『東京少年』『日本橋バビロン』と続いてきた小林信彦氏のライフワークが『流される』でこのたび完結した。気鋭の文芸評論家がその内奥に迫る。
田中 「自伝的三部作」の完結、おめでとうございます。
小林 ありがとうございます。集団疎開体験を書いた『東京少年』のその後を、次は書かなきゃいけないなと思ったんです。それは時間的には、母方の祖父の家である青山に住むという体験になる。祖父が沖電気にいたということは聞いてたけれど、情報がなかったことがあって気軽に手をつけられないわけですね。それで、その後の、父方の和菓子屋が潰れる話を、前にも別の形で書いてるんですが、総合したものを書こうというんで第二部として『日本橋バビロン』を書いたわけです。
母方の祖父が沖電気でいろんな発明をして、80歳すぎくらいまで生きたということをうちの母とよく話してたんですけど、詳細は分からなかった。そうしたら一昨年の秋、横浜の近代文学館で江戸川乱歩の話をしてくれって言われて、終わって控室に戻ったら、文学館の女性が、「こういう方が名刺を置いていかれて」って。見たら、あなたのお祖父さんをよく存じておりますので、よろしければ、ここへ電話をくださいと書いてある。その人は元沖電気の人なんですね。翌日に電話したら、支社にいて、いろんな資料があるからというので、お会いしたんです。その方が沖電気120年史をくれたんですよ。
田中 そういう出来事が、向こうからやってきたというのが不思議ですねえ。
小林 ええ。創業者の沖牙太郎氏があなたのお祖父さんに出した手紙があるから、日を改めて本社へ来てくれというので、日を打ち合わせて行ったんです。そこには、沖氏が亡くなる直前に故郷の広島から祖父宛に出した手紙が額に入って飾ってあるんですよね。
田中 読者からすると、そういうフィクションのように事実の世界に入っていくのがまた面白くて、『日本橋バビロン』も『流される』もそうなんですけど、小林さんが素材を驚きと共に発見していくという感じがすごく鮮やかです。私小説的に書いているという読み方をする人もいると思うんですが、私小説につきものの情緒的であったり葛藤が渦巻いてる世界じゃなくて、すごく乾いていて、かつご自身のことを軸に自由自在に、エッセーともフィクションともつかない書き方で、これが非常に風通しがいいんですね。