
「好きでもない女と結婚するのは絶対に嫌だ」「自分たちは宮家に生まれて、あれこれ苦労した」「あの女王さまでは、子どもをお産みになることは出来ないでしょう」――。
さまざまな立場に葛藤する皇族を描いた林真理子さんの最新作『皇后は闘うことにした』には、読む者を圧倒する“心の内”が綴られます。皇族の内面にどこまでも深く踏み込んだ著書の誕生秘話に、林さんと長年親交の深いNICリテールズ株式会社・昼間匠さんが迫ります。

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“美智子様ごっこ”で遊んだ保育園時代
──昨年は彬子女王『赤と青のガウン』も大ヒットし、皇室への関心がますます高まっています。林さんは「皇室マニア」を自称されていますが、いつから興味をお持ちなのですか。
林 最初のきっかけは、やはり美智子上皇后です。山梨県の田舎の保育園に通っていたころ、皇太子・美智子様ご成婚のニュースをテレビ中継で見たのです。「世の中にこんなにも美しい方がいるのか」と幼心に衝撃を受けました。美智子様ごっこをして遊んだりもしましたね。
今、特に関心を持っているのは、明治から昭和の初めにかけての日本の皇室です。近代化の中で、ファッションなどの様式はヨーロッパの王室に倣った部分も沢山あり、さながら貴族社会で非常に興味を惹かれます。
──初めて書かれた歴史小説も、皇室ものでしたね。
林 1990年に刊行された『ミカドの淑女』ですね。私は82年、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビューした後、小説を書き始め、86年に直木賞を受賞しました。そのころは、林真理子といえば若い女性の心理を描く作家という評判でしたが、ある編集者が「林さんは軽快なようで重厚な文章を書けるから、歴史小説に挑戦してはどうか」と提案してくれたのです。ただ、当時の私は資料を読み込むような勉強が嫌で嫌で、段ボールで大量の資料が送られてきても、最初は開きもしませんでした。

そのうち、本のコピーにマーカーが引かれて送られてくるようになり、「ここだけは読んでください!」と言われて……。渋々読み始めたら、とても面白かった。『明治天皇紀』という、明治天皇の側近たちが残した記録などを基に書かれた、天皇の生活実録でした。そこに登場するのが下田歌子という宮内省御用掛を務めた人物で、彼女に興味を抱いて『ミカドの淑女』を書いたのです。初めて歴史を扱った作品でしたが、「これから歴史を材にとって書いていけるかもしれない」と思えた一作でした。
婚約後、急に態度を変えたプリンスに……
──久しぶりに皇室をテーマにされた『李王家の縁談』が2021年に刊行されました。
林 梨本宮伊都子妃が、娘の方子女王を、李王家の李垠王の元へ嫁がせる物語です。私からこの縁談について書きたいと編集者に言った憶えがあります。方子女王は“泣く泣く嫁いだ”という視点で映像化もされていて、そのような見方が優勢だったのですが、執筆する頃には新たな資料も見つかっていました。どうやら、伊都子妃が「どうにかして娘を李王家に嫁がせたい」と言っていたようで。通説とされていた政略結婚ではなく、伊都子妃は自ら望んで娘を韓国の皇太子に嫁がせたのだ、と考えたのです。『梨本宮伊都子妃の日記』に、どこへ行った、何を食べた、といった日常の様子が克明に書かれているのも面白くて。当時の宮妃がどのように暮らしていたかがよくわかり、執筆の大いなる助けになりました。

