本書には誰もが知るヘミングウェイの最高傑作『老人と海』と、表題にも掲げたO・ヘンリー賞受賞作「殺し屋」を含む「ニック・アダムス・ストーリーズ」と称される短編小説十編が収録されている。
私にはヘミングウェイの気骨稜々たる文学が本格的に開花することになる狂騒のパリ時代に誕生した連作の短編小説群「ニック・アダムス・ストーリーズ」(フィリップ・ヤング[ペンシルベニア州立大学名誉教授]によって、一九七二年に『ニック・アダムス・ストーリーズ(The Nick Adams Stories)』として全二十四編が再編纂された)を導きの糸にして、最晩年に書かれた『老人と海』への道が切り拓かれたように思えてならない。そうだとしたら、本書刊行の意義とその個性はどこにあるのか。
短兵急との批判を恐れずに言えば、それはこの短編小説群を飾る主人公ニック・アダムスとその父親の高揚と頽落の光陰が、『老人と海』の主役である老漁師サンチャゴと彼を慕う少年マノーリンの動静を揺さぶって、ともに高い親和性と優れた特異性を有するという解釈の概念に切り込んだことだろうか。敢えて愛すべきこの逸品を比類なき輝きを放つニックの物語群と合体させ、新機軸の一冊の本として構成した所以である。
アーネスト・ヘミングウェイ(一八九九~一九六一)の多彩感を放つ乾いたスピーディーなハードボイルド型の文体と独特な語彙で包み上げたその稀有な文学性のポテンシャルを熱く擁護したのは、パリで芸術サロンを主宰するなど前衛的な小説家としても名を馳せたガートルード・スタインである。それゆえに、ヘミングウェイの背後には常に伝統的な文学の時空を超えた彼女の繊麗な情感が揺らめく。まさに「評するも名匠、評さるるも名匠」の図だ。
一九二〇年代のパリの文藝の匂いと香りの刺激が渦巻きながら嗅覚野に忍び込み、その魅力に囚われてしまったのであろうか、パブロ・ピカソ、アンリ・ルソー、エズラ・パウンド、そしてジェイムズ・ジョイスやスコット・フィッツジェラルドといった名だたる芸術家や作家たちもヘミングウェイの周辺にしばしば群れを成し、時にあと一息の文学的渇望を満たしてあげるなどして慰藉と共感と支持を惜しまなかった。ヘミングウェイをめぐって文学史や芸術史を彩る巨匠たちが憩うそうした風景は、二〇一一年に公開されたウッディ・アレン監督・脚本によるロマンチックな恋愛映画『ミッドナイト・イン・パリ』 (Midnight in Paris)の中でも幻想的な映像とともに絶妙に描き出されている。自由で新鮮な空気を吹き込んだ文藝が百花繚乱の様相を呈した当時のパリで、このような独自の個性を咲きほころばせた文壇の若き獅子たちとの交流や語らいを通して、ヘミングウェイはいつしか一刀で力強く彫り上げたような豪快かつ野性味あふれる筆致で特異な文学ジャンルを極め、時代の寵児となった。やがて人間の営みと自然の圧倒的な雄大さが織り成す風景をモチーフにした不朽の名作『老人と海』を生み出すことになる。この物語を本書の新訳が語るように、あくまでも「老人と少年」という汎用性と有用性の高い構図として読み深めると、およそ読み手はやんわりとした能動的な没入感にそっと包まれていることに気づくだろうし、両者間の著しい年齢差を越えて湧き立つどこか物悲しくも詩情あふれる「優情」という文学的な妙味を堪能できるのではないか。
