《有病率約1%》統合失調症の姉が大声で叫び続け…“ものすごいインパクト”の映像をなぜ公開したのか?「姉の尊厳を考えたら、本来使わないほうがいい」〉から続く

 統合失調症と思しき症状が現れてから25年間、精神科を受診できなかった姉。病気を認めず、南京錠をかけて姉を家に閉じ込めた両親。自身の家族にカメラを向けた藤野知明監督によるドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』が書籍化されました。

 映画と同様に大きな話題を呼び、今年1月の刊行以降、版を重ね続けている書籍『どうすればよかったか?』の著者・藤野さんと、〈ケアをひらく〉シリーズの編集を通して長年ケアの問題に関心を持ってきた白石正明さんが、本作について率直に語り合った特別対談を公開します。

(全2回の2回目/1回目から読む

藤野知明『どうすればよかったか?』 ©佐藤亘/文藝春秋

◆◆◆

うちのような家族はこれが最後じゃないと思っていた

白石正明さん(以下、白石) ご両親とお姉さんは、藤野さんが生まれる前にヨーロッパに2年間行かれているんですよね。3人で、一体で過ごした時間がある。

藤野知明さん(以下、藤野) 私は姉と8歳離れていて、姉の方が、両親が研究者としてばりばり仕事をしているところを近くで見ていたと思います。姉は国際学会にもついていっていました。

白石 藤野さんは家族のある種の「塊」から、少し外れたところにいる。でもそういうポジションにいないとカメラを向けられないのかなって感じたんです。家族と世間の間に藤野さんがいて、一方では当事者でありながら、もう一方では少し離れた視点でカメラを向けている。

藤野 ドキュメンタリーの「作り手」としてカメラを回していたらそうなりますね。でもその認識はありませんでした。家族の一員として撮影している感覚で、自分だけ別だとは思っていませんでした。

 姉の状況を考えたら、ドキュメンタリーを作るなんて考えられなかった。僕から見れば、両親は大変な権威を持っていて、経済力もあって、それに対抗するためには記録を残すしかなかったんです。最初はホームビデオみたいな撮り方をして、物足りなくなってきたから姉の状態についての話を聞くようになって、それが溜まってきて初めて、精神科医を探そうということになりました。人に見せられるようなものではありませんでした。

『どうすればよかったか?』 ©2024動画工房ぞうしま

白石 まさに記録だったんですね。

藤野 人に見せるとしたら、なぜこれを見せるのかと言われる可能性が出てきます。「見せる」ことにはそれなりの責任がある。当時の映像には救いがありませんでした。治療にもたどり着けない、混沌とした状態が色々と映っています。救いが見えるものでないと、人には見せられないかなあという感覚がありました。2008年の3カ月の精神科への入院を経て、姉が話ができるようになって光が見えました。

白石 退院されてから、映像を公開することを考えられるようになったんですね。

藤野 ええ、でもドキュメンタリーというよりは、とにかく公開することだけを考えていました。うちのような家族はこれが最後じゃないと思っていたので、「こういうことをやるとうまくいきませんよ」と早く伝えたほうがいい気がしていたんです。ただ、姉が亡くなるまで待たなくてはいけないと思っていました。

お互いに相手の言っていることを聞いていなかった

白石正明さん ©三宅史郎/文藝春秋

白石 以前、「カメラ療法」って考えたことがあるんです。揉めているところにカメラを持っていくだけで、状況が変わることがありますよね。演劇化するし、カメラに向かって喋ると煮詰まりが溶けたりする。べてるでも、新聞記者が来ていろいろな質問をすると、みんなすごくうれしそうなんですよ。医者には話していないことをたくさん話します。撮影することで、藤野さんにもそういう効果はありましたか。

