方からきていると思います。
経営の真髄を突いた、経営ど真ん中の本
──池田さんは、この本を、折に触れて何度か読み返しておられるそうですね。
池田 最初に読んだときは、まだ課長か部長の頃でした。この本で「サイロ」という言葉を初めて知り、「そうだったのか」と腑に落ちることも多々ありました。NTTデータが事業部制をとっていることもあり、事業部間の連携や横のつながりがよりスムーズになると、いいことがさらにたくさん生まれていくだろうな、という感想を持ったのですが、経営層の一員になってから改めて読み直すと、これはもう経営の真髄を突いた、経営のど真ん中の本だなと思うようになりました。
──最初はどのようなところが面白いと思われたんですか?
池田 私は法務畑が長かったのですが、法務というのも高度な専門家集団です。毎年、専門知識を持った非常に優秀で熱意のある社員が集まってきます。しかし、一方で、社内の他の事業部から相談を受けたときに、法律の知識に依拠して頭でっかちな対応をしてしまうケースもあったんですね。一生懸命、法律を調べて真面目に答えているのに、相談する側にとっては、求めている答えとは違う……というズレは、見ていて歯がゆいものがありました。それぞれの部署の常識や利益にとらわれず、会社にとって何が重要かを常に念頭に置いてコミュニケーションを取りたい、と思っていましたので、当時は、いわばサイロの中から、共感を覚えたんだと思います。
あらゆる組織はサイロ化する宿命を負っている
池田 今、経営層の立場からこの本を読むと、また新たな発見があります。サイロを俯瞰で見る感覚ですね。経営幹部層になるときに研修で、上司に「虫の目 鳥の目 魚の目」という言葉を教えてもらいました。接近して複眼で見て、鳥瞰で業界や社会全体を見渡し、流れの中で物事を見る……という意味です。
著者のテットも言っているように、サイロというのは決して悪いことではないのです。社会が複雑化し、業務が高度専門化する中で、あらゆる組織はサイロ化していく宿命を負っています。時には、たこつぼに深く深く潜ることも必要ですが、常に「虫の目 鳥の目 魚の目」で自分たちの組織を見つめ直すことの大切さを、今は強く感じていますね。
──池田さんは、この本を昇進を控えた部下に勧めていらっしゃるそうですね。
池田 昇進試験はディスカッション形式が多く、どんなテーマにも対応できるように広い視野を持たなければなりません。また、役職が上がるたびに、自分の目線を上げ、自分のことだけではなく、周囲も見渡し、改善点を見つけられるようになる必要があるからです。
今、私はサステナビリティの部署を担当しているのですが、サステナビリティは、財務諸表などの数値では表せない「非財務指標」、人的資本や環境への影響、顧客満足度や従業員満足度といったものが大事になってきます。今、非財務指標は将来的な財務指標につながっていくといわれているのです。
この部署には、二つの室があって、それぞれが非常に難しいことをやっています。その専門性はしっかり残すべきですが、基本的に、私はすごく「混ぜる」ということを意識していますね。ワークショップやディスカッションや研修の際は、必ず異なる部署のメンバーを入れるようにしています。
先日も新入社員が入ってきたんですが、みんな大学や大学院で素晴らしい研究をしてきて、私よりも深い専門的知識を持った優秀な人たちばかりです。そして、会社に入って自分の専門性をさらに突き詰めようという意欲に燃えているんですね。
新入社員に伝えたい「自分から情報を取りにいく大切さ」
──昨年実施された正社員を対象にしたアンケートで、「入社一年以内に習得したいスキル」の第一位は「専門スキル」でした。
池田 だから、私は、今のタイミングに伝えなくては!と思って、新入社員には、とにかく自分から積極的に必要な情報を現場に取りにいくように、とお願いしたんです。若い人たちには、自分の部署の専門性の殻にこもって、わき目もふらずに突き進むことも時には大事ですが、横軸に目配りし、広く情報収集し、コミュニケーションを取る大切さを知ってほしいのです。
実は、まさに今自分自身が直面しているんですが、サステナビリティの部門は非常に専門用語が多いので、そのまま説明すると、「難しい」と言われてしまうんですね。つまり、きちんと相手に伝わっていないわけです。理解してもらえるように話すには、いろいろな人と出会って経験を積み、想像力を身につけ、様々な「文化的レンズ」を持ち、視野を広げることが必要です。そして、私は、専門家というのは、本来そうでなくてはいけないと思うんです。
