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ホラーミステリの名手が「炭鉱」を舞台に繰り広げる濃密な世界

ホラーミステリの名手が「炭鉱」を舞台に繰り広げる濃密な世界

「本の話」編集部

『黒面の狐』 (三津田信三 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

――三津田さんの中でミステリとホラーはどのようなバランスで存在しているのでしょうか。

三津田 中高生のころは、海外の翻訳ミステリマニアでした。そのうち、すべてを論理で割り切ろうとする本格ミステリに、矛盾や物足りなさを感じるようになりました。その反動で、ミステリに近親憎悪に近い感情を覚えて、いつしかホラーに走ってました(笑)。それこそ古典からS・キングなどのモダンホラーまで、一気にのめり込んだ。ただ、そのあと泡坂妻夫さんや連城三紀彦さんがデビューされて、ミステリの魅力を再認識させられました。それからは両方とも好きなままです。

 作家としてデビューした当初は、本当に趣味で書いていました。それが6作目の『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』(2006年)で、はじめて「読者」と「商業」を意識しました(笑)。ミステリを書く作家は、僕よりすごい人が沢山いる。けど、ホラーとミステリを完全に融合させた作家は、少なくとも僕の知る限りいません。それを民俗学ネタで書けば面白いのではないか、と考えました。不条理なホラーと論理的なミステリは、もちろん水と油ですが、これなら挑戦しがいがあると思ったわけです。

 ただ、やはり最初は、なかなか受け入れられませんでした。ですから次の『凶鳥(まがとり)の如き忌むもの』(2006年)では、かなりミステリ寄りに振りました。でも、次の『首無の如き祟るもの』は、自分でもどちら寄りなのか分かりません。読者によっては、本格ミステリ寄りだという人もいれば、ホラー寄りだという人もいて。それからは色々な融合を試せるようになり、今日に至っています。

 ただし拙作の場合、「ホラーを書いて下さい」という注文が来ても、ミステリの要素が入ってしまうのは、やっぱりミステリが好きだからでしょう。逆に『黒面の狐』のように、「本格ミステリを」という執筆依頼をいただいても、ホラー要素が入ってくるのは、ホラーも大好きだからです。仮に右手がホラーで左手がミステリだとすると、両手で書いている感覚でしょうか。

――本格ミステリの場合、論理的解釈で結末がついていれば本格と認識される反面、ホラー的要素の取り入れ方が難しいのでは?

三津田 ミステリとホラーを融合しようとした場合、間違いなくホラーはミステリに負けます。どれほどホラー的な世界を展開しても、最後に論理的な解決を持ってくると、その瞬間に霧散してしまう。かといって最終的にホラーに逃げるようでは、それこそ融合の意味がない。では、どうやったら負けないで、ミステリと拮抗させられるのか? それはホラーの世界観を徹底的に作り込むことです。だから僕は『厭魅の如き憑くもの』で、無気味な因習に縛られ過ぎた架空の村を一から作りました。そこまでやると、論理的な本格ミステリの真相や結末が最後にきても、まず世界観は壊れない。必ず読者の中に残ります。ホラーに逃げては駄目だけど、ホラーが負けてもいけない。そんな気持ちがあります。

――今回は、それに、日本の戦後史の闇の部分を描くという、新たな挑戦がありました。

三津田 ホラーの舞台として興味を持って調べはじめた「炭鉱」ですが、資料を読み込むうちに、そこで生きた人々に目が行くようになりました。炭鉱で働く人々の過酷な労働の歴史から、どうしても目を背けるわけにはいかなくなったんですね。この人たちの思いを再現して、小説の中に書きたい。これは『幽女の如き怨むもの』で遊郭と遊女を取り上げたときと、まったく同じ気持ちです。エンターテイメント作家として、果たして良いのか悪いのか難しいところですが、大きな変化だと思います。

 昨今の海外ミステリは謎解きよりも、テーマの扱い方、題材の掘り下げ方に重点が置かれています。仮に彼らが日本の敗戦後の炭鉱を舞台にしたら、きっと人間ドラマに力を入れたことでしょう。でも僕は、“作り物”であるミステリと、現代史の闇の“本物”の部分、その両方を取り込みたかった。これってホラーとミステリの融合と、相通じるところがあるのかもしれません。

――最後に、読者に何か一言ください。

 刀城言耶シリーズの新作を待っている方には申し訳ないのですが、刀城言耶ファンにも満足していただける、濃い作品になっていると思います。ぜひお読み下さい。

黒面の狐
三津田信三・著

定価:本体1,800円+税 発売日:2016年09月13日

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