藤野 僕はかなり気が短い方だったのですが、カメラを回しながら怒ると格好悪いから、だいぶ落ち着きましたね。その効果を狙っていたわけではないのですが。

 映画の中で両親と話しているところは、話し始めから撮っているわけじゃないんです。年末年始に2泊3日で家に帰るとして、夜に家に着いて、翌朝、朝ごはんを食べて、姉が2階に行ってしまったところで、話を始めていました。そのあと大体晩まで10時間くらい、今、姉は一体どういう状況なんだ、って僕が両親を質問攻めにするわけです。20時とか21時くらい、両親がへとへとになっているタイミングでビデオカメラを出しました。これが朝の8時だったら、なぜビデオを回してるんだって話になったと思います。でも散々話した後なら、言いたいことはあったかもしれないですが、ビデオを止めろとは言われなかったですね。

白石 めちゃくちゃなトレーニングをさせて疲れた後に俳優を映すと自然な演技が出る、みたいなメソッドもありますよね(笑)。生成的なコミュニケーションがなかったとは言うけれど、10時間討論ができていたんですね。暴力もないし、怒鳴ったりということもあんまりなかったんですか。

藤野 そうですね、昔は僕が怒鳴っていたと思いますが……。僕があまりにも大きな声を出すから、母が僕をファミレスに連れて行って冷却しようとしたら、そこでも母に対して大きな声を出してしまって、気がついたらお客さんがみんなこっちを見ていたことがありました。

 母と話すシーンを編集していて思ったんですが、お互いに相手の言っていることを聞いていないんですよね。相手がしゃべっている間に自分が言いたいことを考えていて、相手が話し終わったら関係ない話を始めたりするんです。ああダメだな、もっとちゃんと聞くべきだったな、と思いました。

白石 それはそうなんですが、怒鳴り合いや殴り合いになっていないのは、そのせいかなと思いましたね。かみ合ったら、やっぱり勝つか負けるかになっちゃう。でもお互い話がずれていて、言いたいことを言い合っているから、期せずしてポリフォニーになっているんですよね。それが良いかどうかはわからないけれど、かみ合っていないからこそ、最悪になっていないという感じがしました。もちろん、だからこそ25年も経ってしまったとも言えるんですが。

藤野 そうですね、でも僕は、ちゃんとかみ合いたかった。なんでこういうことをしているのか両親が話をしてくれて、僕が受け止めていれば、自宅に閉じ込める必要はないよねっていうところに行きついたんじゃないか。もう姉を自分たちで治すっていうことを考えるタイミングじゃないんだって話になったと思うんです。

 姉が処方された薬は、96年には認可されたものでした。姉は2008年に入院したけれど、最短で12年早く薬を試せる可能性があった。そこにどれだけ早くたどり着ける機会があったか、というのが、本を書く上で考えたことでした。

両親は頑張りすぎたと思う

藤野知明さん ©三宅史郎/文藝春秋

藤野 僕は両親が頑張りすぎたと思っているんです。もっと早く、今のやり方を変えることを考えてもよかったんじゃないかと思います。

白石 もう頑張らなくてもいいんだって思えるアプローチがあったらよかったのかもしれないですね。「それはおかしい」って、言われれば言われるほど頑張っちゃうのが人間だから。先ほどの向谷地さんの「いい家族ですね」には、そういう意味もありますよね。壁を溶かせば、悪い人じゃないんだから、おのずと良い方向に行くだろうという信念があるのだと思います。

 そういえば、べてるの入居者には、親が医者だって人も多いんですよ。だから、向谷地さんは医者の家族の行動として、藤野さんのご家庭で起こっていたことを特殊だと思っていなかったのかもしれない。

藤野 外からそういう声をかけられる状況が存在しなかったから、僕が自分でやろうとしていたんだけど、できなかった。両親の体力が衰えるまで待つことになりました。

「外に出ること」というもう一つのテーマ

藤野知明さん、白石正明さん ©三宅史郎/文藝春秋

白石 僕は、この映画のもう一つのテーマは「外に出ること」だと思っています。お姉さんだけでなく、藤野さんがボート部に入って、家の外に出ることができてやっと安心したという話も書かれていました。もっともお姉さんについていえば、当時の札幌はあまりよくない状況だったから、医療にアクセスしていたら、精神科病院の中に再び閉じ込められる可能性もあったと思います。