──『李王家』刊行直前に、『皇后は闘うことにした』冒頭に収録されている「綸言汗の如し」を発表されました。
林 スピンオフ短篇を、という依頼を受けて書いたものです。
もともと香淳皇后の兄である朝融王に関心を持っていたんです。香淳皇后は、後に昭和天皇となる裕仁親王との婚約が内定していたものの、「色覚異常の家系である」と元老・山縣有朋に婚約辞退を迫られた。いわゆる「宮中某重大事件」ですね。香淳皇后の父である久邇宮邦彦王は少し変わった人で、事件の際「もし破談となるなら、娘を殺して私も死ぬ」とまで言ったそうです。しかし、彼の長男である朝融王がある女性と婚約した後、急に気が変わって「あの女と結婚するのは嫌だ」と破談を望んだときには「それなら仕方ない」とでも言うような、全く異なる態度を取った。この出来事の面白さをどうにかして伝えられないかと、事実を積み上げながら描いていきました。
──全5作収録されている『皇后は闘うことにした』の中でも、私の一押しの一篇です。男性が最も好みそうな作品だと感じました。見初めた相手が嫌になってしまったけれど、それでも素敵な人だったなと思い返す……という心の動きは、今の読者も共感しそうです。
林 この破談には後日談があって、そこまで書けばよかったな……という後悔も実はあります。昔は、皇族や華族のお姫様がテレビや雑誌によく出ていました。破談となった酒井菊子さんも、後年マナー評論家としてテレビで活躍されていましたし、お姫様がアイドルだった時代があったのです。
複雑な家族関係にある女性の心理を描きたかった
──2作目は「徳川慶喜家の嫁」。皇族ではなく華族ですが、やんごとなき方々であることは間違いありませんね。
林 徳川慶喜については『正妻 慶喜と美賀子』という作品を書いているので得意分野です。この“徳川慶喜家の嫁”とは、有栖川宮家のお姫様である實枝子妃のこと。夫の徳川慶久を早くに亡くすのですが、この一家について、長く疑問に感じていたのが、次女・喜久子様と三女・喜佐子様の嫁ぎ先でした。姉は高松宮家に嫁いで宮妃となり、妹は越後の元藩主、榊原家の当主に嫁ぎます。姉妹の遇され方の違いを不思議に思い、調べるうちに、三女は側室の子どもであるという話に触れました。皇族としての誇りを持つ喜久子妃の母親は、夫の遺した血のつながらない娘をどう育てていったのか……と考えました。複雑な家族関係の中にある女性の心理を描きたいと思ったのです。
──そして表題作「皇后は闘うことにした」。タイトルもインパクトがありますね。
林 宮島未奈さん『成瀬は天下を取りにいく』がとても売れているのに倣い、攻めた題が良いかなと思って付けました(笑)。
大正時代は15年足らずと短い期間ですが、文化的な魅力に溢れた時代だと思います。大正4年に生まれ101歳で亡くなった私の母も、一番楽しくて幸せな時代だったと言っていましたね。雑誌「赤い鳥」が創刊されたり、童謡がたくさん生まれたり、初めて子どもが尊重された時代だった、と。大きく世が変わりつつある中にあって、貞明皇后は身体の弱かった大正天皇を懸命に支えました。一夫一婦制が世界の常識となり、大正天皇も生涯側室を持っていません。その分、貞明皇后には「皇太子を産まなければならない」というプレッシャーが大きくのしかかったでしょう。それでも四人の皇子をお産みになります。
一方で、貞明皇后はご家族の問題にも直面されます。皇后は幼少期に高円寺の農家に預けられ、愛情をたっぷり受けて過ごされた背景を持ちますが、皇室にお入りになると、家族の愛情を求めるのが難しい現実が立ちはだかります。夫である大正天皇の愛情不足と、自らの子と会うことも難しい生活に悩みながら、ご自身で道を切り開いていかれた。大正時代は、強い女性の力が働いていた時代でもあったのです。
昭和初めの華やかな時代を描いて
──林真理子ファンとしては、『ミカドの淑女』の主人公である下田歌子が登場するのも嬉しかったです。
林 彼女は、大正天皇の后候補を決めるのにも深く関わっているのです。貞明皇后が華族女学校(現在の学習院女子中等科・高等科)に通われていた際に学校へ出入りし、大正天皇の后にふさわしい女性を探した人物でもありました。下田歌子は現在の実践女子学園の創設者で、学内では神のような存在として扱われているそうです。『ミカドの淑女』ではスキャンダラスに書いて卒業生から少々抗議をいただいたので、今作では少し良い役で出さなければ、という気持ちもありました。
──短篇集の中で格別な思いのある作品はありますか。
林 最後に収録されている「母より」は、特に思い入れがありますね。貞明皇后の第二皇子である秩父宮雍仁親王が登場し、「皇后は闘うことにした」にもつながる一作です。雍仁親王に嫁いだ勢津子妃は、外交官の父・松平恒雄(会津藩主・松平容保の六男)を持ち、海外でのびやかに生まれ育ちます。当時珍しかった、英語の堪能な帰国子女で、お二人の出会いも、当時勢津子様がお住まいだったワシントンでした。そして、裕仁親王を除く3人の皇子の結婚相手選びには、貞明皇后が深く関わられ、最初に自分でお選びになったのが勢津子妃なのです。しかし、日本の上流社会とは全く異なる文化で育った方が皇室にお入りになると、想像を絶する苦労があるのです。ご婚姻後は子を生すことが叶わず、結核に罹った晩年の秩父宮様を御殿場で看病されます。どれほどお辛かったことか。勢津子妃は今ではあまり知られておらず、残念だなという思いがありました。短篇集の巻末の「あとがき」でも書きましたが、妃のすばらしさを今の人に伝えられたらという気持ちを込めて執筆しました。

