「オメラスから歩み去る人々」という小説をご存じだろうか。アメリカのSF作家アーシュラ・K・ル・グィンの短篇集『風の十二方位』(一九七五年)に収録された、ごく短い作品である。マイケル・サンデルのベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』(二〇〇九年)で引用されたことで、その存在を知ったひとも多いだろう。つい最近では、逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』(一九八六年)を原作とするTVドラマ『MOZU』(二〇一四年)で、登場人物のひとりがこの作品に言及したことが話題を呼んだ。
舞台であるオメラスという都市は、身分の違いによる差別もなく、戦争もなく、住人の誰もが精神的・物質的に豊かな暮らしを享受している理想郷である。しかし、都市のどこかの不潔な地下室には、ひとりの子供がろくに食べ物も与えられず監禁されている。オメラスの祝祭の日々は、すべてこの子供を監禁しておくという条件と引き換えに成立しているものであり、子供を解放すればその瞬間に平和も繁栄もすべて失われるのだということを住人はみな知っている。だから、理不尽であるとは知りつつも、その子供を虐待し続けなければならない――。
恐ろしい物語である。何が恐ろしいかというと、現実の国家や地方共同体の多くも、オメラスのように住人だけが暗黙のうちに共有する、他者には明かせない暗部を秘めているものであり、従ってこの物語を決して他人事として読むことは出来ない点だ。それが悪いことだと知っていても、現在の平穏な状態を保つためには告発することなく秘密を共有してしまう――そんなオメラスに似た場所は、フィクションの世界にも、現実にも容易に見つけ出せる。
辻村深月の長篇小説『水底フェスタ』もまた、少年と年上の女性の恋愛小説仕立てで読者を誘導しながら、そんな共同体の暗部を鋭く抉り、読者に突きつけてみせる恐るべき傑作だ。心して読まれたい。
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