書評

承認をめぐる闘争の修羅

文: 三浦 雅士 (文芸評論家)

『妖談』 (車谷長吉 著)

 車谷長吉は私小説作家ではない。

「これまでに書いて来た小説の半分以上は、モデルなどいない、作り話である。」と車谷長吉自身が書いている、「けれども、最初の作品が私小説だったので、いまでも『私小説作家。』という烙印を捺されている。この烙印は多くの場合、軽蔑の意味を込めて言われるのである。西洋文学を崇拝している人たちが、そう言うのである。つまり西洋に対する劣等感の裏返しである。」と。車谷長吉の小説が作り話であることは、傑作『赤目四十八瀧心中未遂』を読むだけですぐに分かる。自身をモデルにしてはいても、白熱する物語がそれをはるかに飛び越している。

 にもかかわらず私小説作家と言われる。なぜか。

 私小説作家ではないが、私小説と言われるものがどのようなものであるか、正確に知っているからである。知っていて、それを逆手に取っているのだ。引用された文章が次のように続くところからもそれは明瞭に見て取れる。

「国夫は田舎の高校生だった時から、一生に一遍だけ、東京の文芸雑誌に自分の書いた小説が載れば、あとは京都の禅寺へ行って、雲水になり、併し位の高い坊さんなどは決して目指さず、一雲水として、どこかで野垂れ死にしたいと思うていた。/が、そうは行かなかった。一番の原因は、国夫が優柔不断であったからである。」(「文盲のおばあさん」)

 雲水に小説は必要ではない。優柔不断が小説を必要とするのだ。そしてその小説の機微に迫るには、俗にいう私小説の手法こそもっとも有効なのだ。

 私小説とは一般には次のようなものと解されている。『大辞泉』から引く。

「作者自身を主人公として、自己の生活体験とその間の心境や感慨を吐露していく小説。日本独特の小説の一形態で、大正期から昭和初期にかけて文壇の主流をなした。」

 だが、文学史の理論としてはともかく、現実には私小説とはそういうものではない。少なくともそういうふうには受け取られていない。そうではなく、実生活の感情の葛藤を、そのなかの登場人物たちが実社会の誰であるか明瞭に分かるかたちで書くことによって、文学的感興を越えた関心を惹き起こす小説のことを指すように受け取られているのである。したがって、「そんなものは文学ではない」と、「西洋文学を崇拝している人たち」が言うのは一面ではもっともであって、文学的感興を越えた関心というのはすなわち実社会的な関心、いわば新聞の三面記事的な、週刊誌的な関心にほかならないからである。

 だがそうだろうか、と、車谷長吉は言うのである。文学の核心はむしろ、実社会的な関心、三面記事的な、週刊誌的な関心にこそ潜んでいるのではないか、と。つまり、俗にいう私小説にこそ文学の核心が潜んでいるのではないか、と。

 なぜか。理由を以下に説明する。『妖談』の魅力を説明することにもなるからだ。

「作家になることは、人の顰蹙を買うことだ」と気づいたときは、もう遅かった、と、車谷長吉は書いている。

「人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。出版社の編輯者は、自分は人の顰蹙を買いたくはないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求して来る。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなるのである。読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである。」(「まさか」)

 人の顰蹙を買うような文章だけが売れるのかどうか、とか、それは車谷長吉のような作家の場合だけではないか、とか、そういったたぐいの議論はここでは必要ではない。問題は、「人の顰蹙を買うような文章」とはどういうものであるかということである。それは、人の心を穏やかならざるものにする文章のことである。それが実社会的な関心、三面記事的な、週刊誌的な関心と無縁でないことは言うまでもない。というより、それそのものであると言っていいほどだ。要するにそれは、他人に認められたいと思う人間の欲望を、それが誰のものであれ、赤裸々に暴き出す文章のことなのだ。食欲、性欲、所有欲、金銭欲、権力欲、名誉欲、自己顕示欲等々を、あからさまに示すことは一般に下品であるとされていて、人はそれを隠そうとするが、隠せば隠すほどかえって現われてしまう。その現われてしまう機微をあからさまに書けば、「人の顰蹙を買うような文章」になってしまう、車谷長吉はそう述べているのである。

 その現われてしまう機微の典型的な例が、たとえば「毆る蹴る」に示されている。

 ドイツ文学者として有名なある大学教授が、ゲーテの『ファウスト』の一節、ファウスト博士が「すべての学問は灰色だッ。」と嘆く場面を講釈して、「僕ぐらいの大学者になると、こういうファウスト博士の嘆きがよく分かるんだ。」と呟いた瞬間、作者を思わせる主人公が「えッ、誰が大学者なの。」と言って、クラス中の笑いを誘い、件の大学教授が授業を打ち切りにしてしまうという話である。主人公は、大学教授の研究室に出入りする大学院の学生に呼び出され、殴る蹴るの暴行を受ける。あなたがたは件の大学教授にいずれどこかの二流大学にドイツ語教師に推薦してもらおうッていう下心があるから私を殴るんだ、という主人公の叫びが、暴行をいっそう激しいものにする。

【次ページ】

妖談
車谷長吉・著

定価:588円(税込) 発売日:2013年7月10日

詳しい内容はこちら