
「弱いと認めちゃったほうが楽なの。力を抜いて、少しは人に頼ったり、頼られたり。そうしていると行き止まりじゃなくなる。自然といろんな道が見えてくるものよ」
この言葉は、本書の主人公である杉浦草(そう)が、前作『萩を揺らす雨――紅雲町珈琲屋こよみ』で言った言葉だ。人生の先輩であるお草さんのこの言葉は、深くて、しみじみと優しくて、それだけで私はお草さんが好きになってしまった。
北関東の紅雲町(こううんちょう)という町で、コーヒー豆と和食器の店「小蔵屋」を営む女主人、それがお草さんだ。そのお草さんが、日々の暮らしに沸き起こる様々な謎を解いていくという、いわゆるコージー・ミステリーの第二弾である。お草さんが探偵役となって活躍する、というところまでは前作と同じ。ただし、本書でお草さんが解きほぐしていくのは、前作のような個別の謎だけではない。それら個々の謎が絡まりあった大きな謎、紅雲町を舞台に繰り広げられる因縁話にまで、お草さんはかかわっていくことになるのだ。
本書(本シリーズと言ってもいい)の魅力は、何と言ってもお草さんの人となりにある。御年七十超えの、おばあちゃん、という設定がまずいい。七十年生きて来た重み、がお草さんにはある。しかもその重みは、若い頃の離婚で夫の元に残して来た幼い一人息子を、事故で喪うという辛い経験をも含んでいるのだ。もしあの時、自分が息子を連れて家を出ていたなら――。その想いは、お草さんが細い肩にずっと背負い続けている十字架でもある。
おばあちゃん探偵、というと、いわゆるほんわかしたイメージを抱きがちだが(ミス・マープルの影響が大きい)、お草さんはひと味違う。ほんわかしていない、というのではないのだが、何というか、胸の奥に鉄火なものを持っているような気がする。そしてそれは、お草さんの生来のもの、ではなくて、自分がもっと強かったら息子と離れなくて済んだのに、息子を死なせずに済んだのに、という自責から、お草さんが自分で作り上げてきたものだという気がする。もっと自分が強かったら、もっと自分がしっかりしていたら、と。そうやって、お草さんは自分を律して生きて来たのではないか。
けれど、そうやって自分を律する余り、頑になってしまうという道を、自分の周りに垣根を作ってしまうという道を、お草さんはうまく避けてこられたのだと思う。ぐっと奥歯を噛みしめながら、誰も恨まず、自分を卑下せず、出来ることを出来る範囲できっちりと生きて来た、そんな雰囲気をお草さんは纏っているのだ。柳が風を受流すように、女一人で、柔らかに、しなやかに、時にはしたたかに生きて来たお草さんの来し方が、物語のあちこちにうかがえる。
その日まで
発売日:2013年02月01日
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『一人称単数』村上春樹・著
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