善と悪、生と死
だが、本書で描かれるのは、もっと複雑な善悪の世界だ。
不治の病で苦しむ者を安らかに死なせてやるのは、本当に善なのだろうか。親に殺されかけた少年が盗賊に拾われ、やがて殺人に手を染めてしまうのは、善ではないが、抗いがたい運命ではないのか。山賊たちは人を襲い、〈鬼御殿〉とうわさされて怖れられているが、そこはならず者や行き場のない女子どもにとって少しはましな居場所なのだろう。そんな〈極楽園〉で生きることは悪なのか。
また、のちに遥香と奇縁を持つ人の道の権化のような同心・厳信や、熊悟朗が武術を教えた極楽園頭領の息子政嗣らを追っていくうちに浮かんでくる意外な真実。それでもなお読者は、どれが善でどれが悪かと迷うに違いない。二転三転するミステリーや告白小説の趣も備えているのだ。
登場人物たちの人生を通して示されていくのは、この世の善と悪は不変ではなく、状況や立場ひとつで入れ代わったり移り変わったりするルールや掟でしかないということ。しかもそこには、常に紙一重の生と死がある。
ところどころでクロスし、しばらく寄り添うこともあれば、すぐさま離れてしまうこともある、遥香や熊悟朗たちの人生。その人間交差点に色を添えるのが、言ってみればこの時代の都市伝説である。
都市伝説とは、何も現代の街中でだけ囁かれるものではない。その時代、時代で、人々が半信半疑でうわさし、尾ひれをつけて広めていった、生きた物語なのだ。
本書においては、たとえば、村人のうわさになっていた〈菩薩の手〉や〈鬼御殿〉がそうだし、白眉は、人が神様として崇めている〈金色様〉だろう。機械といっても人間の感情は理解でき、人の弱さや寂しさを包み込むような優しさを見せることもある。この者の正体とは――。
現実と異界とのあわいを多く描いてきた著者としてはめずらしく、今川家だの徳川一族だの、史実や実在の人物がところどころ登場する。時代劇に、宇宙から運ばれた〈天器〉のひとつを狂言回しにするという荒技が加わり、物語の神秘性が増すという仕掛け。読者が『金色機械』で読むのは、いつしか生まれ消えていった伝説が、ふいに現代に蘇ったかの如き奇譚なのである。
ちなみに、私の頭に浮かんだ〈金色様〉のイメージは『スター・ウォーズ』のC-3PO。果たして他の人たちは、読んでどんな造型を思い浮かべるのだろう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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