──ゼロ年代といわれるこの十年間で死や殺人を遊戯的に描くデスゲーム小説は急激に増加しました。高見広春『バトル・ロワイアル』(太田出版 一九九九年)が出現した影響は大きいと思いますが、そうしたパターンの小説にのめりこむ読者がいることが明らかになったためでしょう。先ほどのお話に出てきた、人間をモノとして狩り、獲物をカウントしていく。そのおもしろさがあるということはもう否定できない。それを肯定した上で、いかにそのことが残酷であるかを表現するのが、小説家の力量なのではないかと私は考えています。
貴志 人間って本当に変なもので、数字に取り憑かれている部分っていうのは相当にあると思うんですよね。実質的な結果よりも数値をあげることに喜びを感じる。ゲームもそうで、レベルを上げたりするために延々と苦労する。そんなことをしたって何にもならないのに、なぜか満足感がある。学校で試験の点数とか偏差値を競うことにも似た面がありますし、会社の出世競争もそうでしょう。要するにゲームが作り出したというより、人間の中にもともと備わっている部分をゲームが利用したのだと思います。
──蓮実という人物を主人公にすることによって、今回は犯罪者が行為の最中に感じるであろう全能感、快感のようなものにまで踏みこんで書かれていましたね。ああした箇所は、作家として覚悟が必要だったと思うのです。
貴志 こんなことを書いてもいいものかと悩みましたが、人間の業に近いものがあるとも思いました。イラクに派遣された米軍の戦車兵が、テロリストを砲撃しているときに砲塔の中でずっとデスメタルを流しっぱなしにしていた、という報道を見たことがあります。冷静な目で見ると悪魔の所業ですが、血に酔うということはどの人間にもあるはずです。
──そうした普遍の真理を描いた小説としても、私は『悪の教典』を読みました。先日、貴志さんはこの小説で第一回の山田風太郎賞を受賞されましたが、山田風太郎もまた、そうした普遍を描いた作家でしたね。
貴志 そうですね、やっぱり本当にエンターテイメントの権化のような方だなと思います。山田風太郎と筒井康隆がなぜすごいかというと、オリジナリティがあってなおかつ一般性があるところだと思うのです。天才であってかつ職人であるという、およそありえない組み合わせですよね。『悪の教典』は文学賞とは縁がないだろうし、それどころかバッシングの嵐に晒されるのじゃないかと書きながらひそかに危惧していた作品でした。受賞は本当に光栄で、嬉しく思います。
──貴志さんの新たな代表作、長く読まれる作品になりましたね。本日は貴重なお話をたくさん頂戴できました。ありがとうございます。ますますのご活躍を祈念申し上げます。
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