なぜそこまで長いものを仕上げることにこだわったのか。
「短編だと世界の部分を切り取る感じになるでしょう。そうではなくて、自分のことばで大きな世界をつくりたいという好みが、中学生の頃からありました。ただ、賞にも合わないし、生計には結びつかない、損な書き方かもしれません。作中の『私』も、出版するあてもないのにそんな長いもの書いてどうするんだって怒られていますが(笑)」
実際、『感受体のおどり』は、三分の一ほどが雑誌に発表されただけだった。
「105番までを『航海記』創刊号に発表しました。これは同人誌ではなく、羽黒洞という出版元から一九八三年に出た文芸誌です。岩田宏さんなどに書いていただきましたが、原稿が足りなくて、私のものを穴埋めに使ったのです。もし創刊号で終わってしまわなければ、続けて載せるつもりでした。翌年、最後まで仕上がったので、なんとか本にしたいとある版元に持ち込んだんですが、条件が折り合わずに諦めました。ごたごたしているより、次の作品を書きはじめようと思いました」
未発表部分を読んだ人はいたのだろうか。
「手書き原稿ひとつしかないのでは心もとないですよね。やっとコピーが手軽にできる時代になったので、ほんの数人に、火事があると燃えちゃうから預かっててよ、と言って、原稿のコピーを送りつけました。昔、一緒に同人誌をやっていた連中ですから、読んではくれたみたいです(笑)」
こうして、『感受体のおどり』は刊行された。完成してからちょうど三十年後である。
「夢みたいで、自分でもまだ状況が飲み込めていません(笑)。生きているうちに本にはならないだろうなと諦めていましたから。
刊行にあたって、いくつかの断章を入れ替えたり書き直したりしました。三十年経ってしまったけれど、七十過ぎてから手を入れることができたわけですから、結果的にはこれでよかったのだろうと思いますね」
本作もまた、時間そのものが主題をなす。踊りの師匠である「月白(つきしろ)」、きょうだい弟子の「練緒(ねりお) 」、物書き志望の「走井(はしりー)」など、五十人もの人物と語り手の「私」との関係の変容が描かれる。
登場人物すべての名前には「ら行」の音が含まれる。「毬犬(まりーぬ)」「錆入(さびーり)」などと日本語ばなれした響きをもち、男か女か限定できないように仕組まれている。
「小説の人物の名前には昔からこだわりがあって、この作ではその人物像だけでなく、相互の関係を示す呼び名を考えました。こんな名前も、三十年前にはもっと抵抗感を持たれたかもしれませんね。面白いことに、当時生原稿のコピーを読んだ友人たちは、この小説には性別がないということに気づきませんでした。『私』は女だと思いこんで、周りを男女いずれかにあてはめて読む。昔からの知り合いが、私が『私』といえば女に決まっていると受け取るのは当然なのかもしれないけれども、『男か女かは不定だ』と十回も繰り返して書いたのに、とちょっと不満でした」
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