〈戦中から令和まで。冤罪との長き戦い…大門剛明『神都の証人』〉から続く
2026年1月14日、都内にて第174回直木三十五賞の選考会が開かれる。作家・葉真中顕氏の候補作『家族』(文藝春秋)について話を聞いた。(全5作の4作目)
暴力に抗えず、心が歪められる恐怖
介護や無国籍児、就職氷河期など、社会に密接に関わる問題をミステリー小説の形で世に放ち続けてきた葉真中顕さん。最新刊『家族』は二〇一一年に表面化した「尼崎連続変死事件」をモチーフにした小説だ。
主犯とされる逮捕当時六十代の女性がいくつもの家族を精神的に支配し、暴行や監禁により多くの人を死に至らしめた─これほど衝撃的な事件であるにもかかわらず、真っ向から題材にとった小説作品はこれまでなかった。その理由は「複雑すぎるからではないか」と葉真中さんは言う。
「当時、報道では家系図を出して説明していましたが、犯行期間が長いのとあまりに多くの人が関わっているので、一度聞いて事件の全体像を理解できた人はいなかったんじゃないかと思います。この込み入った話を主犯の女性の生い立ち、関係者との出会いと順に書いていったらどうしても冗長になるし、千枚以上の大作になってしまう。ある程度エピソードを抽出して書いたほうがいいのかもしれないとも思いましたが、“複雑さ”を削ると、この事件が持つ得体のしれない引力そのものもなくなってしまう気がしました」
現実の事件になるべく忠実に。しかしドキュメンタリーにはしない、という方針を定め「事件の途中から巻き込まれた男」の存在を軸にすることで、小説が前に進み始めたという。作中では瑠璃子という女性が自分のまわりに擬似家族を作り出し、「躾け」と称して監禁、暴行を主導していく。主人公の宗太は、瑠璃子に偶然出会い、“家族”として搦め捕られてしまう。彼の心の動きを感じつつ読み進めることで、読者は「なぜ逃げられなかったのか」「なぜ身内同士で殺し合ってしまったのか」を理解することになる。事件の詳細を知るだけでは想像の及ばない部分にまで手を伸ばすことができるのはさすがの小説の力だ。
「暴力によってどれだけ心が歪められるか、というのが本作を書くうえでのテーマのひとつでした。暴力に良心が打ち勝つ、という形のエンターテイメントはもちろんあるし、世の中そうあるべきだと思っているけれど、いかんせん暴力の強制力というのはものすごいものがあって。それが避けられないかたちで行使されたときの抗えなさというのもこの作品では書きたかった」
宗太の身の上に起こったことが、私たちに起こらないとは限らない。読み終えたあとには、薄氷の上に立っていることに気づいたような空恐ろしい気持ちが残る。「家族」という言葉が持つイメージを覆す、戦慄のエンターテイメントだ。
葉真中 顕(はまなか・あき)
1976年東京都生まれ。2013年『ロスト・ケア』で第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞しデビュー。19年『凍てつく太陽』で第21回大藪春彦賞および第72回日本推理作家協会賞を、22年『灼熱』で第7回渡辺淳一文学賞を受賞。他の著書に『そして、海の泡になる』『ロング・アフタヌーン』『鼓動』などがある。
(初出:「オール讀物」2026年1・2月号)










