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落合陽一「さかのぼり日本のアート」第一回 画家への転向と、アートの終着点──ウォーホル、三島、万博(ゲスト 横尾忠則)

文學界10月号

落合陽一「さかのぼり日本のアート」第一回 画家への転向と、アートの終着点──ウォーホル、三島、万博(ゲスト 横尾忠則)

「文學界 10月号」(文藝春秋 編)

二〇二五年大阪万博はデジタルアートが席捲するだろう。
それは一九七〇年の岡本太郎「太陽の塔」とどう繋がるのか――。
メディアアーティストとしてデジタルとアナログを往来する落合陽一が、アートの先達者たちを訪ねて、その原点を探る連続対談企画。
第一回は横尾忠則を迎え、三島由紀夫や寺山修司の記憶、大阪万博への反発、難聴が作品に与えた影響など、横尾の記憶に分け入り、そのアートの深奥に触れる。


 落合    先日、写真展「質量への憧憬」を開催しました。これはそのときの作品集です。

 横尾 ありがとうございます。あとでじっくり拝見します。

 落合 僕の世代というのは、一つ上の世代とは少し違うところがあると考えています。一つ上というのは十二歳ぐらい上の世代で、チームラボがディスプレイとデジタルデータを使ってデジタルアートをやっていたり、ライゾマティクスがモーションキャプチャーやドローンを使ってシステムで表現していたりしますが、僕の世代はもう少しアナログ寄りだと感じています。デジタルが世の中に幅広く普及し始めた時代に育ったため、モノの手触りやテクスチャーを意識したり、統合されたものよりは発酵的でアニミスティックなものに惹かれたり、上の世代とはそのあたりに感じ方の違いがあるかもしれない。そこで六〇年代を振り返ってみると、天井桟敷だとか、横尾さんのアートだとか、細江英公さんの撮った三島由紀夫さんのポートレイトだとか、昭和の作品にすごく影響を受けていると思いました。

 バブル以降に出てきたものを考えると、たとえばAppleの製品などでも、つるっとして研ぎ澄まされた均整のとれたものが増えてきたと感じます。

 今はそのようなデジタル文化、例えばカリフォルニアから発信された文化が強く、GoogleやFacebookやTwitterが象徴的ですが、そういったインターネット上にあるメディアのデザインは簡素だと感じます。その揺り返しとして、生命感のある表現が世の中に出始めていて、それは六〇年代や七〇年代の日本の表現とも親和性がある。横尾さんの作品を観ていると非常に共感するものもあり、話を伺ってみたいと思ったんです。

 横尾 僕からは言葉では何も出てこないと思います(笑)。出てくるとすれば、作品という形でしか出てこないんですね。僕も、一世代上はモダニズム一辺倒で、それに対してアンチモダニズムを指向したんですが、落合さんがそんな僕達に共感したというのは輪廻(リンネ)ですね。

文學界 10月号

2019年10月号 / 9月6日発売 / 定価970円(本体898円)
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