 ここではない「外」に出る出口を1個作るというのは、膠着したものへのアプローチの原則かなと思います。

藤野 2008年に姉が退院した後、これだけよくなるんだったら、作業所に行ったらもっと刺激が多くていいんじゃないかな、と思って提案したことがありました。1カ月か2カ月おきの通院くらいしか外に出なくなるなら、と思って大分言ったんですけれど、姉は「絶対作業所はダメだ」って言っていました。

白石 プライドが許さなかったんでしょうか。

藤野 たぶん、そうだと思います。べてるの家のことも紹介しました。

白石 べてるは作業というより、ただ話をしているだけなんですけどね。

藤野 そうですよね、でも姉は「やっぱり家がいい」と言っていました。ちょっと浦河は遠すぎるみたいでした。本人が嫌がるのを無理に勧めるわけにはいかないから、諦めました。

 姉は自分の基準だけで生きていたから、自分と全然違う人がいるところで暮らすだけでも、刺激が違うんじゃないかなあと思ったんですけどね。同じ刺激ばかり受けていては、刺激がどんどん弱くなってしまう気がするんです。でも、うまくいかなかったです。

白石 統合失調症の人って、外からの刺激を大きく受け取って苦しくなっちゃうんだと思うんです。刺激への恐怖があると思います。それなら、常同的に同じことをやったほうがいいっていうのはわかりますし、そもそも精神科の薬って、基本的には鈍くなる方向を目指したものですからね。

夜中の12時の朝ごはん

白石正明さん ©三宅史郎/文藝春秋

白石 お姉さんは、ノートを書くことと、食べることがすごくお好きだったんですね。映画の最後のほうでお姉さんが料理をされているところはめちゃめちゃいいですよね。表情も出ていて、すごくチャーミングでした。

藤野 撮影したはずなのに見当たらないデータが結構いっぱいあるんですが、その一つが夜中の12時の朝ごはんなんです。

白石 ありましたね(笑)。

藤野 映画に使ったのと違うバージョンもあったはずなんですよ。夜中に僕が1階に降りていくと、完璧に朝ごはんができていて、姉が椅子に座っているというときがありました。それで「ちょっと早くない?」って聞いたら姉は、「ああ、まあね」って。

白石 いいですねえ。

藤野 「今日は時間があったからね」って。

白石 精神科の作業所って、そういう笑いがあるんですよね。本気でやっているんだけど、ちょっとずれていて、みんなで笑いあえる。そういう関係ができると、どんどん緩んでいく。

藤野 べてるの家では「幻覚&妄想大会」でグランプリを選んだりして、妄想を隠さないんですよね。面白いなあと思います。

白石 12時に朝ごはん作るなんて、最高ですね。本にありましたが、目玉焼きの黄身のところをニンジンで作るとかね(笑)。

『どうすればよかったか?』 ©2024動画工房ぞうしま

藤野 あれ、おかしいな、と思ったら、八角形のニンジンが黄身の代わりにおいてあったんです。たぶんヘルシーにしてくれたんだと思うんですけれど。

白石 それは、「幻覚&妄想大会」で絶対に賞をもらえるやつですね(笑)。全部その人なりの説明がつくじゃないですか。「健康のためにニンジンを入れました」とかね。そういうのだけで映画を作っても、それはそれで面白いだろうなと思います。また別の映画になってしまうけれど。

「去っていく」姉のシーンを見て思うこと

『どうすればよかったか?』 ©2024動画工房ぞうしま

白石 多くの人が言っていると思うけど、最後のお姉さんのVサインもチャーミングでした。でも、藤野さんとしてはちょっと違う感じなんですよね。

藤野 自分で入れておいて、というところもあるんですけどね。あれは姉が亡くなる数年前に撮影したものです。父が出かけるとき、姉はいつも手を振っていました。僕にはしてくれなかったんだけど、父がだんだん出かけられなくなって、僕が代わりに行くようになったら、手を振ってくれるようになりました。珍しいなあと思って撮った映像です。何バージョンかあるんですが、あれが一番よく撮れていたものです。姉が手を振りながらフレームアウトするので、本来は姉が見送っていて、僕が出ていくんですが、映像としては姉が去っていくみたいになっています。そのせいですごく意味が出てきてしまって、本編のどこにもはまらなくなってしまいました。エンドクレジットの後にようやく収まりましたが、あれを見ていると、やっぱりもっとできたことはなかったのかという気持ちになってしまいますね。よかった、という映像にはならないですね。

