たまに試写室などでご挨拶すると、小林信彦さんはびっくりするほど丁寧な言葉を返してくださる。私はそのたびに感心し、わが身を振り返って忸怩たる思いにとらわれる。小林さんと私は十五歳以上年がちがうのだが、果たして私は、若い友人たちにこういう接し方ができているのだろうか。
いや、できていない。「やあ、君か」というのはまだマシなほうで、ひどいときになると「おう」ですましている。生来の柄の悪さは簡単にはあらたまらないにせよ、やはりちょっと恥ずかしい。還暦もとうに過ぎたのに「おう」はないでしょう、「おう」は。
それともあるいは。
負け惜しみの強い私は、こんなことも考えてしまう。もしかすると小林さんの折り目正しさのほうが、いまの世の中では異色なのかもしれない。
『和菓子屋の息子』という自伝的長篇を持ち出すまでもなく、小林さんの著書には「商人の子供」や「和菓子屋の子供」という言葉がしばしば出てくる。この本(『伸びる女優、消える女優』)のなかでも、
《商人の子供だからかも知れないが、〈×月×日が締切〉というのは契約である。契約は守らなければならない――というのがぼくの考え方だ。〈×月×日〉がムリであるのなら、〈△月△日〉にしてくれ、と相手に言えばいいのである》(『地球の上にうつがくる』)
とか、
《ぼくは和菓子屋の子供で、祖父は根っからの職人であり、死ぬまでその技術を考えつづけた》(『気になる日本語 3』)
とかいった箇所が眼につく。《祖父までで八代の職人だから、職人気質(かたぎ)というのでしょうか》(『気になる日本語 7』)という言いまわしにも実感がこもっている。
引用した部分だけではない。この本には、小林信彦という作家の「堅気の部分」がいつにも増して顔を出す。律義で、勤勉で、礼儀正しくて、保守の美徳を認める一方で、似非文化や偽の新しがりにはためらいなく嫌悪感を示す体質。これがあるからこそ、小林さんは、世に流通する怪しげな空気やいかがわしい日本語に異を唱えることができる。
伸びる女優、消える女優
発売日:2014年02月28日
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『男女最終戦争』石田衣良・著
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