ヘミングウェイの作品中でも出色の出来栄えの『老人と海』の物語を紡ぐ縦糸だが、それは細やかなニュアンスを湛えながら特異な技法の冴えで迫る老人と少年のやりとりであり、横糸は捕獲した巨大なカジキが鮫に襲われ食い尽くされてしまうという野生的闘争心むき出しの格闘場面であろう。従って、この物語の美質は、そうした背景の像を描きながら読者を深い孤独の世界と大海が織り成す厳しい自然へと誘う、いわば男性的なエクリチュールの胎動に宿されていると言ってもよい。さらにこの名品の隠れた魅力を探れば、それは折々に怒濤逆巻く荒ぶる海で過酷な状況に耐えながらも、たった一人で立ち向かう老人の不屈の精神の中に見え隠れする繊細な美のグロテスクである。だからこそ、生来の豪快さを活かしつつも人の柔らかい心理に触れることにかけては当代随一と評されるハードボイルド小説の名手は、この物語を荘厳な輝きで紡がれたヒューマンドラマとして描き切ることができたのだろう。
「その男は年老いていた。小舟でメキシコ湾流に乗って孤独な漁に出ていたが、すでに八十四日間も釣果が上がらない。最初の四十日は少年と一緒だった。しかし、四十日も一向に獲物がかかる気配がなければ、少年の両親が、あれはサラオだと言って老人をさげすむのも無理はない。サラオとはスペイン語で『運に見放された最悪の状態』を意味する。親の言うことに従って別の舟に身を委ねたら、少年は最初の一週間で大物を三匹も釣り上げた。毎回からっぽの舟で帰港する老人の姿を眺めていると少年は悲しくなり、老人が帰港する度に浜に降りていって、舟から釣綱や鉤や銛や、マストに巻きつけた帆を運び出すのを手伝った。小麦粉のずだ袋で継ぎを当てられてマストに巻きつけられた帆は、いつまで経っても芽が出ない敗北の旗印を思わせた」と、物語の冒頭よりいきなり嘆きと苦悩を表象した退嬰の美学を露わにする。
だが、物語の中盤において、件のカジキとの駆け引きの主導権を握ったり、宿敵の一挙一動に振り回されたりしつつも「老人はだいぶ疲れており、もうすぐ夜の帳が下りることも承知していた。敢えて何か別なことを考えるようにした。大リーグのこと、彼が『グラン・リガス』と呼ぶ、メジャーリーグの野球のことだ。今日はニューヨーク・ヤンキースとデトロイト・タイガースの一戦がある。/試合の結果がわからなくなってから、もう二日目になる、と老人は思った。しかし、自分に自信を持つことが大切だ。あの偉大なる選手ディマジオに引けを取らぬように頑張らねばならん」と言い切り、志を貫徹しようとする気概を見せる。
老人はいよいよ最強のモンスターである鮫と遭遇する。「鮫が素早く船尾に近づき、あの大魚に無情にも襲いかかった時に老人は見た、そいつの口が大きく開くさまと、その異様な眼と、大魚の尾のすぐ上に食いこんだ歯を。鮫の頭が海面の上にあり、やがて背中も露出しようとしており、大魚の皮が剝がされ、身がむしり取られる音が聞こえた時、老人は鮫の脳天に銛を打ちこんだ。鮫の両目を結ぶ線と鼻から背中への線が交差する一点を狙った。無論そんな線は実際にはない。そこにあるのは重たげな尖った青い頭と、大きな目と、歯をガチガチと鳴らし全てを食らう獰猛な顎だけだ。だが、そこに鮫の脳があり、この急所を老人は打った。老人は血まみれの両手で、渾身の力を込めて、この急所に思いきり銛を打ち込んだ。成功の望みは薄くとも、確固たる決意と純然たる敵意をもってそこを打った」。この不撓不屈の精神の持ち主である老人には慄然とするような胆力が潜んでいるのだ。その胆力と知謀が昇華し、クライマックスに向けて鬼気迫る怪演を見せる――実にヘミングウェイらしい物語構成であり、しかもあの先駆的な技法を掛け合わせた言葉の説得力は絶大である。
『老人と海』は、ある意味で十九世紀アメリカ文壇の巨匠ハーマン・メルヴィルの畢生の大作『白鯨』に匹敵するほどの大きな文学的な果実を有しているのではないか。いずれの時代においてもその見事なソフト文学力で独自の色に染め上げられ、それゆえにアメリカ文学を愛好する日本の読者は、この『老人と海』を常に人気ランキング上位陣の中でも最強の作品に掲げる。これからも海洋文学の古典の一つとして時代の質感に応じ、一層厚みを増してさらなる飛躍を遂げていくことだろう。
