──『悪の教典』は後半に行くにしたがってグルーヴ感が増す素晴らしい小説でした。のめりこまざるをえませんね。
貴志 ありがとうございます。作者としては、読んでいる最中に退屈しないことが最も大事だと思っています。やはり中だるみをする小説だけは書きたくない。読者にページを繰らせる原動力は必要ですから、作品全体に通底する大きなテーマをエンジンとして設定すると同時に、小さな補助ブースターも設けるわけです。例えば小さな謎を提示すれば、それを解くことによって前に進みますよね。平泳ぎでひとかきすればちょっと前に進むように。そうした工夫をすることで退屈せずに読んでいただければ、といつも考えています。
──上巻はいくつかのエピソードが連なってサスペンスが高まっていくスリラー、下巻はダイナミックな事件によって読者の心を掴む、アクション・ノヴェルという二段構えの小説です。上巻のエピソードが下巻の伏線になっているのが、謎解き小説の名手でもある貴志さんらしいな、と感じました。物語の舞台が学校であるというのもおもしろい。
貴志 学校には、社会の外のシステムとつながっている部分もあるし、限定的に隔絶されている部分もあります。いわば海とも岸とも違う、入江にできた水たまりのような場所ですね。その水たまりに、何かの間違いでサメのような危険な生物が入りこんでしまったら、閉鎖的な生態系はどうなってしまうか、というのが思考実験のひとつの出発点でした。
──そのサメに該当する危険分子が、本書の主人公である教師・蓮実聖司であるわけですね。
貴志 最近は学校に不審者が侵入したときのシミュレーションをするなど防犯意識が進んでいます。ただ、そもそも学校に不審者が常駐していたらどうなってしまうのか(笑)。
──蓮実は実におもしろいキャラクターですね。
貴志 教師としては優秀なんです。授業で生徒を飽きさせないだけでも特筆すべきことですし。ただ一つ難があって……。
──とんでもない危険分子である(笑)。感心したのは、蓮実が悪の権化のような人物なのに、なぜそうなったのか、という説明が省かれている点です。元からそういう人物だった、という書かれ方がされている。日本ホラー小説大賞を受賞された『黒い家』(角川ホラー文庫)を私は連想しました。あれも、理解不能な人間を理解不能なままに描いた作品でしたね。
「排除するしかない」という結論
貴志 蓮実は、とんでもなく不快な行動をする主人公だと自分でも思います。ただ、彼にはそれほど嫌悪を感じないという意見もたくさんいただきました。おそらくそれは、彼が個人的な恨みだとか、サディスティックな感情だとか、そういう原理で動いているわけではないからでしょう。蓮実の行動には動物が自分の身を守るためにやっているようなわかりやすさがあります。ある意味では無邪気とさえいえますね。実は彼は、自分にとってすべてが都合よく運ぶならば、みんなとハッピーにやっていける人間なんですよ。そうじゃないから仕方なく「排除するしかない」という結論に達する。その割り切り方が恐ろしいのだと思います。
──『悪の教典』はイノセンスを描いた小説の変型だと思うのです。そうした小説では、みんなが世間知で汚れている世界に、一人だけ純真無垢な人物がやってきて奮闘することで物語が動いていく。その裏返しで、実は蓮実も非常に純真無垢な人物です。ただし純白じゃなくて一点の曇りもない黒であるというのが問題なのですが。
貴志 この作品で私は自分が考える悪を書きました。それは何かといえば、悪かどうかということを決めるのは被害者だということです。加害者の資質はまったく関係ない。蓮実の内面を深く描写する必要がないと判断したのは、そういう理由です。過去にスーダンで、黒人の村をアラブの民兵が襲って略奪や強姦など非道の限りを尽くしたという事件がありました。どう見てもその行動は悪です。民兵側にどんなバックグラウンドがあったかとか、家では優しいお父さんだったとか、そんな話はクソくらえだと思うんですよ。やったことは悪そのものです。それが悪の本質だと思いますね。本人が悪魔のようであるかどうかは関係ない。悪魔のような行為を成したらそれはもう悪であり悪魔です。
──貴志さんの小説は、社会現象の先取りになることが多々あります。『黒い家』が実際に起きた集団毒殺事件を予見していたようなケースもそうなのですが、一九九九年の『クリムゾンの迷宮』(角川ホラー文庫)は、二〇〇〇年代に入って社会問題になった、適者生存の世の中で生きる権利を与えられない弱者の存在を、残酷なゲームの形式で描いた作品でした。
貴志 勤めていた会社が新宿にあったものですから、道端に見えないものとして放置されているホームレスの存在にはそのころ衝撃を受けました。そこに人間社会の本質を見るような思いがしたんです。その印象に起因した小説でしたね。
──このシステムには明らかなエラーが存在しているのに、どうして誰も何も言わないの、という非常にまっとうな声が、作品からは聞こえてくることが多いように思います。
貴志 二種類のシステムは必ず破綻すると信じているんです。一つは百パーセント性善説に基づいた、人間は絶対にエラーをしないという前提に基づいたシステムですね。もう一つは、人間を人間として扱わないシステムです。後者についてはむしろ破綻すべきシステムというべきですね。