時が経たねば明らかにならぬ真実もある。
この本は、現在でも小型の国語辞典で人気を二分する『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を作った男、見坊豪紀(けんぼうひでとし)と山田忠雄を追った記録である。本書では、「ケンボー先生」と「山田先生」として記述されている。
実はこの2冊の辞典はおなじ出版社・三省堂から出版されている。なぜか。もとをたどれば、三省堂には戦中に出版された『明解国語辞典』という大ベストセラーがあった。国語学者金田一京助を編者としたこの辞典は、実際のところ京助先生は名義貸しにすぎず、金田一の弟子のケンボー先生がほぼひとりで編集したと言われている。ケンボーに請われ、語釈(語の意味)のチェックや語の選定に協力したのが、山田忠雄。そしてこの山田も、ケンボーとおなじ年に金田一京助の弟子となった、ケンボーの同級生だった。2人はこの時、まだ20代。現代小型国語辞典の親亀(おおもと)とされている『明解国語辞典』は辞書作りもはじめての、若き学者の手によって成ったのである。
順調なスタートを切ったかに見えた『明解国語辞典』であったが、ケンボーは「現代で使われている言葉こそ辞典に載せるべき」と、改訂に向けて用例採取に没頭する。朝起きてから夜寝るまで、目に入るすべての言葉で、耳馴染みのない新語やカタカナ、巷で使われていながら既存の辞典に載っていない言葉を採取していく。本書で「ケンボー先生」とカタカナ表記されるゆえんは、まさにこのケンボーのデータ至上主義、また簡潔で無駄なく、わかりやすい語釈を信条とする理系的編集方針を表したものである。生涯で145万にも及ぶ用例カードを作成したケンボーの作業は、周囲には終わりのない戦いにも見えた。これでは改訂はいつまで経っても遅々として進まない。そんな折、ケンボー先生の助手的ポジションを担っていた山田先生は、『明解国語辞典』の改訂版ではなく『新明解国語辞典』というまったく新しい辞典を世に送り出した。山田先生の編集理念は、ケンボー先生のそれとはまったく別のものだった――。周囲には良き理解者であり協力者であったと思われていた同級生が、ある出来事をキッカケにすれちがい、喧嘩別れのような形で別々の道を歩んでいく。
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