誰にも親しまれ愛された中村勘三郎さんが亡くなって、もうすぐ1年になろうとしている。
去年12月5日の早朝、衝撃的な悲報がテレビから流れ、演劇界にいかに貢献した貴重な存在であったか、その成果が続々挙げられていたが、同時に浮名を流した花やかな女優さんたちの名も挙げられていた。その中の1人として太地喜和子さんの名があって、これはちょっと違うのでは、という強い思いが私にはあった。
それというのも何10年か前、若き日の中村屋が何かのきっかけから延々と喜和子さんとの出会いと別れについて語ったことがあって、これは単に浮わついた初恋の物語というよりも、人が人に出会って深く愛し、傷つくこともあって、人間として役者として大きな進歩を遂げる成長物語なのだと深い感銘を受けたからだった。
そんな折、「文藝春秋」からの依頼があったので、私はあの昔日に味わった感動を、心を静かに保ちながら亡き中村屋に語るつもりで書いてみようと決心した。
喜和子さんによって投げかけられる様々な唐突な疑問、「歌舞伎ってどうして1人が演じているときほかの人は知らん顔なの?」「あなたってしゃべるのはうまいけど、聞くのがへたなのはなぜ?」。これに戸惑いながらも、既に2歳からスターだった怖いもの知らずの若手花形はぐっと返答につまり、改めて「芝居とは」「演技とは」と、深く思いを巡らして行く。
このとき植えつけられた疑問の種子が、のちにコクーン歌舞伎や平成中村座などで歌舞伎に耳目を集めて大きな花を開かせ、やがてはニューヨークで「法界坊」の独白とか約3分の1のせりふを英語にする試みなど、さらに世界に向って飛躍を遂げようとする真っ只中での壮烈な戦死だったと思う。
この『勘三郎伝説』の中心となるところは、中村屋が人と出会っていかに多くのことを吸収していったかを追って書いたことだと言える。その中で、30歳も歳の違う作家の丸谷才一氏、17歳上の落語家古今亭志ん朝師匠、反対に22歳も年下の人気俳優市川海老蔵さん(歌舞伎界の序列では2人が対等に語り合う、なんてあり得ない)との対談を私が企画して実現できたのは、総てに意欲的な中村屋のおかげだが、本当によくぞ語っておいてくれたと思う。
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