『東京最低最悪最高!』『二月に殺して桜に埋める』等で知られる人気漫画家・鳥トマトさんの初小説集『漫画でイけ』が8月21日に刊行されます! 本作には第130回文學界新人賞の最終候補作になった「僕の血」を収録。まずは試し読みでお楽しみください。
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生理の血が股に挟まって地下鉄有楽町線の動きに合わせて揺れている。股がべちょべちょで痒いし腹も痛いし不快だ。僕はスマホの電子書籍アプリを開いて漫画を読む。
漫画なんて、何が面白いんだろう。嘘しか書かれていない紙の束なのに。よく考えたら僕は下書きから仕上げまでの全工程iPadで漫画を描いているし、最近は電子書籍でしか漫画を買っていないから、もはや紙ですらない。こんなの、ただの嘘情報の塊だ。
申し遅れました、僕は「鳩太郎」というペンネームで秀英社で漫画を描いて金をもらっているプロの漫画家です。でも、二年前に短編集を二冊出したっきりで、今は連載を獲得できていない読切職人だから、去年の漫画の年収は五十万円くらいしかない。東京での一人暮らしはやめたくない。仕送りはないので漫画一本ではとても暮らせない。なので本業の会社員を辞めていない。本業の会社員としての勤め先は、これまた出版社の有幻社というところだ。編集部ではなく、漫画原作のアニメの、スマホゲームをはじめとした商品化ライセンスの営業と監修の仕事をする、「ライセンス営業部」という部署にいる。もちろん、非正規雇用だ。社員とほぼ全く同じ仕事をしているけれど、「業務委託」という設定になっている。こちらの仕事の年収は二百八十万くらい。ここから税金も引かれるから、手取りはもっと低い。ギリギリだけど、要町のボロアパートなら一人暮らしはできる。出版社およびその界隈というのは作家になりたかったけどなれなかった人間の巣窟なので、僕は自分が副業で漫画を描いていることを誰にも言っていない。人間の嫉妬というのは何よりも恐ろしい。僕はそういった感じの漫画ばかり描いているのでそのことをよく知っている。
僕は漫画家になったら、もっといい暮らしができるものと思っていた。いい暮らしというのは、お金のこともあるけれど、内容のことだ。
担当編集に「先生! 新作はいつ描きますか?」なんて言われて、たまに用事もないのにちょっといい夕ご飯を奢ってもらったりしたい。担当編集は美人の女性だと尚嬉しい。ガレージファッションが似合う感じの、ちょっと退廃的な目つきで、タバコを吸ってて、三白眼だともっといい。それで頬杖をつきながら、散々ダメ出しをした後に「いや、でも、鳩太郎先生の漫画はちゃんと面白いですよ」と言ってくれる。そんな、姉みたいな、ミューズみたいな、辛辣で美しい人間にずっとそばにいて欲しい。そうすれば、お金がちょっと不足していても寂しくない。あとは「文学的で当事者性がある作家性の強い作家」等々とレビューサイトに紹介されて、尊厳のある扱いを受けたい。
まあ、僕が実際に秀英社のチャンプ+で漫画賞をとって、漫画を描いて、本を出版してわかったのは、そんな編集者はいないし、僕の妄想は完全なる夢だったということだ。
僕の一日はたとえば、こんな感じだ。まず六時に起きる。それでネームを描く。ネームというのは、かっこよくいうと漫画の設計図のようなもので、かっこ悪くいうとただの落書きみたいなものだ。九時になったら着替えて九時二十分に家を出る。朝食は摂らない。
九時五十分に会社に到着。十時~十一時までメールを見ながら、机でパンを食べる。十一時から会議。お昼休みに社食で何かを食べて、午後は監修会議。その後、メールを返し続けて、二十時ごろ電車にのる。二十時三十分に家に到着。コンビニのおでんを頬張りながら、漫画を描く。チャンプの編集担当と電話して、五分間ネームの修正指示を受け、二十五分間担当さんの最近担当した変な別の作家の愚痴を聞く。電話が終わり、修正したネームを担当さんにメールし、原稿に着手する。気がついたら三時くらいになっている。そのまま寝る。気がついたら六時のアラームが鳴る。それを週五日繰り返す。週末は引きこもって原稿を描く。そんな感じだ。
地下鉄が駅で停車し、僕は窓から「護国寺駅」の文字を見て慌てて人をかき分けて地下鉄を出た。
「おはようございます」
会社の受付嬢がニコニコして僕に挨拶する。僕は会釈する。
「鳩山さん、三階の一番会議室にお客様いらっしゃってますよ」
ゲッ。十時からの打合せの人がもういるらしい。まだ九時五十分なのに。
僕は生理用品を取り替えるために急いでトイレに向かった。トイレで汚れたナプキンを取り替えながら、あの受付嬢はなんで僕の顔を見て名前がわかったんだろうとふと思った。もしかして非正規雇用の僕の名前を覚えているのだろうか。ウワッと僕は思う。そんなに熱心に労働しなくっていいのに。
