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「本物の血を見せてこそプロ」クラッシュ・ギャルズ活躍の裏で芽生えたのは…女子プロレスを永遠に変えた、長与千種の“危険思想”

「本物の血を見せてこそプロ」クラッシュ・ギャルズ活躍の裏で芽生えたのは…女子プロレスを永遠に変えた、長与千種の“危険思想”

柳澤 健

『1985年のクラッシュ・ギャルズ』より#3

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

ライオネス飛鳥は「リングに上がった時の長与千種の目はふだんとは違っていた」と…落ちこぼれと王者が臨んだ“禁じ手ナシ”の試合の裏側〉から続く

 80年代に女子プロレスブームを牽引した「クラッシュ・ギャルズ」。ライオネス飛鳥と長与千種の2人は、9月に配信されたNetflixドラマ『極悪女王』でも悪役レスラー・ダンプ松本のライバルとして描かれた。

 ここでは、プロレスをテーマにした数々の著作を持つライター・柳澤健さんの『1985年のクラッシュ・ギャルズ』より一部を抜粋して紹介する。

 落ちこぼれの千種がエリートの飛鳥相手に挑んだ「禁じ手のない」試合。勝ったのは飛鳥だったが、千種は天性の素質を開花させた。そして「クラッシュ・ギャルズ」の伝説が始まる――。(全4回の3回目/続きを読む

◆◆◆

クラッシュ誕生

 長与千種はひとり悶々としていた。自分のすべてを出し尽くした試合を経験した後では、これまでのような決まりごとの多い試合には何の刺激も得られなかった。

 千種は何度も飛鳥との試合を再現しようとしたがダメだった。

 試合への集中力と緊張感と覚悟が、自分と相手の両方になかったからだ。

 どうすればいいのか?

 長与千種は、その答えを持っていなかった。

 ライオネス飛鳥もまた、千種と同様に迷いの中にいた。

ライオネス飛鳥 ©文藝春秋

 千種と戦った全日本選手権がいい試合だったことは間違いない。観客の反応もよかった。しかし、だからといって自分の中の鬱々とした部分がすべて払拭されたわけではなかったのだ。

 それでも、千種とタッグを組む回数が徐々に増えていった。

「ここから何かが変わっていくかもしれない」

 聡明な飛鳥は、すでに自分の未来に差し込んできたかすかな光を感じとっていたのだ。

 1983年夏、全女の頂点にはWWWA世界シングル王座の赤いベルトを巻くジャガー横田が君臨し、ナンバー2としてオールパシフィック王座の白いベルトを巻くデビル雅美がいた。

 全女フロントが期待をかけた大森ゆかりは先輩のジャンボ堀とダイナマイト・ギャルズを結成、瞬く間にWWWA世界タッグ王者となったものの、爆発的な人気を得るには至らなかった。

 ついに松永国松は、年明けの後楽園ホールで好試合を演じたライオネス飛鳥と長与千種のタッグチーム結成を決意する。兄の松永高司会長の了承を得て、本格的にふたりの売り出しをはかった。

長与千種を中心にした理由

 新しいタッグチームの中心となるのがライオネス飛鳥ではなく、長与千種であることは、松永国松にとっては自明だった。

 現在全女のトップにいるジャガー横田が偉大なチャンピオンであることは誰の目にも明らかだ。小柄であるにもかかわらず、全身は鋼のように鍛え上げられ、無類のスタミナと強靱なバネ、優れたバランス感覚を持ち、実力で全女の最高峰WWWA世界シングル王者にまで駆け上がった。王者になってもハードトレーニングを怠らないジャガーは正に後輩たちの模範だった。

 しかし、ジャガー横田は客を呼べないレスラーだった。

 本来、プロレスはスポーツではない。スポーツマンは勝利だけを目指すが、プロレスラーが目指すのは勝利ではなく、観客を満足させることだからだ。ふたりのレスラーは一致協力して試合を盛り上げ、観客にハッピーエンドを提供する。観客は満足して次の興行に足を運ぶ。

 ところがジャガー横田がジャッキー佐藤を押さえ込んでWWWAの赤いベルトを巻いて以来、全日本女子プロレスを覆ったのは実力主義であった。

 その結果はどうなったか。全日本女子プロレスの経営は危機的な状況に陥っている。

 実力主義は破綻したのだ。

 新しい全日本女子プロレスを作っていくためには、新しい発想を持つレスラーが必要であり、それこそが長与千種だった。

長与千種 ©文藝春秋

天才空手家による特訓

 タッグチームの売り出しをはかるべく、国松は元デイリースポーツ編集局長であった植田信治コミッショナーを介して・極真の龍・と呼ばれた天才空手家・山崎照朝にふたりへの指導を依頼する。

 デイリースポーツで格闘技ライターをしていた山崎はこの依頼を快諾、千種と飛鳥のふたりに「風林火山」の道衣を着せて8月13日から3日間、伊豆の稲取温泉で特訓した。

 真剣勝負の世界に生きてきた山崎照朝は、プロレスがショーであることをもちろん知っている。10の力で蹴れば相手にケガをさせるなら、3分に絞って使えばいい。急所を外して蹴ればいい、とふたりに教えた。

 長与千種にとって空手は小学校から慣れ親しんだものだ。千種は天才空手家の稽古に生き生きと取り組んだ。

 だが、ライオネス飛鳥は空手に関しては素人である。プライドの高い飛鳥は空手が長与千種のイメージに近すぎることに反発した。

「千種の物真似はしたくない。空手特訓をやめさせて下さい」

 飛鳥はそう申し出たが、国松は認めなかった。

「すでに男子のプロレスでは、タイガーマスクが回し蹴りやローリング・ソバット(後ろ蹴り)を使い、小林邦昭や前田日明も空手技を使う。打撃技は流行になっている。投げ技と固め技が中心の女子プロレスの中で、空手という打撃のイメージは新鮮な印象を与えるはずだ」

