72歳、年女を迎えるマリコ。日本大学理事長の任期も最後の一年となりましたが、まだまだ獅子奮迅の働きです。
毎日日大に通うマリコは理事長として経団連の新年祝賀会に出席し、オープンキャンパスでは全国のキャンパスを駆けめぐる。そんな中、SNSの誹謗中傷やオールドメディアの現状、長嶋茂雄さんの訃報、そして自身の“トイレ問題”に心を痛める日々…。
でも凹んでいたらマリコじゃない。本当にツイているマリコの今が分かる『週刊文春』の人気ご長寿連載エッセイ、『マリコは国宝を観た!!』より、大ブームを予想した映画『国宝』について綴った、「「国宝」観ました」をご紹介します。
「国宝」観ました
もはや社会現象とまでなっている映画「国宝」。
やっと行ってまいりました。
こういうことを言うと自慢になるが、私はこの映画を誰よりも早く観る権利と義務があると思っていた。
なぜなら吉田修一さんの原作が中央公論文芸賞の候補作にあがってきた時、あまりの面白さにほとんど陶然となり、これ以外にはないと授賞を強く推したからだ。また私は昔からずっと、歌舞伎を見続けてきた作家でもある。であるからして、この「国宝」が映画になると聞いた時、驚き喜び、試写会から行かねばと思っていた。しかし日々の忙しさについ追われてしまっているうちに、映画は大ヒットとなっていく。今では友人が集まると、
「観た?」
と聞くことが多い。グループLINEでもこの映画について議論されることが増えた。
それなのにこの私は映画館に行くことが出来ない。土日もずーっとスケジュールが詰まっている。これではラチがあかない。あれこれ考えているうち、六月の終わりの土曜日がこれといって何もないことを発見。
「夕方からの回を観ない?」
と誘ったところ、友人も行く、行くとのこと。でもね、と彼女は打ち明ける。
「トイレが心配なの」
「私もそうよ」
「三時間、もつかしら」
「私は前回の『ミッション:インポッシブル』、途中でいったん離脱したけど、今度は大丈夫。三時間あっという間だって、みんな言ってたもの」
とはいうものの念のため、すぐにトイレに行きやすい通路側の二席を予約した。同じようなことを考えている人は多いようで、予約開始日というのに、通路の方からびっしりと埋まっているではないか。
そんなことより肝心の映画であるが、噂にたがわぬ面白さであった。まず映像が美しい。撮影監督はチュニジア出身ということであるが、歌舞伎の舞台での色彩の素晴らしさを、あらためて私たちに見せてくれる。
そして昭和三十年代の町並や、人々の服装、劇場のたたずまいの色調が落ち着いていて、自然でやわらかいノスタルジアをかもし出してくれるのである。
そして何よりもこの映画の大ヒットの理由を、
「歌舞伎界のことを、一般の人たちは知りたがっているから」
と書いているところがあり、これはあたっているかも。
かねがね不思議だったのは、世の中のほとんどの人は歌舞伎を観たことがない。それなのに團十郎さんや染五郎さんのことはみんな知っている。大変な人気者だ。そしてお家騒動だの、隠し子だの、離婚だのスキャンダルが出るたびに、マスコミもこぞって書きたてる。
何も知らないけれど、ものすごく知りたい摩訶不思議な世界。それが歌舞伎ではなかろうか。令和の今も因習が渦まいていて、役者さんは家を継ぐのがあたり前。子どもの頃からものすごいお稽古に通わされる。どんな人気のタレントさんや女優さんも、歌舞伎の人の奥さんになると、そのとたん「梨園の妻」となり、着物を着てロビイに立つことになる。つまり歌舞伎界というのは、ものすごい引力があるらしい。
現にこの映画の公開中、あの中村勘三郎さんのご子息で、人気女形の七之助さんが、京都の元舞妓さんと結婚された。
尾上菊五郎さんと菊之助さんが襲名をされ、直後には大阪の道頓堀川での「船乗り込み」という古式ゆかしいパフォーマンスがあった。
「映画の世界と同じだ」
と多くの人は感じ入ったに違いない……。
さまざまなことを甦らせた映画が終わった。満席の客の一部から、拍手が起こった。こんなことは初めてである。
そして三時間無事に見終わることが出来た私は、トイレへと向かう。後ろからは、
「吉沢亮すごいなあ」
男性が連れの人に話しかけているのが聞こえた。そう、吉沢亮さん、すごい。日本舞踊を習った者(名取です)からすると、「道成寺」の踊りの振りなどは、とても一ヶ月や二ヶ月の稽古では出来なかったと思われる。
「国宝級イケメン」ということで、対談させていただいたことがあるが、近くで見ても息を呑むような美男子ぶりだった。横浜流星さんもそうだが、この映画でイケメン俳優のグループから二馬身抜きん出たと思う。
また皆が言っていることであるが、田中泯さんの背筋がざわざわするような凄さ。白塗りの老優のクローズアップされた顔のグロテスクな迫力。圧巻であった。
が、ちらっとだけ出てくる本物の歌舞伎役者も負けてはいない。中村鴈治郎さんが煙草を吸いながら、軽く主人公をたしなめるシーンは、短いながらあれだけで歌舞伎座の楽屋の空気が伝わってくるし、歌舞伎界の重みも観る者に感じさせてくれる。寺島しのぶさんについては当然ながらあまりにもうまい。とにかく演技についても第一級の方々が集結しているのであるが、私は芹澤興人さんに深く心うたれた。名門のおうちで、献身的に仕え老いていく弟子がスクリーンにいたからである。ああいう方を何人も見てきた。
ところで友人から、
「『国宝』を観に行ったら、ハヤシさんが『藤娘』を踊られた時のことを思い出しました」
というLINEが。あれは触れて欲しくない過去である。まだ踊りを習いたての頃で、体重も今より十キロぐらい多かった。
最近團十郎さんと対談したら、当時高校生だった彼は、踊りのお師匠さんの関係で国立劇場で私の「藤娘」を観ていらしたようだ。
「あれはどういう精神構造でやったの?」
きつーいご質問が。本当にすみませんでした。「国宝」を観て、あらためて反省した。






