自由に選べるのにそうせずに人まかせにすることは、「自分であること」を放棄するにも等しい。ただその一方で、選べないもの、変えられないことにまで固執し、何としても自分でコントロールしたいとするのもまた間違いであることを、著者は繰り返し指摘する。たとえば、「老化が不自然に進むことを止めるために努力する」のは選択してよい、あるいは選択すべきことかもしれないが、「自然の老いを過剰なアンチ・エイジング医療でストップする」ことには著者は異を唱える。80歳を迎えた自身の体調や養生法などについて語った次の言葉に、著者の「選択論」の答えがあるように思う。
「順調に老化が進んでいる、という言い方は変ですが、この年になって体の各部がおかしくならないほうが不自然というもの。
ガンも細胞の老化でしょう。エントロピーは人間の体にも自然に進行します。
それを受け入れながら、やるべきことはやる。できるだけ体を動かすとか、暴飲暴食をつつしむとか、ごく当り前のことです」
選べないもの、変えられないことは、毅然として受け入れる。しかし、すべてをあきらめて自暴自棄にならずに、やれること、やるべきことはひとつひとつ、丁寧に選びながら責任をもってこなしていく。この繰り返しにこそ、納得いく人生、満足いく人生があるのだ。著者は、そういった人生の終着点としての自然の最期を「ナチュラル・エンディング」と呼んでいる。
本書には、親鸞、法然、吉田兼好から自然死をすすめる現代の医師・石飛幸三氏まで、多くの“人生の達人”たちの「選び方」がわかりやすく紹介される。もちろん、五木氏自身がこれまでの人生で何を選び、何を選ばなかったのかも、具体例とともに明かされる。それらは私たちにとっても、おおいに参考になることだろう。
とはいえ、やはり最終的に選ぶのは誰でもない、私たちひとりひとりなのである。親に激しく歯向かった思春期のあの日から、「私は生きた」とは「私は選んだ」と同義であったのだ。
本書によりそう気づかされてから評者は、昼ごはんのメニューひとつ選ぶことにさえ、何かいとおしさのような感情を抱くようになった。「うどんかカレーか…今日はうどんにしておくか」といった選択は一見、何気ないことのようだが、実は私の心はここ一週間の食生活、昼休みの残り時間、からだが欲する栄養素などの情報をインプットしてフル稼働し、この選択を行っているのだ。人生であと何度、こうやって自分の意思で何かを選ぶことができるだろう…。おそらく本書を読んだすべての読者が評者と同じ心境になり、いまある日々がキラキラと輝いて見えてくるに違いない。
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