芝山 小林さんの映画のご本はいつもそうなんですが、読者をそそのかす強い力がありますね。僕は、この『黒澤明という時代』を読んで黒澤映画をDVDで何本も観直してしまいました。小林さんは、黒澤明を同時代の子供のころから見始めて、最後の作品まで見届けている。その丸ごとという感じがすごく伝わってきて、羨ましいなと感じました。
小林 『姿三四郎』を観たのが昭和十八年の春ですから、十歳のときですね。
芝山 しかもご本のタイトルが、『黒澤明とその時代』ではなくて、『黒澤明という時代』になっている。いいかえれば、黒澤明を通じて見た社会を描くのではなく、黒澤明の映画そのものが、時代の空気をはらんだ一つのミクロコスモスになっていることがよく伝わってくる。社会学の本などになっていないところが、僕はとても嬉しかったです。
小林 昭和十八年というと、戦時下で、楽しい時代じゃないんですが、春にこの映画が出てすごい騒ぎとなって、秋の終わりに『無法松の一生』が出た画期的な年でした。
芝山 黒澤さんの後年のテイストがすでに出てますよね。悪役を大事にするところとか、ちょっとエキセントリックな人物を楽しげに出してくるところとか。
小林 黒澤さんは、時局に関係ない『姿三四郎』のような映画を撮って、戦略としても非常にうまいと思うんです。『姿三四郎』以後、爆発したのは『酔いどれ天使』。本当に興奮しました。私と同世代の人が、みんな映画界へ行ったのはあれが原因ですよ。深作欣二もそうだし、浦山桐郎もあれを見て、「これが映画だ!」と。
芝山 黒澤さんは、凄みのある役者を使うのが好きですね。『酔いどれ天使』だと山本礼三郎。後の宮口精二がそうでしょ。渡辺篤も、三井弘次だって。
小林 山本礼三郎は、『姿三四郎』の月形龍之介に当たる役者ですよ。それと突然笠置シヅ子(のち、シズ子になる)が踊るでしょ。
芝山 「ジャングル・ブギ」でね。黒澤流ヒューマニズムを完全に忘れちゃったときの黒澤明は強いですね。三船敏郎がまた、あのシーンで背中を丸めてすごい表情で踊る(笑)。
小林 やくざがハモるでしょ、後ろで(笑)。
芝山 あそこだけ突然ミュージカルになる。それと、三船が朝、自分の肺病の症状が重いことを知って、沼地で木にもたれかかってる背中のショットはすごいですね。
小林 棺桶の中にアロハを着たもう一人の三船がいて、それが起き上がって自分を追いかけてくる。映画全体がやくざ賛美じゃないかという声が、批評家に多かったんですよね。黒澤さんの作るものと批評家とが乖離してくるのは、あの辺じゃないかな。
芝山 小林さんも指摘なさっていますが、三島由紀夫が言うところの「すばらしいテクニシャンだけど、思想は昔の中学生並み」という部分は黒澤さんにありますよね。ただ、映画アニマルの本能が出ちゃうと、思想がどっかへ飛んでしまう。
小林 次に、新東宝で『野良犬』を撮ります。僕は、ちょっと技術的過ぎるかなと思ったけど、でも、いま観ると、やっぱりすごいですよ。とくに闇市をさまようところね。
芝山 三船がすごく動いてますね。冒頭の走るシーンでも、カットバックで撮っているけど、カットバックの力だけじゃないですよね、あの速さは。
小林 また、焼け跡そのものを撮ってるでしょ。三船が白い上下でカッコいいんですよね。
芝山 白い靴履いて。ほんとに動物的ですね。それと、河村黎吉や志村喬が渋い。
小林 僕は、戦時中から松竹の河村黎吉が好きだったんですよ。本当の江戸前の役者ですよ。『野良犬』は、アメリカでの評価が高いですね。
芝山 アメリカではフィルム・ノワールとして観られてますよね。
小林 そう。『羅生門』をみんな持ち上げるけども、それに匹敵する映画だと。
芝山 夏のジリジリとした感じとか、後の『天国と地獄』につながるんじゃないですか。
小林 『野良犬』は僕が高二のときです。この一九四九年の秋は、ライバルは木下恵介の『破れ太鼓』、小津安二郎の『晩春』。『羅生門』は受験勉強のときで、浅草の映画館で観たら、空いてたなあ。
芝山 でしょうねえ。ヴェネチアで賞をとって、急に評価されたわけで。
小林 あの大きな屋根がね。大掛かりなセットをつくる黒澤にしては、セットひとつだって大映が喜んでいたら、とんでもない大きな門をつくった。
芝山 それと、やはりキャメラの宮川一夫ですね。黒澤さんは横移動の際に、スピード感やダイナミズムを作り出すのがうまい。次の『白痴』も面白いと思うんですよ。
小林 まず、森雅之のムイシュキンがいいんです。
芝山 『白痴』は名画座で観たころ、仲間の学生の間ではずいぶん評判の悪い映画だったんです。こんなに面白いのを、なんでみんな悪く言うんだろうと思ってました。
