文中、ガモウともうひとりの柱である金木医師に、西木氏の片鱗が多々見出せたのだが、それもそのはず。聞けば、金木医師は氏の父上がモデルだという。金木医師が暮らす神代村の隣村・西明寺村とは氏の故郷、由緒正しき最果ての地、後の西木村だ。
村人たちは、自分達をジャゴ者(田舎者)と自嘲するのだが、田舎者とは、住んでいる場所を指して言うのではない。人を見下してえらぶる人間、自分を笑うユーモアに欠けている人を侮蔑する言葉だ。その意味で村人たちは、皆、立派な都会人。金木医師はその最たるもので、診療費を現物払いされても慈悲や施しでやっているという観念がはなからない。彼にとっては、医療も畑仕事もまったく同等の営みで、行為のすべてが自然体だ。
「人間、生きてるだけでいいんだよ」。金木医師の人をいつくしむ気持ちが全編に流れ、深く癒される。
「あー、おもしろかった」
満足して本を閉じたとき、思わず口をついて出た。その昔、感想文も日記も、すべて「おもしろかったよ」の一言で片付けてしまう息子を叱責していたのを思い出し苦笑する。この書評も、危惧していたとおり感想文になってしまったが、よく考えると、「おもしろい」こそ、最高の褒(ほ)め言葉ではないだろうか。
この本を読み耽ったため、十分な下準備もできず、ひどい寝不足の状態で、これから仕事に趣くことになった。通訳中絶句して「引退勧告」を受ける危険性大である。やはり書評は火中の栗だったのだ。
しかし、今は失職も株価の低迷も老後の生活も何も怖くない。ガモウや金木医師が住む村なら、きっと何とか暮らしていける。地図で「西木村」を探し、マス漁をする全裸の男たちに遭うのだ。ガモの大きさを褒めて獲物のわけ前をいただき、夜は金木医院で泊めてもらおう。
西木正明氏の心の片隅にも、男たちが酒を酌み交わす金木医院が、あの頃のままに残っている。だからこそ、氏は、歴史の裏側を旅し、こよなく女性を愛し、秋田のいたずらっ子のように自由に羽ばたいていられるのだ。田舎者の無頼漢を演じる氏が、時おり垣間見せる恥じらい。女心をわしづかみにする男たちを育(はぐく)む秋田に乾杯!
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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