白石 とはいえ、後半のお姉さんが元気になった姿を見せないと、どうして25年間も医療にアクセスさせなかったのかという問いがそもそも出てこないんじゃないかと思います。健康さが見えるからこそ、どうして、と思える。買い物に行くときの映像とか、めちゃくちゃ幸せそうじゃないですか。あれを見ると、どうして25年間も……と問いが逆流してきます。

藤野 あの時は、姉が「サッポロ モノ ヴィレッジ」のチラシを見て、「ここに行きたい」って言ったんです。行ってみたら、あれだけ野球場みたいに広い場所で、すぐパワーストーンが売っている場所を見つけて買いに行くので、すごいなあと思いました。やっぱりお金を使うのは、すごくストレス発散になるんですよね。物を買うって、それを手に入れることがうれしいだけじゃなくて、コミュニケーションなんですよね。

白石 買い物というのはストレス解消以上のものがありますよね。お金と物をやりとりするって、人間が本来持っている社会性を解放するお祭りみたいなもんじゃないかと思います。

 外に出て社交することと、自宅に閉じ込められていたことの対比が良く出ていて、感動するシーンでした。

姉の葬儀と父への追加インタビュー

藤野知明さん ©三宅史郎/文藝春秋

藤野 テーマからすれば、精神科を退院後に、姉にガンが見つかった話は蛇足です。でも姉に統合失調症であるという病識が無かったので、そのタイミングでは世に出せませんでした。それ以降は惰性で撮っていました。姉の葬儀のシーンも撮るつもりはなかったのですが、あまりにも父の言っていることが「これはどうなんだろう」と思ったのでスマホで撮影しています。

白石 葬儀でお父さんが、共同執筆した論文をお姉さんの胸に置くんですよね。

藤野 父は姉を、研究を手伝ってくれた親孝行な娘だと思いたかったのだと思います。違和感はあったけれど。父が論文を探してくれって言うから探して、棺桶に入れるんだろうなとは思っていましたが、本当にするかどうかわからないなと思って、渡したら入れていました。

白石 親戚の人が「もう勉強は嫌だって言ってるかも」って言ったと本にありましたね。あれはすごくよかったです。

藤野 最初は「これであの世でも勉強できるね」って言ってたんです。僕が「したければね」って言ったら、それに気づいた人が、そう言ってくれた。親戚の人もわかってるんですね。父は、「この論文で始まって、この論文で終わったんです」って、その流れを全部聞こえなかったかのように言ってましたけれど(笑)。

 それでも終わった気がしなくて、ほとんど編集が終わった段階で、父にもう一度聞いておこうと思って、インタビューを追加で撮影しました。

白石 お父さんのインタビューは圧巻でした。最後、本にも書いてありますが、「カットです、カット」って言うじゃないですか。あれは本当にすごいなあと。本にも「人間というものはそういうものだ」って書いてありましたが、藤野さんの諦めみたいなものと、これで終わったっていう気持ちが、あの言葉から聞き取れた。

藤野 カメラマンがいたら意味があるけれど、一人で撮影しているから「カット」って言う必要はないんですよね。あとで編集で落とせばいいかなと思いながら言いました。ほとんど編集も終わっている状態で、「ようやくこれで終わるんだな」というのがあって、言いたくなっちゃったんですね。