小林 また久我美子がいいんですよ。当時の彼女は堀北真希そっくりで(笑)。
芝山 それに、原節子がやたらに目を剥いて、批評家にずいぶん貶(けな)されたらしいですけど、あれだけ柄が大きくて、物狂いの感じを出せるのはやっぱり稀有な人だと思います。しかも、小津の『麦秋』と同じ公開年なんですよね。
小林 しかし、『生きる』と『七人の侍』を続けて作ってるっていうのはすごいなあ。
芝山 ほんとに。黒澤明って、いわゆる早熟型とか晩成型とかで分類すると、実はものすごい早熟というわけでもないし、晩年になって枯れていい作品を作ってるわけでもない。むしろ、中年期や壮年期に大爆発しているというタイプの才能なんですね。
小林 そうそう。『生きる』は、やっぱり素晴らしいですものね。
芝山 黒澤さんのいわゆる「何かを言いたい映画」の代表ではあるんだけれども、その臭みが少ない映画なんですね。やはり役者がいい。
小林 初めは時間を順に追っていくはずだったんですってね。そしたら小国(おぐに)英雄が脚本(ほん)を見て、「こんなんじゃ駄目だ」って、それで、途中からいきなりお葬式になることにしちゃった。僕が好きなのは、ものすごい人数入れて市村俊幸がピアノを弾くところ。また、セットにキャバレーを作って、そこに倍のダンサーを入れたそうです。
芝山 ああいう群像シーンになると強いですねえ。
小林 『白痴』は別として、それまで、アクションの人だと思っていたから、「この人ちょっと違ってきたな」という感じがしました。脚本に小国英雄さんが入ってるせいだと言うけど、それだけじゃない。あの父子の感じというのは、すごい寂しいでしょう。
芝山 一種の化学変化が起きちゃうんですよね。
小林 『七人の侍』は五四年です。本当はもっと早くできなきゃいけないのに、四ヵ月という予定がどんどん延びちゃって。
芝山 クリント・イーストウッドの『チェンジリング』などは撮影期間が四十二日でしょう。それを思うと……。『七人の侍』は撮影が長引いて、会社は打ち切りも考えたらしいですね。
小林 『生きものの記録』というのは……。
芝山 これ、小林さんがよくぞ発掘なさったというか、僕は、つまんない映画という記憶しかなかったんですが、観直してみたら不思議な力がある。三船が後頭部を刈り上げて、バート・ランカスターみたいなんですよね(笑)。シドニー・ルメットのタッチも入ってるし、とにかく主人公が訳のわからない妄想にかられる映画でしょ。
小林 三船さんは名演技だと思いましたけど。最後にロングショットで階段で志村喬と根岸明美がすれ違っていくのね。なんかヨーロッパ映画みたいで。
芝山 ビキニ環礁での水爆実験がこの五四年ですから、もろに時代性を反映すると、つまんないプロパガンダ映画になりがちなところなんですが、妄想に突き動かされた映画になっちゃった。その面白さ。黒澤明は西洋的だから西洋人に分かりやすいという俗説がありますが、『生きものの記録』を見てると、西洋的というよりも、黒澤さんの突飛さというか、一種のエキセントリシティが、むしろ西洋人に分かりやすかったんじゃないでしょうか。
小林 なるほどね。それはそうかもしれない。
芝山 「忘れられた黒澤明」というのが何本かあって、『白痴』と『生きものの記録』の二本はそこに含まれていいんじゃないかと思いました。
小林 『隠し砦の三悪人』が『どん底』の翌年の五八年。ものすごく当たったんですよ。
芝山 興行成績一位でしたっけ? 『隠し砦』は部分的に少しずつ長過ぎるところがあるし、序盤の展開はとくに重いでしょ。ただ後半のたたみ込み方が印象的で……。
小林 そう。藤田進が出てくる……。
芝山 「裏切りごめん!」のところ。
小林 『悪い奴ほどよく眠る』が発表されたのは、日本のヌーヴェル・ヴァーグの年でした。大島渚が『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』と三本撮った年ですよ。吉田喜重もそうだし。ジャーナリズムはそっちを向いてますよね。それらに比べると、話としては古いでしょ。そして黒澤さんは、いよいよ、必勝の三部作へ入っていくわけです。
『用心棒』は有楽座の試写で観たんですが、初め気持ち悪かったですよ。
芝山 犬が人の手首くわえてる場面とか、気配がちょっと異様でしたね。陰惨な気配である、と小林さんはお書きになっていますが。
小林 この映画が人を斬る音を最初に入れたんですね。すぐに、邦画は無意味に血が流れたり、首が飛んだりする真似をした。
芝山 要するに、残酷描写ですよね。
