書評

書きたくて。書きたくなくて。

文: 竹内 政明 (読売新聞「編集手帳」執筆者)

『「編集手帳」の文章術』 (竹内政明 著)

 口紅でも、クリームでも、化粧品のセールスはたいへんだそうですね。何年か前のサラリーマン川柳に、なるほどと思わせる一句がありました。

 売る人の顔見てやめた化粧品

 自動車や家電製品であれば、売る人の容貌は問題にされないでしょう。化粧品となると、そうはいきません。

「高いお金を出して、効果はその程度なの?」とお客さんに顔を指さされては、売る人の女心は傷つくはずです。

 文章読本を書くのが気の進まない理由も、それに似ています。化粧品店のお客さんが販売員の顔を意地悪く観察してシワやシミを数え上げるのと同じように、読者は文章のアラ探しをしながら読むことでしょう。ホラ、こんな陳腐な言い回しを使っている。ホラ、文法の間違いを見つけた。不細工な人間に美容法を語られてもね…等々。

 読売新聞の朝刊1面コラム『編集手帳』を執筆して11年がたちました。業界でも古株の部類に入ります。

 来る日も来る日も日本語を相手に組んずほぐれつの格闘をしていると、その苦労話を一冊にまとめてみたい欲求が生まれます。いつかは書きたい本でした。と同時に、書きたくない本でもありました。

 書く手間の煩わしさにおいて、文章読本の上をいく書物はないでしょう。化粧品の販売員に向けられる〈不細工のくせに、何を偉そうに!〉攻撃にくわえて、政治家に向けられる〈自分で口にした公約ぐらい守れよ!〉攻撃にも備えなければなりません。

 どういうことかと言いますと、たとえばこの本のなかで私は、「接続詞を安易に使わない」と書いています。

 虐待でもいいし、いじめでもいいのですが、ある痛ましい出来事を題材にコラムを書いた。やりきれない思いを、抑えに抑えてきた怒りを、末尾の2行に込めたとします。

[A]怒りにまかせて飲む酒がうまくないのは分かっている。しかし、飲まずにはいられない夜もある。

[B]怒りにまかせて飲む酒がうまくないのは分かっている。飲まずにはいられない夜もある。

「しかし」を省略した[B]のほうが余情をたたえて点数が高い、と書きました。ある章ではそう書いておいて、別の章で「しかし」を使ったらどうでしょう。読者は、「接続詞は使わないと自分で大見得を切っておきながら、なんだよ、使ってるじゃないか。この嘘つき!」と文句を言うはずです。

 というわけで、原稿用紙300枚を超す分量の本を、ただの1個も接続詞を使わずに書く、という苦役をみずからに課すことになりました。

「―的」をめぐる苦役もありました。別の表現に置き換えてみる。「感情的な文章」を「感情の激した調子の文章」に置き換えてみる。「科学の飛躍的な進歩」を「かつての百歩を一歩にしてしまうような科学の進歩」に置き換えてみる…。そう書いた手前、「―的」という表現は使えません。一匹残らず駆除するのに骨が折れました。

 コラムは「尾頭(おかしら)つき」で書くべし、という持論を述べた章でも苦役を背負い込みました。シェークスピアを引用して書き始めたらシェークスピアの引用で締めくくる。落語を引用して書き始めたら落語の引用で締めくくる。「尾頭つき」とはそういう意味です。

 いったん持論を述べてしまうと、述べた持論に自分が縛られます。縛られた揚げ句、この本のなかで私は“マグロの尾頭つき”という奇怪な料理を披露しています。(これだけでは何のことか意味不明でしょうね。「まえがき」の最初の1行から「あとがき」の末尾の1行までを通してお読みいただければ、お分かりになると思います)

 ことほどさように、文章読本の執筆は無駄に神経をすり減らす作業の連続でありました。「よせばよかった」というのが正直な感想です。

 最後に、この本を書きたくなかった本当の理由を正直に白状しておきましょう。じつは〈もっと、ほかのことに脳みそを使えよ!〉攻撃が怖かったのです。川柳をもう一句。

 シワがない お肌じゃなくて 脳みそが

 大事なのは中身だろ。文章術なんかで見た目を飾るヒマがあったら、政治や経済をもっと勉強して、鋭い切り口のコラムが書けるように脳みそを鍛えるのが本当じゃないのか、竹内君!

 お言葉ですが、鍛えて良くなる脳みそがあったら、雑文稼業なんぞに手を染めてはおりません。意地悪は言いっこなしにしましょうよ。

 蛇足ながら、美容がらみのサラリーマン川柳で書き始め、締めくくる。これも「尾頭つき」の一例です。

「編集手帳」の文章術

竹内政明・著

定価:767円(税込) 発売日:2013年01月21日

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