
- 2003.09.20
- インタビュー・対談
〈ロング対談〉新世紀本格の最前線 笠井潔×歌野晶午
「本の話」編集部
『葉桜の季節に君を想うということ』 (歌野晶午 著)
出典 : #本の話
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
名探偵たちが消えた
歌野 九二年というのはどういう年ですか。
笠井 綾辻君の『黒猫館の殺人』や法月君の『ふたたび赤い悪夢』、北村薫さんの(春桜亭)円紫ものの『六の宮の姫君』、有栖川(有栖)君の『双頭の悪魔』などが出た年です。僕の『哲学者の密室』もこの年で、島田荘司さんの『アトポス』は九三年かな。八〇年代の末から九〇年代の初めにかけて活躍した、第三の波の花形探偵が、この時期を最後に次々と姿を消していく。後でまた復活したりもするけれど、いったん空白期に入っていったわけです。歌野君の最初の三作も、信濃譲二という名探偵が登場する、正統的な本格の枠を踏襲したものです。歌野君の場合はほかの人たちよりもちょっと早くて、九二年まで行かないでやめたにしても、そういう流れの中で捉えることができると思うんです。ある意味で名探偵システムの危機みたいなものが九二、三年ぐらいに表面化してきた。
歌野 確かに気になる偶然ですね。みんなそれぞれ中断させた理由は違うんでしょうけど。
笠井 僕の場合は次作の『オイディプス症候群』の書き直しに手間取り、結局七年ぐらいかかってしまったというのが中断の理由です(笑)。『オイディプス症候群』は孤島のクローズド・サークルものなのですが、雑誌連載の段階では探偵役のカケルは最後に登場して謎解きをするだけだったんです。なぜそうしたかというと、クローズド・サークルの中にシリーズ・キャラクターがいると、サスペンス性が失われると思ったんですね。探偵役とワトソン役はどうせ死なないだろうから、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』と違って、必ず二人は生き残ると読者に思われてしまう。だから、ワトソン役のナディアも、どうせ死なないだろうと読者は思うかもしれないが、探偵役同伴よりはハラハラするだろうということでそうしたつもりだったんだけど、後でよくよく考えてみると、さっきから言っている、正統本格の枠組みがどこか失効してきているということへの無意識の対応でそうなったのかなあという感じもするんです。
もう一つ偶然の一致があって、僕が『オイディプス症候群』を連載していたのとちょうど同じ頃に書かれていたはずの『アトポス』でも、探偵役は一番最後に馬に乗ってやってきて謎を解くだけで(笑)、それまでは出てこない。期せずして同じような構成をとっているんですね。
歌野君が信濃シリーズをいったん三作で打ち止めにして、九〇年代に入ってからは正統的な本格からズレていくような方向性になったのはなぜですか。
歌野 僕が信濃を退場させたのは、正義の側にあるはずの探偵がマリファナを吸うというのはまずいから退場させてくれと、版元の部長さんに言われたからで(笑)、なにも言われなかったらその後も書いていたかもしれないんですが、あれだけの数の名探偵が同じような時期にいなくなったというのは、やっぱりなにかあるんでしょうね。
笠井 それぞれの作家自身は名探偵システムの危機を自覚して引っ込めたというふうに思っている人はいなくて、綾辻君なんかは不用意にゲームの仕事を引き受けてしまって、小説を書いている暇がなくなっちゃったわけだし、それぞれ理由があると思うんだけど、十年たって俯瞰(ふかん)して見ると、諸個人の都合とはまた別に、なにか時代的な意味を読み取ってもいいんじゃないかと思うんです。
歌野 僕の場合は信濃シリーズをやめたことによって次に何を書くかということを一から考えなきゃいけなくなったというのはありますね。自分の本格は何かという問題も含めて。
笠井 その後、名探偵ものから離れて、『死体を買う男』とか『ブードゥー・チャイルド』『安達ヶ原の鬼密室』『世界の終わり、あるいは始まり』といった、コアな本格読者から注目される問題作を二年に一冊ぐらい書き継いできたわけですね。ただし、歌野君の場合、そのつど違うことを試みるから、例えば折原さんみたいに叙述トリック一本というわけではないので、歌野作品を継続して読んできた読者でないと、なにを考えてやっているのかよく分からないところがあったかもしれません。
歌野 それは自分でもずっと気にしていることで、やっぱり職業として作家をやるにはスタイルというのは絶対大事だと思うんですが、どうも自分は飽きてしまうというか、気持ちが保てないんですね。言い訳になっちゃうんですけど、僕は本格ミステリは二つの部分から成り立っていると思うんです。一つは昔からのものを守ろうとする方向性。本格のガジェットであるとか、名探偵システムであるとか、そういうものを守ろうという方向です。その一方で、新しいものを求めようという方向性もあって、それはトリックですね。トリックに関してはどんなに保守的な読者でも、以前の焼き直しよりは新しいトリックのほうを喜ぶわけです。
僕は読者としてはどちらも好きなんですが、書き手となると、どうしても新しいものを求めるほうにばかり目が向いてしまって、古いものを大事にしようという気持ちが起きないんですね。ああ、また似たようなものを書くのかといったん思ってしまうと、気分が乗らなくなってしまう。そのあたりのバランスをうまくとって書ければいいんですけど、つい新しいことばかり考えちゃうんですよ。こういうのってよくないなあ、と思うんですけど。
笠井 しかし、それは読者にとってはいいことだと思うけど。
歌野 いや、年間何冊も本を出していればそれでいいと思うんですけど、たまにしか出さないのにいつも違うというのは、どうもよくないみたいです。たまに出して同じというのは読者に安心感を与えられるけど、たまに出して違うのだったら、別人が書いてるのと一緒ですから。
笠井 シリーズ名探偵ものの本格の場合には、型の踏襲を楽しむというところもありますね。類型的キャラクターが類型的なふるまいをするのがうれしいという。でも、それと同時に思いもよらない形で完璧に騙されたいという、その二つがないと正統本格にはならない。
歌野 だから、前の作品と完全に同じだったらダメなんですが、トリックが新しかったら、シチュエーションとかが似ていても文句は言われないんですよね。そういうのが正統的な本格だと思うし、書きたいなあと思うんだけど、なかなか自分ではできないんです。
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