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「紅雲町珈琲屋こよみ」だけではない<br />吉永南央の新たな魅力がここにある!

「紅雲町珈琲屋こよみ」だけではない
吉永南央の新たな魅力がここにある!

文:大矢 博子 (書評家)

『キッズタクシー』 (吉永南央 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 吉永南央は連作短編の名手である。

 ――と、長編の解説をこんな出だしにするのもどうかと思うが、ちゃんと意味があるのでしばしおつきあいのほどを。

 吉永南央の著作は本書で十一冊になるが、大部分が連作短編の形式をとっている。四冊を出した看板シリーズでありドラマ化もされる「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ(文藝春秋)をはじめ、ひとりの少年とその関係者の話からなる『Fの記憶』(角川書店)、外国人専用アパートが舞台の『ランタン灯る窓辺で』(創元推理文庫)がそうだ。天才版画家の作品を巡る『青い翅』(双葉社)は長編なのだが、それでも章ごとに語り手とモチーフが変わるので、体裁としては連作短編に近い。

 これらの作品には特徴がある。どれも一応は一話完結の体裁をとっていながら、全体を通してひとつの事件が、あるいはひとつのテーマが展開される形式になっているのである。一見無関係に思えた複数の事件が実はつながっていたんですよ――というのは連作ミステリの様式としてはありふれているが、吉永作品はそのタイプではない。むしろ全体として明らかにひとつの事件があるにもかかわらず、そこから派生する出来事を一話ごとに見せていると言った方がいい。

 回転寿司のようなものだ。次々と流れてくる寿司が各短編である。けれど寿司はどれも同じベルトコンベアに乗っている。寿司を描くことで、ベルトコンベアという全体の動きを書いているのである。

「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ二作目の『その日まで』(文春文庫)を例にとる。北関東の町でコーヒー豆と和食器の店・小蔵屋を経営する七十代の女性――お草さんが、彼女の店を訪れる人や近所の人との関係の中で、事件に巻き込まれたり人を助けたりというシリーズである。『その日まで』の各話では、巧く行かない家族の姿を描く話があったり、昔なじみが高校時代に出会った事件の真相を追ったり、近所に出来たライバル店とのいざこざが描かれたりする。これが寿司だ。けれど話を追うごとに、それらの事件のベースにはその地域とそこに住む人に降り掛かっている共通の問題があったことが次第に明らかになっていく。これがコンベアだ。

 つまり各話単体では成立しないモチーフを扱っているわけで、実態は長編なのである。吉永南央は、連作短編の形をとりながら実は長編を書いているのだ。なぜか。「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズは地方都市の商人の町に暮らす人々の生活と地縁の物語だ。いろんな人がそれぞれの生活を持っていて、その集合体が町なのだから、個々を積み重ねて見せる方がより地縁の意味が浮き彫りになる。だからこその連作短編形式なのである。これは『ランタン灯る窓辺で』にも言えることだ。

 そのような手法を得意とする吉永南央が、今度は最初から長編という形式にトライした。これは注目に値する。

 舞台は北関東の地方都市だ。主人公の木島千春は大学時代に恋人の子を妊娠。結婚はせず、大学を辞めてひとりで生み育てる決意をする。それから十年以上、なんとかやってきたものの生活は楽ではない。そんなとき、酔っぱらいに絡まれ、ほんの僅かな持ち金を奪われかけた千春は、相手を殺してしまう。

 正当防衛が認められ、彼女には同情が集まった。それから十五年。千春はタクシーの運転手として勤務し、息子の修も地元の酒屋に就職した。生活も安定し、何かと良くしてくれる紀伊間という昔なじみのご近所さんもいて、どうやら修には恋人もいるようで、ささやかながら穏やかな日々を送っている。

 ところがある日、彼女が送迎を担当している小学生の壮太が、決められた待ち合わせ場所にいないという事件が起きた。町内では大掛かりな捜索が行なわれるが、壮太は見つからない。ネットには千春が壮太を殺したのではという悪意ある書き込みがなされ、しかも十五年前の事件も掘り返されて――。

 今回も、これまでの吉永南央なら連作短編にしたのではと思うほど複数の筋が――大きく分けてみっつの筋が仕込まれている。ひとつずつ見てみよう。

 まずはキッズタクシーという仕事上の出来事だ。

 もともと車社会でタクシー利用者が少ない地方都市で、千春の勤務するAYタクシーは、子どもをひとりから数人あるいは保護者同伴で乗せる会員制キッズタクシーをメインに営業している。他に、資格をとって要介護者や車いすのお客さんにも対応する。病院の予約をとったり買い物代行なども仕事のうちだ。

 この専門タクシーの業務の描写がまずとても興味深い。私の家族にも要介護者がおり、この手のサービスを行なっている地元のタクシー会社と契約しているのでおおよそは知っているつもりでいたが、キッズ会員というのは盲点だった。体の弱い子の送迎であったり、塾通いに友達数人と一緒に使って親の手間を減らしたりという使い方に思わず膝を打った。膝にタブレット端末を載せた子がいたり、カマキリを連れ込む子がいたりと、キッズの顔ぶれもいろいろ。しかも、送り終わった時点で会社経由で保護者に連絡メールが行くといった業務のディテールも新鮮だ。