小林 いま『用心棒』を観ると、黒澤さんが喜劇として撮ったことがわかりますね。それから『天国と地獄』。これはもう、芝山さんが書いた「日本の映画作家には稀な空間感覚を働かせ」という短評に尽きますよ。
芝山 いや、そんなことはないですけど。僕は、中学生ぐらいのときに観て、そのときも興奮したんですが、後年観直しても、本当にこれはよくできていますね。小林さんがお書きになったのを読んで驚いたのは、公開当時、みんな渋々褒めるような感じがあったと。
小林 一つは、盗作問題……、あれと似たような小説がたまたまあったんですよ。
芝山 エド・マクベインの小説以外にですか。
小林 そうです。もう一つは、黒澤が〈権力の味方になった〉という批判ですね。ある人は、仲代達矢の警部が、犯人を泳がせてもう少し罪を重くしてから逮捕しようというところを挙げています。
芝山 列車の場面は、東海道線の特急こだまですよね。
小林 あれを一発勝負で撮ったというのは、すごいですね。
芝山 助監督が役者を蹴飛ばしながら撮ったっていう……。最初に観たときは、犯人の山崎努に衝撃を受けましたね。黒澤さんは美男の悪役が好きなんですね(笑)。
小林 僕は横浜に住んでたから、黄金町が麻薬の巣窟(そうくつ)にしろ、いくら何でもこんなことはと思うんですけど、まあ、もうこれはいいんだと、様式美みたいなものでね。それと、後半の電車の音から腰越のアジトを突き止めていくところね。電話の背後の音からこれは江ノ電の音だっていうところですね。実にすごいなと思いました。俳優も、警察の会議のとこで藤田進がいたり、新聞記者かなんかで三井弘次がいるでしょ。
芝山 そう。清水将夫もいましたしね。みんな面構えがいいんですよね
小林 黒澤明関係者全員。志村喬も出てきました。この“High and Low”は、ヴェネチア映画祭へ行ったけれども、何の賞にも引っ掛からなかった。あの警察はアメリカの警察の真似だと言われた。要するに、日本人はチョンマゲ結ってると思ってるんですよ、彼らは。
芝山 今だったら、反応は絶対に違いますよね。スコセッシがリメイクしたがっていたし。『赤ひげ』も、イーストウッドを始め意外に外国での評価が高いですね。ただ、『天国と地獄』を黒澤映画の後期と考えないと、後がちょっと淋しい。もちろん編年体的にいいますと、六〇年代ですから中期になるんですが。『どですかでん』以降は世界のクロサワになって、最後のほうはプライベート・ムービーの世界に入っていきます。仮にベストスリーというのを考えると、微妙なんですよ。もちろん『七人の侍』は入る。『七人の侍』『天国と地獄』。もう一本を『野良犬』にするか、『酔いどれ天使』にするか、いつも迷うんです。
小林 今観ると、『酔いどれ天使』より『野良犬』のほうがいいですね。それと、『生きる』がある。
芝山 『野良犬』では、いろんな空間が躍動していますものね。『酔いどれ天使』は室内劇でもおかしくないところがあって。
小林 『酔いどれ天使』が出たときは、日本の映画界は、深刻なころのビリー・ワイルダーの時代なんですよ。
芝山 アカデミー賞をとった『失われた週末』と『酔いどれ天使』を比べたら、『酔いどれ天使』のほうがずっと濃いと思いますね。
小林 黒澤明の全体像を考えると、非常に難しいんですね。黒澤明は、中期なんですよ。
芝山 とんがってますでしょう。しかも旺盛で、映画アニマルの資質が全開している。
小林 ところが『姿三四郎』から〈傑作〉ですからね。
芝山 『姿三四郎』から『天国と地獄』まで二十年ですか。
小林 僕は、そのころ一人の監督でずうっと二十年、でこぼこはあったとはいえ、楽しませてもらった。二十年楽しませた人がほかにいるかと思いましたね。
芝山 確かに稀有ですよね。けっして短くはない。
小林 ぼくが十代のころ、「映画春秋」とか、「キネマ旬報」以外の研究誌というのが、黒澤明を見くだすような座談会とか対談とかを載せていたんです。
芝山 確かに、僕が若かったときのことを思い出しても、ある時期、黒澤明のことを妙に口ぎたなく言う傾向がありましたね。
小林 六〇年代にもありました。それから今度はジョージ・ルーカスたちが褒めてから、急に神格化する。
芝山 そうなんです。海外につられて日本での評価が上がった。
小林 あれがすごく嫌ですね。
-
『ピークアウトする中国』梶谷懐 高口康太・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2025/01/17~2025/01/24 賞品 『ピークアウトする中国』梶谷懐 高口康太・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。