書評

五百年に一度の「ことば」の大転換期に

文: 藤原 智美 (作家)

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』 (藤原智美 著)

 この書名には共感を覚える人より、もしかすると反発を感じる人のほうが多いかもしれない。「ネットのつながりは、軽いから心地いいんだ。で、それが何か問題でも?」という気分は、社会的に共有されているともいえる。

 しかし私は、ネットのつながりが心地よいとはとても感じられないし、実のところ、つながりの中身そのものが「軽い」とも考えていない。

 つい最近、宮崎で55歳の女が詐欺容疑で逮捕された。自分を女子医大生と偽り、出会い系サイトで知り合った20代の男性から、150回ほどにわたって約600万円を騙しとったのだ。約4年もの間、女は被害者と1度も会うことなく、メールでやりとりし続けた。ときに医大生の母親に扮して電話をかけ「交際を認めない」などという小細工を弄しながら、巧みに相手をだまし続けた。中年の女が女子大生を演じつづけられたのも、現実が見えにくいネットの特性がゆえである。

 今も、ネット上では人生相談が花盛りだ。目につくのは、実際には会ったことすらないメール相手と「つきあっている」と断言する人々の存在だ。中には画像やメール交換だけの「交際」にもかかわらず「だれよりも彼(彼女)のことを分かっている」あるいは「分かってくれている」と信じこんでいたり、ついには「結婚を考えている」と、いきなり現実世界に大きく飛躍してしまう場合もある。ネット恋愛もネット詐欺被害の場合も、そこでの「つながり」は、当事者にとってけっして軽いものでもなければ、妄想と切り捨てられるものでもないはずだ。では彼らは、視野の狭い極端なネット依存者にすぎないのだろうか?

 そうは思えない。私もネットがもつ深い罠に、いつ陥るかもしれないと身がまえる日々を送っている。自分をふりかえってみると、他人とのつき合いは、日常的にメールのやりとりが主流になっているし、執筆でもネットからの情報収集は欠かせなくなった。私はスマートフォンを持っていないケータイ遅滞者であり、電車や新幹線の移動でも本か雑誌を読み、パソコンを開くことはない。にもかかわらず、10年前にくらべたらネット依存は確実に深まっていると感じている。そもそも「ネット社会」ということばが、人々に誤解を与えているのだと思う。あたかもそれは、実社会とは別のステージで営まれていて、参加も不参加も自由であるかのような印象を与えてしまうからだ。しかし現実には、ネットは日常生活のいたるところに顔をだし、ある場面では妄想とリアルが融合していることもある。たとえば先に紹介したネット恋愛や詐欺の犠牲者のように。

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ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
藤原智美・著

定価:1,100円+税 発売日:2014年01月29日

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