〈「これで勉強ができるね」統合失調症の長女を医者に診せなかった父が、娘の葬儀で棺に入れたものとは? 息子は「やめた方がいい」と…〉から続く
医学部に通うほど優秀だった姉に、統合失調症の症状が現れて突然叫びだした。医師で研究者の両親は、そんな姉を「問題ない」と医療から遠ざけ、南京錠をかけて家に閉じ込めた――。
藤野知明監督による映画『どうすればよかったか?』は、20年にわたり自身の家族にカメラを向け続けた作品だ。2024年12月に公開されるとすぐに口コミで大きな話題を呼び、動員数は16万人を突破。ドキュメンタリー映画として異例のヒットを記録した。
ここでは、映画に入れるのを断念したショッキングな事実も含め、藤野監督自身が率直に綴った著書『どうすればよかったか?』より一部を抜粋。
「お姉ちゃんを精神科に受診させようという気にはならなかったの?」監督が自身の父と対話する印象的なシーンは、どのようにして撮られたのか。映画終盤のシーンの裏側について綴った部分を紹介する。(全4回の4回目/最初から読む)
◆◆◆
どう終わらせるか?
当初の構成では、姉が精神科病院を退院して、外出も自由になり、以前より静かな時間を過ごす生活を始めるところで終わる予定でした。姉ががんで亡くなったことは蛇足だと考えていました。しかし、姉の葬儀の場面の父の行動も含めるべきと考えるようになりました。あの場面で父の考えが露わになったと思ったからです。
その場面だけを追加すると父の印象が悪くなってしまうので、さらに父が毎朝顔を洗った後、仏壇で母と姉の位牌に手を合わせていた様子を追加撮影し、編集に加えました。それでもまだ終わった感じがしませんでした。それはなぜかと考えると、どうして姉の精神科受診を拒んだのか、両親にまだきちんと聞けていないと感じていたからです。
既に亡くなってしまった母には聞けませんが、父にはまだ話を聞けるので、最後にもう一度、父にインタビューをしようと考えました。それまでに編集した映像を父にも観てもらいました。
インタビューは編集の締切の4日前、23年の5月に父が普段寝起きしているリビングで行いました。ベッドの横の壁には母と姉の遺影が並んでいます。家族4人が揃いました。
私は父に、姉の受診を拒んだ理由を3つ挙げて質問をしました。
最初に、「姉を病院から遠ざけたのは病院の治療に期待が持てなかったからですか?」と聞きました。
父は「違う」と答えました。
次に私は「では病院は治療するところだけど、虐待も行われる可能性もあるから受診させなかったのですか?」と聞きました。
それも父は「そうじゃないんだね」と答えました。父は車椅子を前後に動かしました。この動作は父が何かを考えている時、よくする動きです。
最後に(一番可能性があると考えていたことですが)、
「病気を恥じて、統合失調症だと診断を受け止めることができず、連れて帰ってきたのではないですか?」
と聞きました。私の質問を聞いている間、父は車椅子を足で前後に動かし続けます。
「それはママなんだ。パパにはそういうことを考えたことはなかった。ママは統合失調症だと言われることを極端に嫌ったんだよ」
と父は答えました。それで私は父に聞きました。
「パパはお姉ちゃんが統合失調症だと思ったことはなかったの?」
「ママの判断が激しくて、パパはその判断に従っていたんだ」
父は車椅子をゆっくりと前に動かし、10秒くらい考えて答えました。
「思ったことはあったね」
私は改めて父に聞きました。
「それならお姉ちゃんを精神科に受診させようと、本人が嫌がるなら説得しようという気にはならなかったの?」
父は答えました。
「ママの判断が激しくて、パパはその判断に従っていたんだ」
私は食い下がりました。
「ママを優先するあまり、お姉ちゃんの治療が何十年も遅れたのはしかたがなかったと言っているように聞こえるけど?」
父は、
「そういうような形になっていたね。確かにね。だけどママが判断しているんだからパパとしてはそれでいいというように過ごしていたよ」
と答えました。
これ以上聞いても同じ返事だと思ったので、私は質問を変えました。
「お姉ちゃんの一生は終わってしまったけど、もし(やり直す)機会があるなら、どうすればよかったと思います?」
父は車椅子に座り直しました。
「そうだね、やっぱり、失敗したとは思ってないね」
私は2通りの答えを予想しました。父の答えはその1つでした。
インタビューの最後、父は「(姉は)本当はもっと長く生きられたはずなのに残念だ」ということを口にしています。
インタビューの最後に「カット」と言った理由
長い時を経て、もしかすると父の考えは変化しているかもしれないという期待はありました。もう母もいないので、母のことは気にせず自由に話せるわけですし。もしくは、今までと同じことを言うかもしれません。そういう予想はしました。
しかし、「なぜ病院に行かせなかったのか」という問いへの父の答えは、「母が統合失調症に対する差別意識から隠そうと判断し、自分はそれに従った」でした。私は詰問にならないよう気を付けながら質問を追加しました。期待している答えが得られなくても、無理に聞くようなことはしないようにしようと決めて臨んでいました。
インタビューの最後、私が「カット」と言って終わります。自分ひとりでカメラを回していたのだから、本来ならわざわざ言う必要はなかった。
今思えば、「ようやく終わった」という感慨が混じっていました。姉の発症から数えると40年ほど、最初の録音から数えても30年以上が経過していました。文字通り、カット=終わりだったと思います。
姉を病院に連れて行かなかった理由を話してくれなかったとしても、その様子が記録できれば「人間というものはそういうものだ」と観ている人には届くのではないか。そう思いました。人間は特性上、最後には自分を守るものなのでしょう。自分の気に入る返事が出るまでさらに父を問い詰めることもできたかもしれませんが、それには意味はないと考えていました。









