書評

「さらり」の陰に潜む「ぐさり」

文: 芝山 幹郎 (評論家)

『映画の話が多くなって 本音を申せば9』 (小林信彦 著)

 だが小林さんの映画評論は、渋いだけにはとどまらない。たとえばこの本では、英国の若手女優キャリー・マリガンの名前が再三にわたって取り上げられる。そんな彼女の『ドライヴ』、『シェイム』、『わたしを離さないで』、『17歳の肖像』といった出演作品をさかのぼるように見たあとで、

《いわゆる典型的な美人じゃなくて、ブロンド(?)、そして鼻の先が反(そ)っているのが、もう全く、小生の好みです》

 と書きつける稚気の楽しさ。雀百まで、という比喩が適切かどうかはわからないが、マリガン以外にも、『崖っぷちの男』のエリザベス・バンクスや、《柔道女子57kg級の松本薫》に眼をつけるあたり、「さすがは小林さん!」と冷やかし半分の拍手を送りたくなってくる。

 こんな小林さんの鋭い味覚と健啖と思いの深さは、映画や書物の世界だけにとどまらない。先に挙げた淡島千景や新藤兼人だけではなく、二〇一二年には、吉本隆明、山田五十鈴、伊藤エミといった多くの人が世を去った。

 小林さんは、この人たちを静かに追悼しつつ(吉本隆明氏との淡いがこまやかな交流は胸に沁みる)、少し前に世を去った石堂淑朗や安田南との思い出もぽつりぽつりと語る。露骨な感情表現を嫌う小林さんだが、《ぼくの人生は、いつも、どこかで、人と食い違う》と低くつぶやくときは、自身の心に掘られた深い井戸を覗き込んでいるように見える。読点の数も、普段以上に多い。

 こうした印象深い揺らぎをところどころに挟みつつ、小林さんのクロニクルはいままでと同様、安定した走行で読者を独自の世界に運んでくれる。冒頭に私が掲げた理屈に立ち返るなら、それは「無理をしなくてもつづけられるやり方」を身につけた「息の長い仕事」にほかならないと思う。

 そう、小林さんの眼前には、幼いころから「映画という大海」が広がっていた。海の水はほぼ無限だ。バケツで何杯汲み出そうと、水が涸れることは考えられない。この特権が存在するかぎり、小林さんのクロニクルが絶えることはないし、われわれ読者の楽しみも尽きることはない。映画に感謝し、映画の海から水を汲み出すことのできる小林さんに感謝しようではないか。

映画の話が多くなって 本音を申せば9
小林信彦・著

定価:本体610円+税 発売日:2016年01月04日

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