- 2016.04.18
- インタビュー・対談
NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」で話題の「暮しの手帖」。伝説の編集者・花森安治とすごした日々を語る
「本の話」編集部
『花森安治の編集室 「暮しの手帖」ですごした日々』 (唐澤平吉 著)
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#随筆・エッセイ
――唐澤さんは名古屋生まれ、京都の丹波で育ち、関西大学文学部に入学されています。なぜ「暮しの手帖」編集部の入社試験を受けられたのですか?
唐澤 卒業したら出版関係の仕事をしたい、と漠然と思っていました。どこを受けようと考えた時に、自分が中身まで詳しく知っている雑誌が「暮しの手帖」だったんです。母が毎号購読していて、わたしも小学生のときから読んでいましたから。
「採用試験がないですか」と手紙を書くと、「予定はありません」という返事。その後忘れたころに「試験をすることになりました」と連絡がきました。900人以上応募があったようですが、世間知らずで単純なわたしは試験を受けたら受かるものだと、なぜか思いこんでいましたね。
――1次試験の作文が通って、上京。2次試験の面接で、初めて編集長の花森安治さんにお会いになったんですね。
唐澤 「暮しの手帖」編集部を舞台にした日活映画「私、違っているかしら」(1966)で編集長役をしていたのが宇野重吉さん。そのイメージを抱いて行ったものだから、実際の花森さんは全然違いましたね(笑)。こちらは緊張しているのに、足を投げ出して椅子にでーんと座り、志望動機や大学の専攻についての質問はほとんどなかったです。
内定をもらい、入ってから最初の2年間は修業期間。ほとんど下働きですが、今思うとこれがいい勉強になりました。最初のうちは書いた企画書や記事を「バカほどむつかしい漢字を使いやがる」「人に話すように、文章を書け」と、花森さんによく怒られましたが、だんだん文章の書き方や言葉の選び方に注意をはらうようになりました。
――その教えが「暮しの手帖」のわかりやすい文章を作っていたんですね。
唐澤 社長の大橋鎭子(しずこ)さんがよく話していたことは、戦争中勉強をしたくてもできず、学校に行けなかったような人たちでも読めて、役にたつ雑誌にしたい、ということ。「暮しの手帖」の文章の基盤にあったのは、読者への気配りでした。
――花森さんが口述筆記をさせるときの、文章の的確さに驚かれたそうですが。
唐澤 見たものをそのまま記憶して、メモする能力があったんでしょうね。1分間で100字から150字をしゃべる。だから400字の原稿だったら4分間ぐらい話せばいい、と見当をつけて始めるんですが、実際に行数ぴったりにおさまるんです。書きとらせた原稿をあとで直すことも、ほとんどない。驚いていると、「ぼくは40年近く、この仕事をやってるんだ。このくらいできなくちゃ」なんて言ってました。
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花森安治が唱えた実用文十訓
2009.10.26文春写真館
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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