また、第三皇子である高松宮宣仁親王は、「徳川慶喜家の嫁」の次女・喜久子様と結婚します。婚姻後すぐ、昭和天皇の名代として、妃を伴って欧米を周遊されています。14ヶ月にもわたって各国を回る、華やかなことこの上ないツアー。娘の不在を守る実枝子妃の寂しさをまとったお姿も「徳川慶喜家の嫁」に描きましたが、昭和の初めの、非常に良い時代を象徴する出来事だったと思います。
作家としては「開店休業」状態
──『李王家の縁談』『皇后は闘うことにした』の2冊を読むと、現代皇室への理解も深まるように感じます。
林 明治天皇の娘を嫁がせるため、宮家がいくつか創設されますが、それが現在の皇室の成り立ちにつながっています。昨今、皇室の在り方を巡って様々な議論がなされていますが、そのバックボーンである宮家の歴史を知った上での議論が必要だと思います。

──やんごとなき方々も、我々と同じような悩みや感情を抱かれるということにも気づかされました。
林 我々庶民とも共通する心情を捉えながら、しかし皇族としての矜持をお持ちになっているというバランスはうまく書かないといけません。やはり、庶民とは異なる回線を通して、世界を見ていらっしゃるはずですから。皇室を扱ったこの2冊では、意識的に格調高い文章を用いています。日本大学の理事長に就任して、ここ3年間は非常に忙しい毎日で、作家としては開店休業状態でもありました。作家は職人と同じですから、感覚を一度忘れてしまうと、取り戻すまでにものすごく時間がかかります。ゴールデンウィークや夏休みの合い間を縫って短篇を書いて、以前よりは執筆に時間もかかりましたが、何よりも、書くことがすごく楽しかった。やはり大好きな皇室をテーマに書いたからだと思います。
──読者としては、次作も待ち遠しいです。
林 理事長の仕事に加えて、忙しくなる理由は会食です。少し控えたらいいのかもしれませんが、人と会ってご飯を食べることが大好きなので、こちらは譲れませんね。長篇を書く際には、編集者と一緒になって勉強をします。『西郷どん!』を書いた際にも、学者の方を招いてチームを作り、何度も勉強会を開いたんです。『李王家の縁談』『皇后は闘うことにした』でも、相当資料を読み込みました。現在水面下で準備を始めている作品もあるので、今年は小説の執筆に一層取り組んでいきたいです。
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