それから、一見、非効率に見えることが、実は効率的だということも多いんですね。私は袖のフリンジと言っているんですが、袖のヒラヒラした飾り……二の腕のぜい肉でもいいんですけど(笑)、そういうものが大事だよ、といつも言っているんです。つまり、幅を持たせたほうが、結局は効率的なんです。
私は流行語になったタイパという言葉も嫌いなんですよ(笑)。日経新聞も、デジタルで購読していますが、昔ながらの紙面の形で読んでいます。「あなたにおすすめの記事」が自動でプッシュされることはありませんが、それぞれの記事の大きさや、その横にはどんな記事があるのか、といった雑多な情報がビジュアルで入ってくる。そういうちょっとした無駄に見えることを大切にしたいと思っています。自ら情報を取りにいく際も、同質化した集団の意見ばかりに偏っていないか、自分で見極める力が必要です。
サイロを破壊する際の反発とリスク
──『サイロ・エフェクト』の中には、サイロを破壊しようとして大きな抵抗にあうケースがいくつも出てきます。ソニーのCEOに就任したストリンガーもIBMを手本にして改革を断行しようとして根強い社内の反発にあいます。
池田 先ほどお話ししたように、以前、NTTデータ北陸と信越の社長を同時期にやっていたことがあったんですね。月水金が北陸で火木が長野だったので、新幹線に飛び乗って往復していたんですが、その中でやっぱり両社で同じことを一生懸命に調べているといった非効率的な場面があり、一緒に研修を行ったり、交流を深めたり、ということは積極的にやっていました。
それから、北陸の社長時代は、三つの部があったのを二つにしました。それは、統合することで、より良いサービスを提供できるという確信があったからです。その結果、実際に利益も上がったのですが、その時の難しさは半端なかったですね。やはりポストも一つ減るわけですから……。ですから、なぜそのような変革をするのか、そうすることによって何が変わるのかという丁寧な説明と、みんなが納得できるゴールを提示することが必須でしたし、もしかしたら、ある程度の時間も必要だったかもしれません。
今も良い状態ではあるけれど、こうしたらもっと良くなるよ、という未来を見せてあげる、というのが重要だと思いますね。明るい言葉で未来を語るということも大切です。
20代の頃、カスタマーサティスファクションの部署にいた時は、無意識に、無邪気にサイロを破壊していたわけですが、この時は意識的にサイロを壊そうと考えていたと思います。ただ、一方でサイロを破壊することのリスクもありますから、そこは慎重にやっていく必要があります。
──成功させる秘訣はなんだと思いますか。
池田 最初に例に出したクリーブランド・クリニックの試みが成功したのは、根底に「患者のために」という信念をスタッフと共有できたからだと思うんです。うちの会社も、みんな、デジタルやテクノロジーの力で世の中を便利にして、より良い社会を作りたいという夢を持って入社してきている。志はみんな一緒のはずなんです。
今、私が担当しているサステナビリティについても、この本は非常に重要なことを教えてくれました。環境問題は各国ごとにバラバラに努力しても限界があり、地球環境の改善は図れません。横のつながりがないと実現が難しく、国や企業が地球の将来のために、協力する必要があります。
サイロ化の罠にはまってしまった名門ソニー
たとえば、電気自動車(EV)が浸透してきた一方で、EVバッテリーの増産による環境負荷が新たな課題となっています。昨年、施行された欧州電池規則では、CO2排出量などの開示を求められており、将来的には日本企業も欧州市場での販売には電池規則をクリアする必要が出てきました。
欧州では、相互にデータを流通できる基盤として、ドイツの自動車メーカーやIT企業を中心とした「Catena-X」などが構築されているのですが、そこで日本企業がデータ流通を行う場合、企業秘密まで流出してしまうのではないかという懸念もこれまでありました。