彼の作品群には往々にして、妙な「威圧感」という象徴をすらりと脱ぎ捨てた「雅」と「粋」とが実存と夢幻の狭間で優雅にたゆたう。そうした美点がヘミングウェイ文学の源流だろうと思われる。その種の小粋な律動感は深い真摯な読書を邪魔しないし、むしろ読んでいて実に心地好い。彼はさまざまな苦境に瀕する対象の輪郭線を忠実になぞるように描き、人肌に温められた丸みと、潤いを帯びた言葉を巧妙に交差させる。そして、若さと勢いを感じさせる躍動的な筆さばきで読者の感情移入を誘う。だからこそ、思わずじんわりと追いかけてくる豊潤な響きと感動の渦に包まれてしまうのだ。そんな滋味が染みわたるヘミングウェイ文学の真物の凄みに打ちのめされる。
ニック・アダムスは冒頭でも触れたように、パリの青春時代に文藝のラビリンスを彷徨するヘミングウェイが綴った連作短編小説群の主人公である。これは作者ヘミングウェイの仮面を被った主人公ニックの人生儀礼とも言うべきイニシエーション・ストーリーとして展開される。いわば、この作品群はヘミングウェイの自伝的な要素を織り込みながら、それぞれに異質な遠景を映り込ませた集合体であると言っていい。ヘミングウェイは幼年期には湖畔や広大な荒野で釣りや狩猟を楽しみ、一人の男子として成長すると、いつしか力強い父親像への憧憬を露わにしている自分に気づく。やがて彼は若くして北イタリア戦線等に参戦し、そこで負傷した体験を通して疲弊した精神的軌跡を辿ることになるが、そうした体験はこの短編集の構成にそこはかとなく影を投げかけて隠密な雰囲気を醸し出す。
本書に収録した「ニック・アダムス・ストーリーズ」の短編小説群を便宜的に区分設定すれば、前編部の「インディアン・キャンプの出来事」、「十人のインディアン」、「この世を照らす光」、「あるボクサーの悲哀」では、出産と自殺という属性の含意を問うテーマ、次に続く恋愛絡みの背信と喪失、そして風俗や社会的事象の特性に触れつつ古の英雄の成れの果ての姿を冷ややかに見詰めようとする繊細でナイーブな主人公ニック・アダムスの姿を鮮やかに浮かび上がらせる。何やら、それらの作品の背後にはさまざまなイデオロギーと仮説が跋扈しているようだ。「医者とその妻」はニックの父親に対する好意的な感情とは別に、どこか冷たいニュアンスを放つ夫婦の有り様を表象した物語で、一種の倫理的な側面に纏わるものも垣間見られ、構成要素は複合的だ。このように読み始めたら止まらない珠玉の作品群が前編部を覆う。
これに続く後編部は、ある日突然、平凡な日常が理不尽な暴力と禍々しさが入り混じった世界に塗り替えられてしまう登場人物たちの心の動きを丁寧に炙り出す名作「殺し屋」を皮切りにして、第一次世界大戦で負傷した一人のアメリカ人青年の治療の日々における特異な事象を綴った「遠い異国にて」、思春期の男女の複雑な心模様を描いた秀作「湖畔の別れ」、牧歌的で穏やかな風土を背景に、何とも異様な雰囲気が醸す戦慄を表象した「アルプスの情景」、そしてセクシュアリティの絡め方も興味深い「父とその息子」へと連なる。いずれもが主人公のニックが年齢を重ね、多角的な視点で事象を捉えながら次第に大人へと精神的な成熟度を高めていくという知的な物語に仕上げられている。また過去への回帰と回想的な叙述がそこはかとなく、それぞれの物語に深遠な意義を投げかけているし、ニックの成長の息づかいを丸ごと封じ込めている。果たして、そこにはニックの物語を通して己の人生を染め替えようとするヘミングウェイの貌が窺えないだろうか、私は一読者としてそんな感慨に耽った。