 国松は飛鳥をそう説得した。

 社命には逆らえず、飛鳥は渋々空手特訓を続けた。

 かっこいいチーム名をつけようと頭を悩ませる2人に「クラッシュ・ビーというのはどう?」と提案したのはデビル雅美だ。以前に観たハチが人家を襲う映画のタイトルが、確かそんな名前だった。2人はその名前が気に入ったが、やがて語呂をよくしようと「クラッシュ・ギャルズ」に変えた。

赤と青

 1983年8月27日は長与千種とライオネス飛鳥にとって特別な日となった。

 ふたりはクラッシュ・ギャルズを名乗り、後楽園ホールでWWWA世界タッグ王者のジャンボ堀&大森ゆかりに挑戦したのである。

 意外にも、この日の後楽園ホールは超満員となった。

 試合前、千種と飛鳥の名前がコールされた時には、無数の紙テープが飛び交い「チグサ!」「アスカ!」という大声援が送られた。

 昨日まで、紙テープが飛ぶことなどほとんどなかった自分たちに大声援が送られている。千種と飛鳥は大いに驚いたが、王者である堀と大森はもっと驚いた。

 6月17日に旭川市総合体育館でデビル雅美&タランチェラ組からWWWAタッグのベルトを奪った堀と大森は、7月9日にはジュディ・マーチン&ベルベット・マッキンタイヤー組を破って久しぶりに東京に戻ってきたばかり。この日の後楽園ホールでは、自分たちこそが主役になるはずだった。ふたりはフリルのついた可愛らしい水着を新調してはりきっていたのだ。

 ところが、いまや観客の声援は千種と飛鳥に集中している。

 千種が出れば「チ・グ・サ!」

 飛鳥が出れば「ア・ス・カ!」

ライオネス飛鳥 ©文藝春秋

 少女たちのコールは途切れることなく繰り返された。

 堀と大森は面白くない。

 クラッシュ・ギャルズのふたりもまた、水着を新調していた。

 千種がデビル雅美にイメージを伝え、渋谷のチャコットに注文してもらったのだ。千種に金銭的な余裕はまったくなかったから、代金の3万円はおそらくデビルに借りたのだろう。

 水着の色は長与千種が赤、ライオネス飛鳥が青だった。

 千種は赤が好きだったし、飛鳥もジャッキー佐藤が着た青い水着を身につけることにためらいはなかった。

「本物の血を見せてこそプロフェッショナル」

 試合開始のゴングが鳴り、最初にケンカを売ったのは千種だった。

 先輩のジャンボ堀の顔を遠慮会釈なく思い切り張った。腹を立てた堀も渾身の力をこめて張り返す。その後は激しい殴り合い、蹴り合いが続き、試合は必然的にヒートアップしていく。

 この試合は押さえ込みルールの試合ではなかった。王者組の勝利は最初から決められているのだ。

 長与千種は全女流の押さえ込みに一貫して否定的だった。押さえ込みですべてが決まるのならば、受け身を取る必要はない。スクワットをする必要も、縄跳びをする必要もない。身体のデカい人間が圧倒的に有利だ。

 そんなものを見ても観客は喜ばない。

 観客はつまらない真剣勝負ではなく、面白いショーを求めているのだ。

 プロレスは闘牛のようなショーでなければならない、と千種は考える。

長与千種 ©文藝春秋

 闘牛士の剣は深々と牛に刺さり、本物の血が流れ落ちる。

 本物の痛み、本物の血を見せてこそプロフェッショナルではないか。

 自分も本物の血を観客に見せたい。

 自分の痛みを観客と共有したい。

 観客自身に「痛い!」「苦しい!」と思わせたい。

 それを可能にするためには、どんなことでもしてみせる。

 女子プロレスを永遠に変えてしまう危険思想が、長与千種の中に芽生え始めていた。

敗れても満足した理由

 1本目をとったのは飛鳥だった。14分、大森ゆかりから片エビ固めでギブアップを奪ったのだ。

 2本目は千種がとられた。右膝を集中的に狙われ、ジャンボ堀にフォールされたのだ。

 3本目も再び千種がとられた。飛鳥が場外でパイルドライバーを出して大森を失神させたものの、千種が堀に放ったトペ(リング外へのダイブ)が飛鳥と同士討ちになり、意識を回復した大森の新技ブロックバスターに沈んだのだ。

 クラッシュ・ギャルズは敗れた。しかしそのひたむきで激しいファイトは後楽園ホールの超満員の観客を魅了し、後に年間ベストバウトを獲得するほどの好試合となった。

 控え室に戻った千種と飛鳥は、お互いの顔を見て息を呑んだ。顔がパンパンに腫れ上がり、目はその下に細く埋もれている。唇は切れ、口の中も血だらけだった。

 それでもふたりは大いに満足した。自分たちの戦いが観客を大いに沸かせたからだ。

 観客が支持したのが勝者であるWWWA世界タッグ王者ではなく、挑戦者のクラッシュ・ギャルズであることは明らかだった。

「フォークを鋭利に研いでおいて、スパッと皮膚を…」クラッシュ・ギャルズの最強の敵となるために…ダンプ松本が凶器に施した“ある工夫”〉へ続く

文春文庫
1985年のクラッシュ・ギャルズ
柳澤健

定価:660円(税込)発売日:2014年03月07日

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