ノンフィクションの世界では、綿密な取材と資料読みに裏付けられた第三者ノンフィクションが王道だという常識がある。自らの経験を記した当事者手記は、ノンフィクションとしては一段劣るという偏見があるように思えてならない。賞の選考会でも、当事者手記が候補作になると「客観的な検証ができない」という批判が必ず出る。しかし、そのような批判は、当事者手記の本質がわかっていない人によるものだと思う。
私の作家デビューは、鈴木宗男事件に連座して逮捕、勾留されたときの当事者手記『国家の罠』だ。取り調べは密室の中で行われる。このときの検察官とのやりとりが『国家の罠』の肝になるが、この内容についての客観的な検証は不可能だ。取り調べを担当した検察官が取材に応じ、私が書いた内容を「その通りだ」と認める可能性がないからだ。
当事者手記は、第三者ノンフィクションとは別のカテゴリーと考えた方がいい。ここで判定の基準になるのは、書き手の誠実性だ。私は、先崎学氏と面識がない。しかし、本書を読めば、先崎氏が誠実に文章を紡いでいることがわかる。
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