世界には大人もいるし子供もいる。老人もいるし、若者もいる。おなじ空間に、それぞれの時間が流れている。そのことを、無駄のない文章で、きわめて印象的に書いているのがアレクサンダル・ヘモンだと思う。「島」というこの一編は、一人の男の子が両親と一緒に、ある夏を、伯父さん夫婦の住む島で過ごす話だ。揺れる水面、日ざし、蜂蜜のびん、「ラベンダーと、蚊とりスプレーと、アイロンをかけ立ての清潔なシーツの匂い」、水がわりに噛(か)んだスイカ、「波のはにかみ気味のささやき、源のない音楽のエコー、ボートのエンジンのさえずり、子供たちの金切り声、オールが水をはね上げるシンコペーションを伴った音」。彼の見たもの、聞いたもの、温度と湿度、そして匂い。抽象的な意味ではなく徹底して具体的な意味で、子供の視点が物語を貫いている。両親も伯父夫妻も、おなじ場所でおなじことをしているのに、生きている時間は全然違う。そのことの、何ていう決定的さ加減。この世は実に重層的にできているのだ。
アイルランドの土や草や花々や木々、風や空や太陽を背景に、少女とおばあさんの共有する時間を描いた「修道者」にも、それは感じとれるはずだ。
全く趣が違うけれど、スティーヴン・ミルハウザーの「猫と鼠」もおもしろかった。ここには子供も大人も老人もでてこない。タイトル通り、猫と鼠がいるだけだ。「トムとジェリー」という漫画(そう特定されているわけではないが、どうしてもそうとしか思えない)を、きわめて厳密に文字にした一編で、この一冊のなかで、私はいちばん驚いた。言葉の持つ力、その喚起力と深み、凄み、にたじろいでしまう。こわいのだ。漫画ならちっともこわくないのに。とてもブラック。ミルハウザーの精確で緻密な文章は、ここにでてくる猫と鼠の、滑稽さや悲哀は勿論、もっと根源的な何か――ときに哲学的で、ときに絶望的でもある何か――まで容赦なく浮き彫りにしていく。
ああ、紙面が尽きてしまう。附録の漫画の幸福度にも触れたかったのに!!! ともかくこの本は、私に大きな喜びをもたらしてくれた。レベッカ・ブラウンの、いかにもレベッカ・ブラウンらしい清潔な手際の「パン」も、最後に用意されたウォルター・デ・ラ・メアの、まるでろうそくをそっとふき消すかのような、黄昏の光にも似てやさしい、繊細な一編も。
この一冊のタイトルが「昨日のように遠い日」であることも心憎い。まだ三月ですが、たぶん今年の私のベストワンです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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