〈「お金がなくては天下は獲れない」豊臣秀吉が難攻不落「高松城」を1カ月余りで攻略できた“納得の理由”〉から続く
「百姓から天下人へ」という奇跡の出世を支えたのは、槍の腕前以上に鋭い「ビジネスセンス」だった。
歴史学者の磯田道史氏が、秀長が残した古文書から豊臣兄弟の驚くべき経済センスを解明。現代にも通じる、人心を掌握する「知恵の分配」とは? 新刊『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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お金儲けへの鋭い嗅覚
このように「銭」に着目して、秀長の文書をみていくと、なかなか興味深いことが書かれています。
たとえば但馬の山口郷の「百姓中」にあてた文書をみてみましょう。日付は五月四日付、年代は不明です。
〈壱所へ奉公人進入、悪党仕候由候、搦捕可令注進候、隠置候者、其在所之百姓共、悉可令成敗候、自然用儀於在之者、我等墨付にて可申付く候〉
まずは、「奉公人」、秀長の支配下で武家奉公していた者が侵入して、悪いことをしたとのことだが、搦め取って「注進せしむべく候」、こちらに連絡してほしい、匿う者があれば、山口郷の住人でもことごとく「成敗」する、殺します、と書かれています。これは悪いことをした者は秀長が責任をもって処罰する、という治安の維持を約束したものです。そして「我等墨付にて可申付候」、秀長の判のあるものだけが命令として効力を持つ、と定めています。
普通の武将からの書状ならば、これでおしまいです。秀長の面白さは「次」と記された後半部分にあります。
〈次誰々成共、宿をかり候者、一人ニびた五文、馬一ツニ十五文宛取可申候、令用捨候ハゝ、曲事候也〉
次に誰でも、宿を借りた者からは一人当たり五文、馬一頭あたり十五文徴収せよ、というのです。用捨して無料で宿泊させたら、「曲事」、けしからぬことなので罰する、と税的な宿泊費徴収のすすめです。山口郷は生野銀山に近い、但馬と播磨を結ぶ宿場です。当時、宿場が栄えてとりやすい税は、家一軒あたりに課税する棟別銭でした。治安が回復し、戸数も増えていけば、税収もアップします。
このような文書は多くはありません。私はこうした儲けの着眼に、他の武将とは異なる、豊臣兄弟の経済センスを感じます。単に命令を徹底させ、治安を回復するだけではなく、金稼ぎにも結び付ける発想があるのです。後に述べますが、秀長は「奈良借」と呼ばれるローンをおこない、莫大な資産を形成します。その端緒は、但馬時代からすでに現われていたといえるでしょう。
もうひとつ、非常に面白い秀長文書を紹介しましょう。
天正八年五月十五日付で、但馬を流れる円山川沿いの市左衛門ほか三名にあてたものです。
〈今日十五日より、於何方ニも、あゆ取可申候、不可有異儀候、次誰ニあミをかり候共、かし候ハハ可為曲事候、此四人之外之者召つれ候事、不可有□、仍如件〉
今日、五月十五日から、(あなた方四人は)どこで鮎を取っても構いません。その鮎漁に対して「異儀あるべからず」、誰も邪魔をしてはならない。次に、鮎を取る網を誰に借りてもいいが、誰かに網を貸すことは「曲事なるべし」、貸してはいけない。四人以外の者を召し連れて漁をするのもいけない、としています。
つまり、四人の者に特権として鮎漁を許可しているのですが、興味深いのは、鮎を取ることができるのはこの四人だけ、という点です。つまり彼ら四人が、ほかの誰かに鮎を取っていいよ、と許可する権利は与えていません。鮎漁を許可できるのはあくまで秀長一人なのです。
この鮎漁を許された四人は名字もないことから、足軽などとして参戦し、個人的に手柄を立てた人たちかもしれません。その功績は、領地を与えるほどではないけど、何かを与えたいと考えると、「鮎を取る権利」という絶妙な報酬を与えています。
与えても、秀長の損にはあまりなりません。一方、貰った者の喜びは大きいでしょう。出世する人は自分には損がないが、人が喜ぶものを思いついて与える才能をもっているものです。鮎を取って売れば、結構な収入になるでしょう。
「ギブ・アンド・テイク」と「知恵の分配」
さらに秀長の特徴といえるのは、事前に起こりうる事態を想定して、具体的に指示を下していることです。彼らが網を持っていなかったら困るだろうから借りるのはいいけれども、網を貸したり、他人を漁に連れてきたりするのはダメ。このリアルな想定力は、いかにも現場を知る者という感じがします。おそらく長い農村での生活のなかで、こうした権利の線引きが、どのように効力を発揮するか、よくわかっていたのでしょう。
私はここにも、豊臣兄弟らしさを感じます。彼らには当然、もともとの家臣はいません。では、どうやって自分たちのために働いてくれる人々を集めていくか。そのキーワードは「ギブ・アンド・テイク」であり、「知恵の分配」です。何かをしてもらったら、それに対して、相手が満足するような、もらったものに見合う、あるいは上回る報酬やサービスを与える。お得な知恵を与える。それによって人心を掌握し、忠誠心を高めていったのです。
そのとき、豊臣兄弟が提供したのは、銭や領地だけではありません。彼らは「銭の儲け方」のアイデアをすぐに思いつく天才でした。そして、その知恵を、自分たちについてきてくれた人々に分け与えたのです。アイデアは低コストのプレゼントです。与えれば尊敬が返ってきます。豊臣兄弟はそれで天下に近づいたのです。
本能寺の変までに、秀長が残した手紙はわずか二十通。その内容もほとんどは断片的なものばかりですが、そこからだけでも、彼ら豊臣兄弟の特異な才能、そして彼らが置かれた時代状況がうかがえます。