トイレを出ると背中を丸めたお婆さんが洗面台を掃除していた。長生きはしたくない。僕も、あの受付の人も、雇用の最終地点としてたどり着くのはおそらくこのトイレ掃除である。どんなに文明が進もうとも人類が生きる限りトイレは存在する。長く生きるとはなんて辛いことだろう。老後には二千万円必要だという政府の偉い誰かの発言を僕はふと思い出す。どう考えても老後に二千万円貯金するよりも老後を迎える前に死ぬ方が実現可能性が高い。なので僕はトイレ掃除の仕事をしなくて済むように、できるだけ早く死ねるように不摂生を心がけている。
十時に会議室に行くと、ゲーム班のリーダーで社員の間さんと、みたことのないツーブロックの男性が座っていた。間さんもツーブロックも、ユニクロっぽい白シャツに黒のジャケットパンツという、クローンみたいな服装だった。間さんがメガネをかけていなくて、天パじゃなかったら、ほぼ同じ見た目なので判別できなかった可能性すらある。
「鳩山さん、紹介するね。これが先週言ってた、今日から入る新しい社員の人。二階堂さん」
打合せに来たのは、取引先ではなく、今度正社員として入社してくる人だった。中途入社でも、正社員で入社してくる場合は、この会社で五年働いている僕を差し置いて、社員が上にくる。これがこの会社のヒエラルキー。僕は間さんが、二階堂さんに業務内容を説明しているのをぼーっと聴いていた。
突然だが、僕の頭の中にはテレビがある。そこではずっと、現実とは関係ない映像が流れている。それを利用して僕は会議中にネームを考えているって寸法である。漫画家になる前は何をしていたかというと、一円にもならない、全く建設的ではない映像をただ漫然とそのテレビに流していた。このテレビを消すことは残念ながらできない。会議がつまらなくなってくると、脳がテレビに集中してしまうので、テレビの内容がより、具体的になってしまう。例えば、こんなふうに。
唐突に、画面が討論系バラエティ番組に切り替わる。僕にそっくりな人間が「LGBT太郎」という名札を掲げて何かを熱く語っている。
LGBT太郎(以下L太郎)「僕はレズビアンだから、今まで好きになった人に好きになってもらえなかったんだよ。可哀想じゃない?」
LGBT太郎の向かい側には「LGBTを責める人」というプラカードを掲げた人間が座っている。
LGBTを責める人(以下責人)「あなたが自分の好きな人に愛されなかったのは本当にレズビアンだったせいなのでしょうか?」
L太郎「えっ? どういうことですか? そんなことを性的マイノリティに向かって言うのは差別では?」
責人「いや、だって、パートナーがいるレズビアンも普通にいるじゃん。お前が好きな人と両想いになれなかったのは、シンプルにお前の性格が悪いのが原因では? あるいは見た目が微妙だったとか? 話が面白くない? 年収が低い? 優しくない? 本当のことを言いすぎる? お前がストレートの男だったら本当にその女に愛されたか? 胸に手をあててよく考えてみては?」
L太郎「うぅ、うぅ~ッ」
ナレーション「そうして、LGBT太郎は心を閉ざしてしまいました。ちゃんちゃん」
エンドロールが流れていく。
作・演出 鳩太郎
LGBT太郎 鳩太郎
LGBTを責める人 鳩太郎
幕引き。
こんな感じで、僕は自分の頭の中のテレビに勝手に浮かんでくる映像を絵コンテに起こして漫画の形にしている。でも今日みたいに、なんのネタにもならない話が浮かぶことの方が多い。なんだよLGBT太郎って。
「鳩山さん? あの、仕事内容、説明してもらっていいですか?」
おっといけない。今は会議中だったのだ。
「あ、じゃあ私からはゲームコラボの説明をさせていただきますね。スマホゲームでよくある一、二週間とかのIPコラボのために……IPっていうのはえーっと要するにキャラですね。キャラをスマホゲームに貸し出す営業・契約・監修、あと入金管理までを一件あたり半年くらいかけてするのが私たちの仕事です」
僕は目をキラキラさせている二階堂さんに仕事の説明をする。
「作品ごとに担当をさせていただいていて、私は最近アニメも始まった『エルフちゃん無双』という作品の担当をしています」
「女性ファンを増やしたい作品なので、鳩山さんには女性ならではの感性を活かして、この作品を担当してもらっているんですよ」
「エルフちゃん無双」のアニメプロデューサーである間さんがすかさず口を挟む。そうですね間さん。君は男ならではの感性でプロデューサーに抜擢されているもんな。
二階堂さんが曖昧な笑みで頷く。僕はダメかもな、と思う。この仕事はものすごく離職率が高いのだ。先月も一人入ってきて、一人辞めた。
「アニメ大好きなので、頑張ります!」
二階堂さんは精一杯元気そうにそう言った。こりゃダメだ、と僕は確信する。作品が本当に好きな奴はこの仕事をすると百パーセント辞める。自分の好きな作品がスポンジやティッシュみたいな消費財同様に、使い捨てられるように切り売りされるのを見るのに耐えられないから。