 同僚運転手の話なども入り、タクシー会社はこうやって運営されているのかと、これだけでちょっとしたお仕事小説のシリーズが書けそうである。

 ふたつめの筋は、過去の罪との対峙だ。蒸し返されてしまった十五年前の殺人事件。千春を守ろうとする人、離れていく人、悪意ある行動をとる人。そのひとつひとつに胸を打たれたり考えさせられたりするが、いちばんの注目点は千春だ。千春は自分を守ろうとはしない。迷惑をかけた人に申し訳ないと思い、そして修を守るために紀伊間にある頼み事をする。

 そんな中で、物語も後半になって初めて、修が母の事件のときに何を感じ、何を考えていたかがわかる場面がある。野次馬に囲まれ、警察に話を聞かれる千春。その姿を一部始終見ていた幼い修に紀伊間がある一言をかけた、というくだりだ。序盤に、同じ場面を千春の視点から書かれた箇所がある。あの背後にこんな会話があったのかと胸が熱くなった。そこで読者はあらためて、千春・修親子の絆を知るのだ。それまでどちらかと言えばクールで友達のようにも見えたこの親子が実は、千春が人を殺してしまったあの夜から、ずっと手をつないでいたのだと、読者は知るのである。いい場面だ。実にいい場面だ。

 もうおわかりだろう。みっつめの筋は親子小説の側面である。

 さばさばしているのにしっかりつながっている千春と修の母子。その一方で、行方不明になってしまった壮太とその母・公子の関係も並行して語られる。こちらも母ひとり子ひとりの家庭だが、公子は再婚が決まっており、再婚相手の子も身ごもっている。この二組の親子の対比のさせ方が見事だ。

 千春が未婚の母として修を生んだことや、その後殺人事件の犯人となったことは、修の意志とは関係なく修の運命を定めてしまった。公子が夫と離婚したことも、その後再婚を決めたことにも、壮太の意志は存在しない。子どもは、どうしても大人の生き方に振り回される。親が運転する車に、子どもはただ乗っているしかない――つまり、すべての親子関係はキッズタクシーなのだ。

 そんな中で、行き先も告げずに走っている親に不満を覚え、勝手に飛び降りてしまったのが壮太である。一方、不安定な運転でも親を信頼して後部座席に座り、ときにはナビにもなるのが修だ。そして、いつか子どもがタクシーから降りる日がきたとき、「忘れ物はありませんか?」「ご乗車ありがとうございました」とにこやかに告げられるだろう親が、千春なのである。

 他にも、公子の婚約者とその母であったり、千春が殺してしまった男とその息子の話であったり、紀伊間とその親との関係であったりと、複数の親子関係が登場し、絡み合う。それぞれのありようを、ぜひ読み比べていただきたい。

 こうしてみると、実に盛りだくさんだ。そしてこれも「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ同様、地方都市の地縁の物語であることにお気づきかと思う。子どもを乗せ、彼らの生活の場をつなぐキッズタクシーという仕事。乗る子どもにも、乗せるドライバーにも、それぞれの生活があり、事情があり、ドラマがある。それがふとしたときに交差する。実に象徴的だ。

 しかし地縁の物語というだけなら「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズのようなお得意の連作短編でよかったはずだ。壮太失踪事件、過去の事件を知る誰かからの嫌がらせ事件、修の婚約騒ぎ、ドライバーの同僚の事件などなど、一話完結の連作で展開しようと思えばできる構造である。回転寿司で言えば、どれも立派な寿司ネタなのだから。

 そこを長編にしたのは、寿司ではなくコンベアの流れこそを見て欲しい作品だったからだ。いや、この場合はタクシーなのだから、道路を、そのルートを見て欲しい作品と言うべきだろう。千春と修だけではない。公子が、壮太が、紀伊間が、修の恋人が、運転手の同僚が、壮太の友達が、千春が殺した男の息子が、どう関係し、何を経て、どう変わるか。そんな人々の交差から、彼らそれぞれがどの道を選ぶか。それこそが本書の主眼なのである。

 物語の最後にこんな言葉がある。

「タクシーで走り回る街は、一見、変わらない。/でも、昨日と今日とは確実に違う。だから、同じ道でも違う道だ」

 人も一緒だ。昨日の修と今日の修は、昨日の壮太と今日の壮太は、確実に違う。同じ人でも、違う人だ。そうして人は変わっていく。変わりながら、変わらないものを育んでいく。これはそういう物語なのだ。後部座席に子どもを乗せ、親がハンドルを握る何台もの車が、それぞれどこへ向かうのかを、追う物語なのだ。だからこそ、個々の事件を切り取って見せるのでは意味がない。長編でなければならなかったのである。

 これまで著者の連作短編しか読んだことがない、という読者にはぜひ本書をお勧めしたい。吉永南央の、変わらない魅力が新たな力で押し出された作品である。

文春文庫
キッズタクシー
吉永南央

定価:671円(税込)発売日:2015年03月10日

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