- 2024.11.18
- 読書オンライン
ライオネス飛鳥は「リングに上がった時の長与千種の目はふだんとは違っていた」と…落ちこぼれと王者が臨んだ“禁じ手ナシ”の試合の裏側
柳澤 健
『1985年のクラッシュ・ギャルズ』より#2
〈両親に置き去りにされ、親戚をたらい回しに…長与千種の“苦しい子ども時代”を救ったもの「腕にはカッターで彫った『女子プロレス』の文字が…」〉から続く
80年代に女子プロレスブームを牽引した「クラッシュ・ギャルズ」。ライオネス飛鳥と長与千種の2人は、9月に配信されたNetflixドラマ『極悪女王』でも、悪役レスラー・ダンプ松本のライバルとして描かれた。
ここでは、プロレスをテーマにした数々の著作を持つライター・柳澤健さんの『1985年のクラッシュ・ギャルズ』より一部を抜粋して紹介。
「クラッシュ・ギャルズ」結成前、先輩や同期に冷たくされ「お払い箱」寸前だった長与千種が、エリートの飛鳥を相手に持ちかけた「禁じ手のない」試合。その意外な結末とは――。(全4回の2回目/続きを読む)
◆◆◆
飛鳥と千種、ふたりの決意
1983年1月4日、後楽園ホール。
この日のメインイベントはWWWA世界シングル王者ジャガー横田がジュディ・マーチンの挑戦を受けるというものだったが、それよりも遥かに重要な試合が前座としてひっそりと行われていた。全日本シングル王者のライオネス飛鳥に長与千種が挑戦した一戦である。
強いだけで退屈なレスラーという烙印を押された王者。
弱い上に魅力もない落ちこぼれの挑戦者。
しかし飛鳥と千種のふたりは、共に不退転の決意でこの試合に臨んでいた。
実力以上の何かを観客に、そして全女フロントの松永兄弟に見せつけない限り、自分たちに未来はないのだ。
リングに上がった時の千種の目はふだんとは違っていた、秘めたるライバル心が現れていたからだろう、とライオネス飛鳥は言う。
そして、おそらくは自分の目も同様であったに違いない、と。
ふだんと違うのは選手ばかりではなかった。
ふたりがリングアナウンサーからのコールを受けた時に、わずかではあったものの観客から紙テープが飛び、声援が送られたのだ。
意外な観客の反応に勇気づけられたふたりは、ゴングと同時に試合に集中していく。
張り手の応酬で始まり、やがて凄まじい蹴り合いへと変わった。相手の不意をついて顔面の急所にパンチを入れる、という種類の試合ではない。あくまでもプロレスの範囲内の試合である。ただし、渾身の力を込めて殴り合い、蹴り合うのだ。
対戦相手以外の「何か」との闘い
戦う内に、千種には飛鳥の顔が先輩たちの顔に見えてきた。
千種が殴り、蹴っているのは、自分を「汚い」と嫌う先輩たちであり、負け犬呼ばわりする松永兄弟であり、「キチガイ!」と吐き捨てた親戚の少年であり、庭に追い出した伯父であり、自分を「バーの子」と差別した同級生であり、教師であり、世間そのものだった。
飛鳥には千種の心の内部は見えない。それでも、千種が対戦相手以外の何かを蹴り続けていることは、ひしひしと伝わってきた。
飛鳥もまた、際限なく千種を蹴り続けながら、自分を取り巻く何かを破壊しようとしていた。押さえ込みルールによる真剣勝負を命じているのは松永兄弟であり、実力でWWWA王者にまで上りつめたのがジャガー横田だ。つまり、全女は実力社会なのだ。自分は近い将来、ジャガー横田を実力で破って赤いベルトを巻くつもりだ。ジャガー横田を破ることができるのはライオネス飛鳥しかいない。なのになぜ、松永兄弟は強い自分に「つまらない」などと言うのか。なぜ実力以外の価値基準を、ここにきて持ち出してくるのか。矛盾しているのは自分ではない。松永兄弟なのだ。
