書評

さまざまな秘密を隠して、湖は静かに凪ぐ

文: 千街 晶之 (ミステリ評論家)

『水底フェスタ』 (辻村深月 著)

 一方、由貴美は彼より八歳も年上であるのみならず、生き馬の目を抜く芸能界を潜り抜けてきた女である。頭の回転が速く、度胸もあるし、美貌を武器として使う術(すべ)も知っている。純情な広海を手玉に取るくらいはたやすいことだ。早い時点で明かされるように、彼女は最初から広海を、母親を死に追いやった村への復讐のために利用するつもりである。しかし、それも彼女の真意のすべてというわけではない。

 本書は広海の視点で描かれており、著者ならではの怖いほど的確な心理描写によって、彼が恋に溺れてゆくさまが手に取るように伝わってくる。読んでいるこちらからすると、「おい、その女はやばいぞ、やめとけ」と言いたくもなるのだが、もちろんそんな声が耳に入ったところで、彼は耳も貸さないだろう。そして、彼がそうなるのも無理もないと読者にも思わせるように、この由貴美というキャラクターはあまりにも魅力的に描かれている。実際に彼女が目の前に現れたら、果たして復讐への誘(いざな)いに抗(あらが)えるだろうか、と思うほどに。

 ところが、物語後半に入ると、そんな彼女の魅力すら影を薄くさせてしまうほどの圧倒的な存在が広海を呪縛するのである。それは他の登場人物ではない。彼が暮らしている、睦ッ代村という小さな共同体そのものだ。ある意味、この村こそが、本書の主人公だとすら言えるのではないか。

 ミステリの世界ではしばしば、閉鎖的な集落が舞台に選ばれることがある。これは恐らく、『獄門島』(一九四九年)や『八つ墓村』(一九五一年)など、横溝正史の戦後の作品群の影響が強いのだろう。その後の作品では、藤本泉の『時をきざむ潮』(一九七七年)を含む「エゾ共和国」五部作、山村正夫の『湯殿山麓呪い村』(一九八〇年)、栗本薫の『鬼面の研究』(一九八一年)などが思い浮かぶ。更に近年の作品では、小野不由美の『黒祠(こくし)の島』(二〇〇一年)や、『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』(二〇〇六年)にはじまる三津田信三の刀城言耶(とうじょうげんや)シリーズが代表格と言える。ミステリに限定しないのであれば、この種の舞台設定は泉鏡花の『夜叉ヶ池』(一九一三年)あたりにまで遡ることが出来るだろう。

 何故こういった集落がミステリの舞台に選ばれやすいのかといえば、迷信や祟りといった伝奇的でおどろおどろしいモチーフを生かしやすいという理由もあるだろうし、他にも、警察すら介入が難しい設定によってスリルを増す効果(例えば『八つ墓村』で殺人犯と疑われた主人公の寺田辰弥が村人に追われるくだりなど)、閉鎖的な共同体独自の価値観そのものが生む恐怖、あるいは、そのような舞台設定だからこそ成立する特殊な犯行動機などを描けるという理由もあるに違いない。

 本書の睦ッ代村は、そういった閉鎖的な集落とは一線を画しているように見える。日本のどこにでもある過疎集落だったこの村は、十年前、東京の日馬開発の協力のもとにロックフェスを誘致した。それによって、村には多くの観光客がやってくるようになり、人口も増えた。昔ながらの織物業にもブランド力が生まれる。所謂(いわゆる)「平成の大合併」の際も独立を保ち続け、日馬開発によって私鉄の駅まで建設されるに至った。

 広海の父で現村長の飛雄(とびお)は、歴代村長と較べて威厳は乏しいものの、そのぶん旧弊なところはなく、利潤追求としてではなく純粋に音楽を愛してフェスを受け入れている。広海はそんな父や、村の医師である従兄の須和光広のことは尊敬しているけれども、一方で、いかにも俗物的で視野が狭い母の美津子、自分に見えているものが見えていない様子の同級生たち、そして粗暴な日馬達哉に対しては、内心は距離をおきつつも表向きはそつなく付き合ってきた。

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水底フェスタ
辻村深月・著

定価:本体600円+税 発売日:2014年08月06日

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