以上、縷々述べたようにヘミングウェイ作品は圧倒的な存在感と香しい魅力を放つものばかりなので、かねての愛読者も、また新たな読者もその独特な世界観を存分に堪能できるだろう。一切の事大な構えを排斥し、粒ぞろいの優れた作品群を温かく包み込むようにして読者の前に優しく届けてくれるヘミングウェイの美しい所作に翻訳しつつ思わず魅せられた。
さて、つれづれなるままに。私はある年の紅葉が色鮮やかに街道を染める晩秋の頃に、長くヨーロッパに憩う機会があった。無為の散策を消閑の具として、偶然通りかかったパリのモンパルナスの外れに位置する老舗カフェのクロズリー・デ・リラに立ち寄った。その店はすでにガートルード・スタイン、フィッツジェラルド、ドス・パソス、ヘンリー・ミラー、パブロ・ピカソ、クロード・モネ、そしてオーギュスト・ルノワールといった文人墨客たちが集う「文学カフェ」としても世評を得ていた。このカフェのカウンターのコーナー付近の席に座ると、「E. Hemingway」と刻まれたプレートがふと目に映った。当時の店のオーナー曰く、「ヘミングウェイは近くのリュクサンブール公園で鳩たちと戯れた後には必ずこの席に座って、バーテンダーと陽気に戯れながら座談に興じ、それから文藝人の縁の名所シェイクスピア・アンド・カンパニーに向かったものだ」
私はリラ・カフェを出ると、あの若き日のヘミングウェイの何らかの残像と匂いが揺曳しているかもしれないと思い、ひたすらまっすぐセーヌ川左岸にある文学好きの聖地シェイクスピア・アンド・カンパニー書店(Shakespeare and Company)へと急ぎ足を運んだ。そこはアメリカ生まれの出版社経営者シルヴィア・ビーチが一九一九年に英米文学の書籍を広く紹介する目的で設立したユニークな書店だ。何よりもジェイムズ・ジョイスの大作『ユリシーズ』を刊行したことで知られる。店主のシルヴィア・ビーチは硬軟両様の構えでパリ在住の貧しきヘミングウェイに特段の配慮と気遣いを示しつつ、よく広義の文学から社会事象に至るまで相好を崩して雄弁に語り合ったとのこと。そんな舞台裏の知られざる意外なエピソードがヘミングウェイのパリでの青春回想記『移動祝祭日』の「シェイクスピア・アンド・カンパニー」と題した短い随想の中にも窺える。
このように気ままな風に吹かれながらも、私はヘミングウェイ文学を心ゆくまで愛でる機会を逸することなく、異国にて新たな文学的滋味を愉しむ異次元の贅沢を満喫することができた。その濃厚で芳醇な文学的な香りの一端を、かくも愛しきヘミングウェイと分かち合いたいとささやかに願う。
なお、本書を翻訳するに当たって主な底本としたのは、The Old Man and the Sea (Arrow Books, 1952)、The Nick Adams Stories (Scribner, 1972)、Ernest Hemingway : A Moveable Feast (Arrow Books, 1964)である。また、ヘミングウェイの文学作品に関する幾つかの既刊訳書を適宜参照させていただいた。それぞれの訳者の方々に感謝の意を表する次第である。
文藝春秋の翻訳出版部統括次長の髙橋夏樹さんには、本書の企画段階から訳者の良き伴走者として辛抱強く支えていただいた。敏腕を振るう練達の編集者にめぐり逢えたことはまったくの僥倖である。特に翻訳出版部長の永嶋俊一郎さんには、格別のご高配を賜った。あらためて、お二人のひとかたならぬご厚情に感謝申し上げたい。
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