秦郁彦さんが現代史の泰斗(たいと)であられると知ったのはつい最近である。一連の功績で菊池寛賞を受賞云々の略歴を含めた記事を購読紙の一隅に見出したのは、秦先生が近現代医学史に取組んでおられる、ついては書評を賜わりたいと、文藝春秋の編集者から唐突な電話を受けて間もなくのことだった。
思い当たる節があった。
何年か前、秦さんはご自分が受けた「虫垂切除術」の経過が思わしくない、と訴えて私に相談を持ちかけられた。
それまで秦さんとは何らの接点もなかったから驚いたが、秦さんの方は、持ち前の探究心から拙著にアッペ(appendicitis 虫垂炎)をテーマにしたものが一、二あることを突き止められ、“接点”を見出した、と思われたようだ。
一日、東京から遠路も厭わず淡路島の南のはずれまで私を訪ねて来られた。“宿痾(しゅくあ)”の如く語られる“アッペの術後愁訴”のいきさつから始まって、いつしか医療の変遷に話題が転じていた。本書でも述べておられるが、恐らくその頃既に秦さんの脳裏には本書の構想がめぐらされていたのだろう。
私との関わりについては本文に詳述しておられるので省かせて頂き、本題に入りたい。
編集者から書評の依頼を受ける少し前、図らずも私は本書のテーマに相通じる内容の話をさる集いでしていた。題して「日本の医療の昨日、今日、明日――その光と影」。
“影”即ち“日本医療史の恥部”として俎上(そじょう)に載せたのは、メッタヤタラに切りまくられた虫垂と胃、そして、欧米では女性美をいたく損なうとして早々と唾棄されていた“ハルステッド法”によって無残にも胸筋もろとも切り取られた乳房の三つである。
“光”の分野としては、胃、十二指腸潰瘍をほぼ百パーセント完治せしめるH2リセプターアンタゴニストやプロトロンビンインヒビターの開発、乳癌に対する“温存術”や“乳房再建術”の普及、“臓器移植”、更には近未来の成果が期待されるiPS細胞を主役とする“再生医療”等を取り上げた。
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