- 2024.08.08
- コラム・エッセイ
デビュー前に古今東西の傑作ミステリー200冊を読み漁った著者を魅了した乱歩ワールド
志駕 晃
『令和 人間椅子』(志駕 晃)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本格的にミステリー小説を書いてみようと思い、一〇年位前に古今東西のミステリーや推理小説を貪るように読んだことがありました。当時のベストセラーはもちろん、不朽の名作、古典、海外ミステリーなど、とにかく二〇〇冊ぐらいは読んだと思います。密室、探偵、日常の謎、ハードボイルド、そして叙述トリックなど、世の中には様々なミステリー小説があるなと感心したのですが、その時に最も魅了されたのが江戸川乱歩の短編作品でした。
その時で既に死後五〇年近く経っていたのに、乱歩の短編作品は古さを全く感じさせず、頁を捲る手が止まらなかったことを覚えています。乱歩の死後、何千、何万冊もの小説が紡がれてきましたが、未だに乱歩を超える作家は登場していないのかもしれません。
乱歩の作品を読むことで、ミステリー小説を書くヒントを掴んだような気がしました。文章はわかりやすく、舞台設定は大胆に、時にエロティックに、怪奇・猟奇的な味わいを加え、そして狂気が宿った人物が物語を展開していく。
「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」のように、普通の生活をしているすぐ近くで猟奇的でグロテスクな事件が起こっている。椅子の皮張りや天井の板一枚挟んだところに、とんでもない変態がいるなんて、そんな物語をどうやって乱歩は思いついたのでしょうか。それが不思議でしようがありません。しかもそれらは、今から一〇〇年も前に書かれているのです。
創造は模倣から始まる。
かつてトルストイはそう言いましたが、そんな乱歩作品をその後の創作活動の参考にしました。「人間椅子」や「屋根裏の散歩者」に代わる題材は何かと考えました。そしてスマートフォンという現代人に欠かせない最も便利なものが、使われ方ひとつで最も危険なものになるということに気付きました。「人間椅子」と「スマホを落としただけなのに」は、そんなところで繋がっていたのです。
そして乱歩の短編集の魅力の一つに、想像力を掻き立てる魅力的なタイトルが挙げられます。「人間椅子」「屋根裏の散歩者」「人でなしの恋」「夢遊病者の死」「一人二役」「鏡地獄」「算盤が恋を語る話」など、タイトルを目にした途端に、どんな話か想像してしまいました。
そしていつの間にか、乱歩の短編小説の翻案小説を書きたくなってしまいました。特に「人でなしの恋」を読んだ時は、これは完全に現代の話だと思いました。この作品は令和の今に置き換えた方が、絶対説得力のある作品になると創作意欲を掻き立てられました。また他の作品も、人工知能やスマートフォン、Wi-Fi、オンライン会議などのテクノロジーの進化と、パパ活やマッチングアプリなどの今日の社会現象を織り交ぜて現代風に書けたら面白そうだと。
そう思い書き始めてみましたが、最初に最も大きな壁にぶち当たってしまいました。それは乱歩作品の翻案をする以上、代表作である「人間椅子」は避けて通れないということでした。しかしあの設定を令和の現代に置き換えるのはさすがに難しく、何度も挫折しそうになりました。
そしてやっと、「令和 人間椅子」が完成しました。
しかしいくら不朽の名作とはいえ、「人間椅子」を読んでいる令和時代の若者は少ないです。「令和 人間椅子」だけ読んでも、どうしてこの作品が生まれたかを知ってもらわなければ面白さは半減です。そこで、新旧の「人間椅子」の朗読劇を上演することにしました。当時はコロナの真っ最中で、リアルな朗読劇はできませんでしたが、声優の伊東健人さん、佐藤聡美さん、南早紀さんによる「令和 人間椅子」、同じく声優の中島ヨシキさん、大空直美さんによる乱歩版の「人間椅子」を、配信したところ好評を博すことができました。
そして今、さらに五作品が完成し、念願の短編集が出版されます。令和版ではオリジナルのどこがどのように変わったのか、是非とも読み比べてみてください。きっと楽しんでいただけるはずです。
もしもオリジナルの小説が手に入らなければ、音声コンテンツで聴くこともできます。
実は一二年前に、神谷浩史さんに乱歩版の「人間椅子」をラジオで朗読してもらったことがありました。そしてそのコンテンツを再編集して、株式会社オトバンクのaudiobook.jp で配信してもらっていたのですが、今回この「令和 人間椅子」が書籍化されるにあたり、神谷さんに令和版の朗読もしていただけることになり、神谷さんの朗読による新旧「人間椅子」が、audiobook.jp で聴けるようになりました。
さらにこの本に収録された令和版のその他の五作品を、日野聡さん、西山宏太朗さん、伊東健人さん、山下誠一郎さん、葉山翔太さんが、そして乱歩オリジナルの五作品を、下野紘さん、松岡禎丞さん、広瀬裕也さん、盆子原康さん、稲垣なつさんが朗読してくれました。
それらのコンテンツも全てaudiobook.jp から、配信されています。それらは個別に購入して聴くこともできますが、聴き放題サービスもありますので、興味のある方は、“オーディオブックジェーピー”と検索してみてください。
音声コンテンツの乱歩作品は、本で読むのとは一味違う魅力があります。大正時代には紙でしか読めなかった小説ですが、「令和 人間椅子」はスマホで聴くこともできるわけです。さすがの大乱歩も、そんな時代が来ることは予測できなかったのではないでしょうか。
そして五〇年ぐらい時が経った時に、また誰か新しい作家がその時代の「人間椅子」を書くのではと夢想せずにはいられません。その時には、一体どんなデバイスで「人間椅子」を読むことができるのでしょうか。
「あとがき」より
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