飛鳥と千種が戦った全日本選手権に段取りなど一切ない。自分がやりたい攻撃を全力でやる。ただそれだけだ。飛鳥が場外で千種に強烈な蹴りを叩き込むと、ふたりの蹴り合いは次第に飛鳥優勢へと傾いていく。
飛鳥が千種を押さえ込み、レフェリーのスリーカウントが入ったのは、試合開始から18分が過ぎた頃だった。
王者の防衛は順当な結果だった。千種は空手の有段者だが、身体は細く一般人並み。いかにもプロレスラーらしい飛鳥とは体格が違う。体重も飛鳥が遥かに重かったから、張り手の一発、蹴りの一発に重みがあり、その上飛鳥は押さえ込みルールの試合では無敵の強さを誇る。
これまでの試合と異なるのは、全力を出し切ったことと、観客が大いに沸いたことだった。ライオネス飛鳥は、勝ったことよりもそのことの方がうれしかった。
敗者の表情は恐ろしく魅力的だ
無我夢中で戦っていた長与千種が我に返ったのは、連打されるゴングの音が余韻を残して消える直前だった。
最初に天井が目に入った。
反射的に飛び起き、リングに四つん這いになった。
飛鳥の姿を探すと、レフェリーに手を上げられている。
そうか。自分は負けたのか。
負けた長与千種は、勝ったライオネス飛鳥を見た。
射るような、燃えるような目だった。
敗者の表情は、しかし恐ろしく魅力的だった。
観客は負けた千種に、勝った飛鳥以上の惜しみない拍手を送った。
翌日、千種はマネージャーの松永国松のところに行った。
「プロレスを辞めたい」と言うつもりだった。
煙草を吸っていた国松は、千種が引退を口にする前に、煙が目にしみて痛いという表情をしながらこう言った。
「やっとお前らしくなってきたな」
「えっ!?」
「お前はそうじゃないと面白くないんだよ」
すでに国松は、長与千種の中にプロレスラーとしての天性の素質を発見していた。
「あの女がプロレスを辞めるはずない」
感情を表現する能力が卓越している千種は、試合に負けても観客を魅了してしまう。勝者よりも、負けた千種の方に観客の目が引きつけられる。
国松が千種にことさらにつらくあたったのは、心中深く眠っている本物の感情をすべて吐き出させるためだった。
後援会が結成され、長与千種の第二の故郷となった福島で、押さえ込みに強い立野記代との試合をあえて組んだのは、国松が立野の勝利を確信していたからだった。立野はジャガー横田とライオネス飛鳥のグループに所属している。ジャガーと飛鳥を相手に日頃から練習していれば、千種に負けるはずがない。
後輩に負けて辞めていった選手などいくらでもいる。もし千種が辞めてしまうのなら、そこまでの選手だったということだ。
だが、そんなはずがない。あの女がプロレスを辞めるはずなどないのだ。
飛鳥の持つ全日本選手権に挑戦させる前、千種に向かって「負けるに決まっているけどな」と挑発したのもそのためだ。精神的に追い込んでこそ、この女は光り輝く。
この試合で千種は本性を現した。ついに自分の感情を全開にしたのだ。面白くなるのはこれからだ。引退だって? 冗談ではない。ここで辞めてもらってはこれまでの苦労が水の泡だ。
プロボクシングの10回戦ボーイにまでなり、赤木圭一郎の主演映画のボクシングシーンで対戦相手を務めた経験を持つ国松は、ファイターがどのような言葉に反発し、発憤し、勇気づけられるかをよく知っている。元女子プロレスラーを妻に持ち、女という生き物の行動原理も知り尽くしている。国松はたやすく手の内を明かしたりはしなかった。
優秀な騎手の手綱は、最後の最後まで引き絞られているものだ。
〈「本物の血を見せてこそプロ」クラッシュ・ギャルズ活躍の裏で芽生えたのは…女子プロレスを永遠に変えた、長与千種の“危険思想”〉へ続く
1985年のクラッシュ・ギャルズ
発売日:2014年04月11日
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