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インポスター症候群とは何か? 「内的評価」と「外的評価」

インポスター症候群とは何か? 「内的評価」と「外的評価」

内田 舞

内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)スピンアウト企画#2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

G7のなかで自死者の数が1位の日本人。女性起業家の深刻なハラスメント体験を出発点に考える「ビジネスとメンタルヘルス」〉から続く

 メンタルヘルスの大切さは以前より語られるようになったものの、G7の国々の中で自死者の総数が数年にわたり1位であり続ける日本。なぜ日本人のメンタルヘルスをめぐる状況はかくも深刻なのか? 今夏報道され注目を集めた女性起業家の深刻なハラスメント体験をめぐるニュースを出発点に、働くこととメンタルヘルスの関係を、経済学者の浜田宏一さんとの共著『うつを生きる 精神科医と患者の対話』の著書があり、小児精神科医でハーバード大学准教授の内田舞氏が考える(長年VCとして起業家をサポートしてきた湊雅之さんへの取材をもとに構成しています)。(全3回の2回目/最初から読む

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外的評価と内的評価とは? 「インポスター症候群」

 さらに、起業家のストレス要因の一つには、起業家という特性上、外的な評価を必要とするという事情もあります。投資家たちから投資を得られなければ事業の継続は難しく、顧客や消費者に商品を買ってもらうことなしには事業の成立基盤を維持できない。しかも、外的な評価をするプレイヤーは単一ではなく、顧客、投資家、金融機関、さらには社内の従業員などと様々です。起業家は、このように複数の層からの高い評価を保たなければならないのです。

 誰がどれだけ投資金額を得たかという他の起業家に関する情報は否が応でも耳に入りますし、メディアからの注目度も目に入ります。このように自社や他社が外からどのような評価を受けているかが簡単に目についてしまうところもスタートアップ業界の特徴です。「他と比べるな」と言われても比べてしまうのが人間で、他企業がうまくいっている中、自社には投資がないという状況に焦燥感を搔き立てられないわけがないですし、あるいはたとえ一時的に調子が良くても、情勢は常に変化することもあって、好調を持続するために努力し続けなければならないというプレッシャーも重圧となるものです。

起業家を取り巻くプレッシャー ©Unsplash

 7月に発売された私の著書『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書、安倍内閣官房参与・イェール大学経済学部名誉教授の浜田宏一さんがご自身のうつを語って下さった対談)で、「インポスター症候群」という言葉を紹介しましたが、これは起業家の多く、さらには重要な仕事を任されるポジションにある人たちにも通ずる話かもしれないので、以下に引用してみます。

「インポスター(imposter)」は本当の自分ではない他の誰か偽物を演じている、詐欺師やペテン師といった意味合いで、自分の力で何かを達成しても実は自分にはそのような能力はない、評価に値しないと過小評価したり、他人が思う自分と自分自身の能力が一致していないと不安を覚えるような症状を表します。

 例えば仕事が評価されて上司や同僚から褒められたり、何か賞をもらったとしても、受賞などによって外部から称賛される自分と、実際の自分の能力との間には乖離がある気がして、いつか「そんなにすごくない自分」の正体がバレるのではないかと不安を感じてしまうことなどがそれにあたります(『うつを生きる』より引用)。

内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)

 外的に成功していると言われていても、自分の能力を疑ってしまう。「本当に自分は注目されるような価値があるのだろうか」「大きな投資を受けたけれど、いつか実は大したことない会社だと化けの皮が剝がれるのではないか」と心の奥では恐れて、インポスター症候群に苦しんでいるという方も少なくありません。

 このように外的な評価が信じられなくなる際、頼りになるのが「内的な評価」です。

「内的な評価」とは何なのでしょうか。それは真摯に自分と向き合える力、そして向き合ったときに、自身の良いところも、まだ足りずに成長しなければならない部分も含めて、最終的に自分は自分でいいんだと思えることなのではないかと思っています。それをスタートアップ企業に置き換えてみると、外的にどう評価されたとしても、「自分のやろうとしていることには意味がある。自分たちのアイデアには価値がある」と信じられる力なのかもしれません。

スタートアップにおける外的評価と内的評価の高い場合と低い場合

 起業したばかりのスタートアップにおいて(1)外的評価が高い場合と(2)外的評価が低い場合、さらに(1)起業家が内的評価を大切にしている場合と(2)起業家が外的評価に頼っていた場合を考えてみましょう。それぞれの例をマトリックス状に考えてみると、わかりやすいかもしれません(あるいは起業家ばかりでなく、社内の新規事業担当を想定してもいいでしょう)。

(1)外的評価が高かった場合

 まずは、外的評価が高かった場合を考えてみましょう。

 例えば、多額の資金が集まり、またボードメンバーに業界の凄腕、敏腕と呼ばれる人が参入し、メディアにも取り上げられるような注目度の大きいケース。これはスタートアップとしては素晴らしい外的な評価を得た事例と言えるでしょう。

 しかし、若い会社には注目に値するだけの初期的な要素があっても、その注目を持続するだけの技術やシステムが備わってない場合も少なくありません。あるいは人目を惹くアイディアを持っていたものの、それをさらに成長させられるだけの人材育成や戦略構築に時間をかけられていないこともあります。そんなふうに外的評価が高い一方で、実情とは乖離があるケースも多々にしてあるのです。