「じゃあ二階堂さんには、チュートリアルということで、鳩山さんと一緒にしばらく『エルフちゃん無双』の営業と監修をやってもらおうかな」
間さんがパソコンを閉じながら、これにて俺の仕事はおしまい、と言わんばかりに仕事を割り振った。
「営業用の資料とかないんですか?」
二階堂さんが聞く。間さんがため息。
「なんか著者のエルフ先生が結構めんどくさい人で、資料とかがあまり揃ってないんです。この辺を整理していただくのも、二階堂さんと鳩山さんにお願い出来ればと思ってます」
こういう説明をするときの間さんは心の底からめんどくさそうだ。
二階堂さんがわざとらしく、えーという。
「何がめんどくさいんですか?」
間さんがめんどくさそうに口を開く。
「なんか、例えばですけど最近だと、可愛い商品用の立ち絵が制作会社から上がってきたんですけど、主人公のエルフちゃんが性格が良さそうに見えすぎるっていう理由でエルフ先生からNGをくらったんです。他にも過去一回OKが出た絵とかも、次見せたらNGになったり」
くすくすくす。二階堂さんが笑う。
「ヤバいですね。てかこの漫画の作者、『エルフ』先生っていうんですね。じゃあこの漫画はもしかして著者のなかではエッセイっていう体ってことですか?」
「そうそう。なんか、漫画の主人公と自分がすごく同化しちゃってるっぽいんだよね。この先生の作品ってみんなこんな感じで、そもそも『エルフ』シリーズって元々一個前の、『異世界スナックえるふ』まで青界社でやってたのに、半年位前に、うちに移籍してきたんだよ。なんか、青界社の編集部と揉めたっぽいよ。まあちょっと、おこだわりがある人なんだろうね」
二階堂さんと間さんがくすくす笑う。前言撤回。二階堂さんはこの会社でうまくやっていけるかもしれない。作者の悪口を平気で言える人間は、この仕事は長続きする。
「ウケるよね。しかも作中のエルフちゃん、女の子なのに、作者おじさんだよ? それでキャラと同化しちゃってるからさ。多分ちょっとヤバい人なんだと思う」
間さんが頭を指差しながら鼻で笑う。僕は薄笑いを顔に貼り付けたまま曖昧に頷いておく。
「じゃ、早速今から監修会あるんで、みんなで編集部行きましょっか!」
間さんが立ち上がって僕と二階堂さんはゾロゾロとそれについていく。
編集部は有幻社のつながった二つあるビルのうちの、高い方のビルに入っている。ライセンス営業部が入っているビルは五階建て、編集部が入っているビルは二十八階建て。この会社のヒエラルキーそのものだ、と僕はエレベーターに乗るたびに思う。
「う~ん……なんか……なぜかわからないけど、可愛くないんです!」
編集部での監修会開始五分で、エルフ先生はゲーム会社が作ってきた3Dモデルを見た瞬間に頭を抱えてうずくまってしまった。「Tpexサバイブ」という、世界最大のヒーローシューティングバトルロイヤル型スマホゲームで、キャラクターのアバターを二週間「エルフちゃん」に変えるだけ、というシンプルなコラボでなんと五千万円ももらえるという案件だ。
間さんが「この作家は何を言っているんだろう、もしかして、こいつは、自分とは別の種類の生き物なんじゃないか?」という心の底からの恐れと侮蔑の混じった顔でエルフ先生を見ている。
エルフ先生は、作中の可愛い色白で三白眼女性のエルフちゃんとは程遠い、黒縁メガネをかけた中肉中背天パの典型的なチー牛男性という感じの風体だ。その立派な成人男性が頭を抱えて衆人環視でうずくまっている姿は実際、怪奇としか言いようがなかった。二階堂さんがドン引きして間さんの方にチラチラ視線をやっている。
「なんか、根本的にエルフちゃんの可愛さの本質を理解してないんじゃないですか? もう一回ゲーム会社の人に、エルフちゃんシリーズ全巻読み直すように言ってもらえません?」
間さんがエルフ先生の発言を聞いて目を閉じている。ゲーム会社の人も忙しいんだよ、お前のゲームだけ作ってるわけじゃねーんだから。何回修正させるんだよ、いい加減にしろよという無言の圧を間さんの立ち姿から感じる。間さんは五年前にゲーム会社から転職してきた中途採用だから、作家よりもゲーム会社の方に同情しがちなのだ。この同じ3Dモデルを修正するのはもう五回目なので、その気持ちも分からんでもない。
「可愛くないというのは、なんででしょう。今回は体のバランスが悪いから、とかですかね?」
僕は頑張って先生の「可愛くない」をなんとか、他人にもわかる形にしようと言語化を試みる。「可愛い」かどうかは主観でしかない。ゲーム会社の人に修正指示を出すには「可愛くしてください」ではダメで、「目を、目の縦のサイズ二個分下げてください」とか「口を一回り小さくして歯は見えないようにしてください」とか「鼻筋をもう少し細くしてください」という風に噛み砕く必要がある。
まあそこまで細分化して前回修正を伝えた結果、今回もコレなので、もはやゲーム会社からクレームが入ることは避けられないだろう。