そこで、NTTデータは、経済産業省が中心となった公募事業に採択され、企業秘密を守りつつ、 (CO2排出量の算定などに)必要なデータのみを業界を横断して相互に流通できる、安全なデータ連携プラットフォームを構築し、自動車業界団体と共に今年の春から運用を開始しています。また、そうすることによって、要求される企業側も、誰にどんな条件であれば提供できるのかがわかってくるんですね。
将来的には、他業界にも展開し、世界でも広く相互運用されるプラットフォームを目指して、カーボンニュートラルや資源循環型社会の実現に貢献していきたいと思っています。
名門ソニーが、優秀な技術者を多数抱えていながら、サイロ化することによって、同じ機能を持つ別々のデバイスを同時に開発してしまったという象徴的な出来事がこの本には描かれていますが、共通の一つのツールを通じて情報や戦略を共有することがいかに大切かということを痛感しています。先日、 NTTグループサステナビリティカンファレンスでグローバルのメンバーが集まりましたが、その際にも、各国の法律は異なっていても、社会課題は共通であり、そこで使うテクノロジーは同じであるから、ナレッジベースでつながっていきたいという話になりました。
このように、技術の進歩により、共通化できるものはしっかり共通化できるようになってきました。誰のための、何のためのサービスか、その目的は何かということをよくチームとも話をしているのですが、つながることにより新しい価値を生みだし、より豊かで調和のとれた社会の実現に寄与していくというのは当社の企業理念でもありますから、今後いっそう前進させていきたいと考えています。
若い頃の苦い経験
池田 思い返すと、まだNTTにいた若かりし頃、海外の非常に難しい案件を2週間ほどかけて調べ上げ、満を持して「この件はこうしたらうまくいくと思います!」と上司に報告したことがあるんです。そうしたら、「ああ、それならグループ会社の〇〇がもうやってるよ」と言われて、しばし呆然としたことがありました(笑)。
ですから、今も私は、入社して間もない頃、上司が言ってくれたように、もちろん何も調べないで行くのはだめですが、ちゃんと調べてもわからない、おかしい、と疑問に思うことがあれば、「聞きにいけばいいじゃん」と言っていますね(笑)。サイロ化の罠に嵌らないためには、そうした一人ひとりの日常の姿勢が大事なんじゃないかと思います。
今や私たちの仕事は、国籍も言語も違う世界中のグローバルなメンバーと会話をしながら進めていく時代です。だからこそ、異なる視点で同時に見ることができるのは幸せなことだなと思いますし、様々な「文化的レンズ」で物事を見る力を養えるように、これからも絵本からビジネス書まで、様々な本を読み、いろいろな人に出会って話を聞き、自分の幅を広げていきたいと思っています。
池田佳子(いけだ・よしこ)NTTデータグループ 執行役員 コーポレート統括本部 サステナビリティ経営推進部長
1967年生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、NTT入社。主に法務を担当し、99年に米国イリノイ大学でLLM(法学修士)修士課程修了。2008年にNTTデータへ転籍。コンプライアンス推進部部長、企画部アライアンス推進担当部長、広報部長などを経て、19年6月、NTTデータ北陸代表取締役社長とNTTデータ信越代表取締役社長を兼任。22年6月、NTTデータマネジメントサービス常務取締役。23年6月、NTTデータ執行役員。23年7月より現職。
-
人生とビジネスをかけて学んだ「運」の極意
2024.07.02ためし読み -
「違和感から仮説を立てて、検証すると…」『ロッキード』で新事実を発掘した小説家・真山仁の“疑う力”
-
世界のエリート技術者たちが“情報量を減らす”コミュニケーションを好む納得の理由
2024.04.10読書オンライン -
世界を数学的に把握する者たち
2024.03.27ためし読み -
「麻婆豆腐が中国や日本、米国で味が違うのと同じ」謝罪会見でトヨタ社長が中国の人々の心をつかんだ“うまい表現”
2024.03.25文春オンライン -
「バグが出てこないのは品質が悪い!」と叱られ……日本の生産性が上がらない“本当の要因”とは?
2024.03.21読書オンライン
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。
提携メディア