(1)起業家の内的評価が高い場合

 そんな中で、もし自分の企業と正直に向き合える内的な評価があれば、外側からはたとえ一時的に勢いが落ちたように見えても、ゴールを見失わないでしょう。「まだまだこういうところが足りない。焦らずにじっくり実力を備え、良いものを作っていこう」と自分自身に集中して、いま必要な成長に時間をかける決断ができるかもしれない。あるいは「いま自分たちの持っているものはこの評価額には値しないから、そこにたどり着けるように助けがほしい」と的確なコンサルテーションやアドバイザリーを進んで受けようとするかもしれない。

(2)起業家の内的評価が低い場合 セラノスをめぐる詐欺ドラマ

 しかし逆にそういった核となる内的評価が確立してない場合はどうでしょう。実質的な成長ではなく、「外的評価を失わないこと」が目的になってしまうこともあります。すると、外的評価に内的評価が追いついていない分だけ「ズルをする」「嘘をつく」という方向に行ってしまう例も少なくありません。まだガバナンスの体制が十分に整っていないというスタートアップ特有の事情も合わさって、投資家の期待(外的評価)に応えようと気がはやり、財務データを改ざんしてしまう事例などは実際にスタートアップでは多く見られるのです。

外的な評価が怖くなってしまう ©pixabay

 近年ではエリザベス・ホームズがCEOとして率いた血液検査会社のセラノス(Theranos)の例が有名です。セラノスが自ら開発したという”革新的な”血液検査技術は全く正確さにかけ、癌の誤診などを繰り返したのですが、会社としては技術開発に失敗したことを隠し、虚偽の情報を提示することで投資を受け続けたのでした。どこかで立ち止まり、失敗を正直に認め、科学者のアドバイスを受けていたら……、あるいは経営陣の力を借りてでも方向転換することができていたら、このような結果にはなっていなかったかもしれません。

 2019年にセラノスは消滅し、その後CEOのエリザベス・ホームズは逮捕されましたが、まだ事件から数年しかたっていないにもかかわらず、このドラマチックな展開は人気ドラマ『ドロップアウト シリコンバレーを騙した女(The Dropout)』やドキュメンタリー映画『The Inventor; Out for Blood in Sillicon Valley』などの作品になりました。これはやや例外的な驚きの展開を見せたケースではありましたが、外的評価を高く維持することがプレッシャーとなって、CEOが鬱や不安、パニックに苦しむというケースは日常的によく見られます。

 ここまでの大ごとではなくとも、自分自身の失敗の場面を思い返して、何か思い当たることがある人も少なくないのではないでしょうか。

(2)外的評価が低かった場合

 では、逆に外的評価がそもそも一貫して低かった場合はどうでしょうか。例えば、当初からあまり資金が集まらなかった、注目もされなかった、「そんな起業では当たらないよ」と言われていたような場合。

(1)起業家の内的評価が高い場合

 それにもかかわらず、もし起業家の内的評価がしっかりと確立されていて、「自分たちがあたためている事業には意味がある」と心から思えているのなら、そのアイディアを実現させるためにストラテジーを変えるかもしれません。あるいは、そもそも資金が集まらなかったのは自分たちが売ろうとしてるプロダクトのニーズを市場が理解していないからだと判断し、市場を教育することに努力を振り向けるかもしれない。あるいは、「外的評価は移ろうもの」と割り切って、好機がやって来るタイミングを辛抱強く待つかもしれません。

好機を辛抱強く待つ©pixabay

(2)起業家の内的評価が低い場合

 しかし、内的評価が不安定な場合はどうでしょうか。良いアイディアがあるのにもかかわらず、「人から評価されないなら」と早々に諦めてしまうかもしれない。あるいは「注目されないのはおかしい」と怒り散らしてしまうかもしれません。SNSで他の起業家たちのポジティブな投稿を見るたびに、そこに成功を見て自身と比較し、焦りと劣等感にむしばまれるかもしれません。実際にそのような思いがあってか、Xなどで他の起業家や投資家を揶揄したり、馬鹿にしたような投稿をする起業家の姿も珍しくありません。

 このように、「自分のやろうとしてることには意味がある、自分たちには価値がある」と信じて、自分たちのいいところにも、足りない部分にも向き合えるような内的評価があると、会社が継続できる中、外的評価に頼ってしまうと、どんなに外的評価が良くても悪くても、会社が破綻してしまうこともあるのです。

 外的な評価が欲しいと思うのは、とても自然なことですし、またスタートアップにおいては必要なことでもあります。それは正直に「欲しい」と思うことを恥じる必要はないですし、必要な評価が得られてるときには、大いにそれを誇って良い。でも、それと同時に大切にしたいのは内的な評価を育成することなのです。

SlackもUberも事業の失敗を重ねた末に生まれた。不確実性を乗りこなし、イノベーションを生むためのマインドセット〉へ続く

文春新書
うつを生きる
精神科医と患者の対話
内田舞 浜田宏一

定価:1,078円(税込)発売日:2024年07月19日

電子書籍
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内田舞 浜田宏一

発売日:2024年07月19日

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