白石 成功して終わったとかじゃないんですよね。もうここでいいや、これ以上はないっていう諦めと、もう十分だ、という感情が同時に表れている。

藤野 そうですね。「やったー!」ではなかった。父の答えは、僕が期待しているのとは違う方向のものもあったんですが、聞きたい答えを言うまで問い詰めることには意味がないと思って。父がそういう答えをしたことで伝わる意味もあるんじゃないかと、先に進みました。それでちょっと力が抜けましたね。やりつくしたな、これ以上のことはもう現時点ではないだろうと思って、「おしまい」って気持ちになりました。

白石 満足感はありましたか。

藤野 そうですね、最後に必要なことは全部、聞くだけは聞いたということで、やりつくした感じはありました。

白石 このシーンは、お姉さんの受診を拒んだ理由を藤野さんが気色ばんで聞いていくんですが、最後の答えが「ママがそう言ったから」なんですよね。脱力といえばこれ以上の脱力はない。最後の場面にいろいろな捉え方が一気にたくさん出てきて、素晴らしいなあと思いました。

藤野 まあ、母がどういう風にカメラに対してしゃべっていたか、父は知らないですからね。それに人間の記憶は時とともに内容が変わるという研究もあるそうで、父の中ではそうなっていたのかもしれないですね。

白石 「どうすればよかったか?」といっても、どうしようもなかったんだという部分も含めて、伝わるものがありました。

映画を公開することの問題と責任

藤野知明さん、白石正明さん ©三宅史郎/文藝春秋

藤野 映画を見た精神科医の方からの感想で、父の言っていることは正しいという方がいました。父は「失敗したとは思っていない」と言っているんですが、本当にそうだと。あの当時の病院の状況は良くなかったから、これでよかったんだって言うんです。それで「はいわかりました」とは、僕は言えないですけれど。

白石 お客さんからの反応で、一番うれしかったものはなんですか。

藤野 よくこれをオープンにしてくれた、という反応はいくつもあったんですが、そういう声を聞いたときには公開してよかったのかなと思いました。我が家のようなケースが実在することが、これほどはっきりとした形で出されたことはなかったと思います。でも、100%やってよかったというわけでもないんです。

白石 親族の反応がよくない、とかでしょうか。 

藤野 親族からは、今のところネガティブな反応はないですね。映画の公開から少しして父が亡くなって、葬儀で集まった親族に「実はこういう映像を作っているんです」と伝えたら、みんな知っていました。宣伝もかなりやっていた時期だったし、既に見た方もいました。

 問題だと思っているのは、承諾を取っていないことなんです。

 父には一応確認を取っていますが、当時96歳の父に後見人なしにしていい質問ではないと思います。承諾は全然取れてないんです。はっきり問題があります。ただ、一番家族の尊厳を守らなくてはいけない立場の僕が映像を公開しているわけです。

 人権に一番配慮するなら、公開しない方がいいんです。全部、無かったことにするということです。でも僕は、それこそやってはいけないことじゃないかなと思うんです。姉の人生はなんだったのか、という気がします。だから、責任は自分で背負って、オープンにしているという認識です。

白石 ドキュメンタリーは、やっぱり「映っている」ことがいちばん大事だと思います。この映画には、お姉さんの叫び声も含めて、現場がちゃんと映っている。そしてこの本で、その背景、来歴がわかるようになった。それがすごくよかったなと、改めて思いました。

■プロフィール

藤野知明(ふじの・ともあき)

1966年北海道生まれ。北海道大学を卒業後、社会人生活を経て日本映画学校映像科録音コースに入学。千葉茂樹監督に師事。主にマイノリティに対する人権侵害をテーマとして映像制作を行なっている。プロデューサー、撮影、編集を務めた淺野由美子監督『遊歩ノーボーダー』が今年劇場公開予定。

 

白石正明(しらいし・まさあき)

1958年東京都生まれ。青山学院大学法学部卒業。中央法規出版を経て96年に医学書院入社。98年に雑誌『精神看護』を、2000年に〈ケアをひらく〉シリーズを創刊。同シリーズは19年毎日出版文化賞を受賞した。24年3月に医学書院を定年退職。著書に『ケアと編集』(岩波新書)。