はじめに──即今の道具
落合 陽一
三十代は日本のことをやる。そう決めたのは二十代の終わり頃だった。
二十代後半、筆者は国際学会で論文を発表し、メディアアートの展示を世界各地で行う日々を送っていた。計算機自然(デジタルネイチャー)の構想を練っていた。ユビキタスコンピューティングの先にある世界像──物質と計算が循環し、物理世界とデジタル情報環境が相互に浸透して、「自然」と「人工」の二元的境界そのものが意味を失う状態。波動制御や音響浮揚の研究に没頭し、英語で書き、英語で話していた。しかしどこかで気づいていた。自分が立っている地面のことを知らない。計算機によって自然はどう変わるか、と問いかけながら、その「自然」が日本語でどんな歴史を背負った言葉なのか、考えたことがなかった。前を向いて走りながら、足元を見ていなかった。
三十歳になるとき方向を変えた。日本のローカルの価値を自分の手で掘る。伝統や思想を身体にインストールしながらアウトプットし続ける。そう決めて、『日本再興戦略』と『日本進化論』を書いた。あれが三十代のマニフェストだ。必要なのは足元を掘ることだった。高山の日下部民藝館では二〇二一年から五年連続で個展を開き、重要文化財の空間で民藝と計算機自然を交差させた。麻布台ヒルズにヌル庵という計算機の茶室をしつらえた。そして万博だ。大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーとしてシグネチャーパビリオン「null2(ヌルヌル)」パビリオンの構想から建設、運営まで携わった。三十代の大半を万博に費やしたと言っていい。
民藝館の暗い座敷、二畳の計算機の茶室、万博のパビリオン。場所は違っても問いは同じだった。計算機自然の時代に、この土地の叡智はどこで息をしているのか、手の技に回帰しながら、同時にピクセルの向こう側を覗き込む。その往復の十年。
三十代も終わりに差し掛かるいま、万博も文化交流使の仕事も一区切りがついた。そのタイミングで先崎彰容氏との対話が始まった。思想史家に問い詰められるなかで、「日本」がこれまでよりずっと鮮やかに浮かび上がってくる。たとえば先崎氏は三島由紀夫の「からっぽな国」を引きながら、その空虚は弱さではなく構造だと言い切った。筆者が万博で感じていた手応えのなさと、三島が市ヶ谷で叫んだ絶望が、同じ根から出ていると指摘されたとき、十年分の経験が別の光を帯びた。筆者の直観がどこまで歴史的に根を持ち、どこから先が宙に浮いた独りよがりなのか。思想史家の問いが、それを容赦なく仕分けてくれた。結果として生まれたのが本書である。体系的な「日本論」ではない。二人の人間が互いの言葉に戸惑い、ときに噛み合わず、それでも考え続けた痕跡の記録だ。その対話のなかで、繰り返し立ち現れた主題がある。道具だ。
道具は、使い込まれると自然になる。ヌル庵を作りながら、日下部民藝館の暗い座敷で民藝の器を見ながら、そのことを繰り返し考えた。茶碗は何十年もの掌の温度を記憶し、貫入に時間を溜める。鋸は挽き手の体癖を刃こぼれに刻む。囲炉裏の自在鉤は煤で黒光りして、誰もそれを人工物だとは思わなくなる。柳宗悦はこれを「用の美」と呼んだ。「凡てが自然のままである。ありのままにして完璧である」。柳がここで言う「自然」は英語のnatureではない。もっと古い意味の、おのずからそうなる、という状態のことだ。柳は無名の工人に他力を見た。個人の天分ではなく、土地の土、窯の火、先人から受け継いだ手の動き、そうした力の総体が器を生む。工人の「はからい」が消えたとき、器は工人を超える。親鸞の他力を、柳は器の美学として生き直した。
寺田寅彦のことを、ここで思う。(※)物理学者にしてエッセイスト。科学と芸術のあいだに壁を見ない人だった。「この二つの階級は存外に近い肉親の間柄であるように思われて来る」と書いている。その二重性が、ずっと気になっていた。
寺田は一九二二年に「茶碗の湯」を書いた。一杯の茶碗の湯気から出発して、対流を論じ、海流にたどり着き、モンスーンに飛ぶ。具体の一点から普遍に至る跳躍。この方法を可能にしたのは、寺田の自然観だった。彼は晩年の「日本人の自然観」で、古代日本人が「自然」という抽象概念を持たなかったことを指摘している。日本人は「天地」「山水」「山河草木」と呼んでいた。概念ではなく列挙。抽象ではなく具体の集積。八百万の神々とは、抽象を拒否する精神の別名だろう。「天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に浸み渡っている」と寺田は書いた。この態度は、計算機自然が目指す脱人間中心性の百年前の予告ではないか。寺田自身はそうは言わなかっただろう。彼はただ、自然に恋していた。
