人にどのように見られるかが人間にとって決定的なのは、それが人間の生死にかかわるからである。承認された赤子は、その承認のされ方にしたがって育つ。すなわち、長男、長女、あるいは次男、次女として育てられるその育てられ方、躾けられ方のなかで、育つ。自分の序列すなわち食事の順序、衣服を買い与えられる順序等々を、日本語とともに習得しながら育つのである──これもまた詳述する紙幅がないが、車谷長吉の小説のなかで弟が占める位置は些細なものではない。
自尊心、虚栄心、劣等感が「人間精神の三悪」であるとすれば、人間精神は三悪によって構成されているのだと言わなければならない。それは赤子が人間精神へと離陸する段階において決定的に染み込ませられたものなのだ。人間精神が最初から社会的であるのはそのためであって、社会は自尊心、虚栄心、劣等感によって成り立っているのである。
車谷長吉は私小説作家ではないと冒頭に述べた。人間と社会を描くに私小説的手法ほど有効なものはない、車谷長吉はそう考えて私小説的手法を採っているわけだが、とすればそれこそまさに私小説作家ということではないかということになる。だが、そのことを自覚しているかいないかは、ここでは決定的な意味を持つのである。小説に描かれた「人間精神の三悪」、自尊心、虚栄心、劣等感はてんでに動きはじめずにおかないからだ。
『妖談』のなかの短篇の多くが、それぞれの時空をともなって中篇小説、長篇小説へと離陸しそうな様子を見せるのは、そのすべてにおいて「人間精神の三悪」がそれぞれに蠢きはじめているからである。あえていえばそれは小説の素のようなものであって、そのことは、それが人間社会の素であることと変わらない。それは社会を動かすのとまったく同じように、小説を、物語を動かすのだ。『妖談』の短篇の多くが長篇の粗筋のようなものであるのはそのためだ。登場人物のどのような欲望も、小説家の執拗な追及を待っているように見えてしまうのである。私小説の手法が肥大して、私小説を食い破っているのだ。
このような事態は、承認をめぐる闘争、とりわけその発端に関する車谷長吉の直観がきわめて鋭いために生じていると言っていい。たとえば最後の短篇「悪夢」に、その鋭さがきわめて端的に示されている。描かれているのはユングのいうグレートマザー(太母)のようなものだが、それが恐怖を思わせるほどに凄まじいのは、承認をめぐる闘争の第一段階、乳房を含ませる母のその無限抱擁が、赤子にとっては生と死の二面性を同時に意味してしまうことによっている──承認をめぐる闘争そのものの二面性である。そこでは、受容されることの歓喜が、併呑されることすなわち呑みこまれてしまうことの恐怖と、表裏一体なのだ。
短篇「悪夢」は短篇「二人の母」の不気味さと相補的──一方は受容、他方は遺棄──だが、それが根源的な相補性としてあることは、この相補性が『妖談』の随所に底流していることからも窺われる。車谷長吉が女に対する憧憬と恐怖をつねに同時に描いてしまうのは当然のことなのだ。それは自尊心、虚栄心、劣等感という「人間精神の三悪」すなわち認められないことへの恐怖と同根のものなのだ。彼は美女を追いかけ美女に拒まれるが、同時に美女に追いかけられ美女に食われてしまうのである。 『妖談』は、そういう意味で、車谷長吉が今後どのような作品を書いてゆくか──本人は死ぬことしか考えていないと何度も嘯いているが──占ううえで、きわめて重要な短篇集であると言っていい。中篇小説や長篇小説へと発展してゆくべきさまざまな萌芽がひしめいているからである。
車谷長吉が私小説的な手法を極限的なかたちで活用することによって示したこのような達成は、しかし、彼自身の小説の展開においてのみ重要なわけではない。この事実について、人はよくよく考えてみる必要がある。これまでに説明した車谷長吉の小説の特性は、たとえばパフォーミング・アーツが二十世紀末に到達した頂点のひとつ、ピナ・バウシュのダンスシアターに酷似している。
残酷とも醜悪とも評されたピナ・バウシュの舞台は、一九八〇年代から九〇年代にかけて、世界の、とりわけ知識人層に強烈な衝撃を与えた。日本も例外ではない。先鋭を売り物にする大学教授やそれに追随する学生たちが衝撃を受け絶賛したのである。だが、ピナ・バウシュが舞台においてしたことは、車谷長吉が小説においてしたことと、それほど違っているわけではない。ピナ・バウシュは、強烈に記憶されていること、すなわち痛みとして思い出されることを舞台上に展開することを、ダンサーの一人ひとりに強いたのである。言ってみれば身体による私小説的な告白である。恥ずかしかった身体の記憶、辛かった身体の記憶を舞台上において反復すること。それはほとんど精神分析の治療に似てくるが、その結果、ピナ・バウシュが最終的に到達したのは、逆説めくが、人間の身体の持つ根源的な「やさしさ」にほかならなかった。これをこれまでの文脈にそって言い換えれば、人間の社会性を形成する承認をめぐる闘争──痛みはそこからしか生じない──と相補的な関係にあるのは無限の承認すなわち「やさしさ」にほかならないということである。ピナ・バウシュもまた母の──あるいは父の──無限抱擁の二面性の前でほとんど棒立ちになっていたのだ、と言うべきかもしれない。
先に、車谷長吉の小説世界のなかで弟の存在は些細なものではないと述べたが、ここまで来ると、それ以上に些細なものでないのが、車谷長吉が呼ぶところの「嫁はん」であることがよく分かってくる。車谷長吉の小説世界はいまやこの「嫁はん」のなかに「やさしさ」の二面性、「グレートマザー」の二面性を見出す過程、いや、描き出す過程として展開し始めているのである。私小説を方法として用いることの機微がここに端的に示されている──特殊が普遍に達するのは言語の必然であり、人間にあっては身体もまた言語なのだ。車谷長吉が私小説作家でないのは、ピナ・バウシュが私小説的舞踊家でないのと同じである。その方法はむしろすぐれて現代的であると言わなければならないだろう。
車谷長吉は私小説を方法として採用することによって、私小説を内側から食い破った。それが人間の本質を解明する捷径にほかならないことを示したのである。
このことを肝に銘ずべきは、あるいは車谷長吉自身であるかもしれない。