「自然」という同じ漢字を、日本語と中国語は別の意味で読む。本書の中心にある問題は、ここにある。中国語の「自然(zìrán)」は老子の「道法自然」に根を持つ。道があり、天があり、地があり、人がある。階層がある。体系がある。許煜はこの構造をcosmotechnics、「技術的活動を通じた宇宙的秩序と道徳的秩序の統一」と定義した。許煜の仕事は重要だ。技術が西洋のtechnēだけではないということ、各文明に固有の技術観があるということを示した。しかし計算機自然をこの枠組みの「日本版」として回収されることには抵抗がある。日本語の「自然」にはもうひとつの読みがある。「じねん」。親鸞が端的に言っている。「自はおのずからという。行者のはからいにあらず」。「はからい」を手放したときに開かれる存在のありかた。「じねん」は名詞ではない。「おのずからそうなる」という運動そのものだ。中国の「自然」は「道」に帰属する。技術は道に沿えば正しく、逸れれば堕落する。体系のなかに位置がある。日本の「じねん」には帰属先がない。おのずからそうある、ということが、どの体系にも回収されないまま、そこにある。
丸山眞男は日本の歴史意識の底層に流れる動詞を探った。それは「つくる」でも「うむ」でもなく、「なる」だった。「つぎつぎになりゆくいきほひ」。誰かがつくるのではなく、おのずからなっていく。この「なる」は仏教が来ても儒学が来ても西洋近代が来ても消えなかった。丸山の言い方では執拗低音(バッソ・オスティナート)。主旋律は変わっても、低音は鳴り続ける。明治にnatureの訳語として「自然(しぜん)」が定着したとき、「じねん」のこの奥行きは翻訳の犠牲になった。柳父章は『翻訳の思想』でこの過程を丹念に追い、漢字の「カセット効果」と呼んだ。深い意味が入っているはずだという漠然たる期待感だけが残り、中身は空になる。「自然」という語がまさにそうなった。筆者が「計算機自然」と名づけたとき、この忘却に抗っていたのだと思う。計算機自然の「自然」は「しぜん」であると同時に「じねん」でなければならない。その二重の読みを引き受けるところに、本書の出発点がある。
「即今の道具」という言葉を、筆者は本書の鍵として差し出したい。「即今」は禅語で、いま・ここ。過去も未来も括弧に入れて、この一瞬に全存在を賭ける態度のことだ。茶の湯の「一期一会」は即今の倫理的な表現だろう。茶室では、亭主が選んだ道具がその日の季節と客との関係のなかで一回かぎりの意味を帯びる。亭主の手から客の手へ茶碗が渡されるとき、器と人と季節が一瞬だけ重なる。その茶碗は昨日も明日も存在するが、「この茶碗」としてはいま・ここにしかない。即今とは、道具が文脈を得て唯一のものになる瞬間のことだ。計算機は即今の道具たりうる。膨大な過去のデータを参照し未来を予測するが、その計算は常にいま・ここで走る。生成AIが返す言葉は、同じプロンプトでも二度と同じにはならない。そして十分に発達した計算機は道具であることを忘れさせる。茶碗が茶室で場の一部になるように、計算機も環境に溶け込んで自然化する。ヌル庵でやろうとしたのもそれだった。フレネルレンズとLEDの光が行き交う二畳の茶室で、計算機が消え、ただ場だけが残る瞬間があった。道具が自然になるとき、「じねん」の新しい位相が開かれる。丸山の言う「なる」が、計算のなかで息を吹き返す。
ただし日本的自然観を計算機と接続することには、テクノ・オリエンタリズムの危うさがある。寺田がそのリスクと無縁だったのは、物理法則という普遍言語で日本の自然を記述したからだ。金平糖の角は結晶成長の普遍的事例であり、茶碗の湯は流体力学の入口だった。ローカルな具体と普遍的法則が出会う場所。日本の固有性を語ることは、特殊性に酔うこととは違う。寺田が教えてくれたのは、固有の経験を普遍に開く方法だった。筆者が計算機自然で目指しているのも、そういう場所だ。
先崎氏との対話は、この危うさに対する歯止めだった。メディアアーティストが見る百年先と、思想史家が見る百年前とでは、同じ言葉でも重心が違う。「自然」も「道具」も「日本」も、二人のあいだで別の手触りを帯びた。宣長の「もののあはれ」から『古事記』の圧縮へ、生成AIのプロンプトから死者のデータと新しい霊性へ。話題は飛んだ。噛み合わないことも少なくなかった。しかし噛み合わない場所にこそ考える余地があった。それが対談の正直さだと思う。底を流れる水脈はひとつだ。「じねん」という地下水が、計算機の時代にどこへ湧き出るのか。
本書は四つの章で構成されている。第一章では、三島由紀夫の「からっぽな国」を起点に、アイデンティティの喪失と再生を問う。第二章では、プラットフォーマー帝国主義と民藝の思想を突き合わせ、「デジタル小作人」の現状に抗する回路を探る。第三章では、『古事記』から宣長、空海から生成AIへ、日本語そのものの構造に宿る思考の型を掘り起こす。第四章では、デジタルネイチャーと死生観を交差させ、計算機の時代における新しい霊性の可能性に踏み込む。どの章も結論を急がない。結論よりも、二人の言葉がすれ違い、交差する過程にこそ、読みどころがある。
寺田が茶碗の湯に海流を見たように、筆者はピクセルの明滅に「おのずからあるもの」の気配を見ている。三十代をかけて手と足で掘ってきたものが、この対話のなかでようやく言葉になろうとしている。その気配を読者に渡すこと。本書はそのための、即今の道具である。
※筆者の飼い猫トラ彦は寺田寅彦に因む。漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月のモデルが寺田で、漱石門下の文人にして理化学研究所の研究員だった。
「はじめに──即今の道具」より





