書評

本能寺三部作の完結

文: 加藤 廣 (作家)

『明智左馬助の恋』上下 (加藤廣 著)

  二〇〇五年五月。日本経済新聞社(日経)から、書き下ろしで出版した『信長の棺』に始まる本能寺三部作が、文藝春秋から文庫化され、ここに第三作『明智左馬助の恋』で完結しました。


  この三部作を書きながら、つくづく思ったのは「日本の歴史」の解釈の難しさでした。

  なにが難しかったのか?

  時代の権力者も、その事績を記録する歴史記述者も、都合の悪いことは事実を隠す、歪(ゆが)める。隠さないまでも、そっと触れないで、やり過ごす。その、どちらかの罪を犯すからです。

  これは世界共通の現象だろうと思います。

  しかし、日本の場合は、それが極端だったのではないか。

  なぜなら、ヨーロッパの場合は、ほとんどが地続きです。本当の話は、いやでも口伝えだけで他国に伝わってしまう。それに権力者の王家は、なんらかの形で他国の王族と血縁でつながっていますから、

「俺は××家の者だ」と自称する者が現れても、

「あの事件は本当はこうなのだ」と証言する者がいても、

  隣国の本当の血族から、

「ウソだあ、そんな人、居なかったぞ」とか、

「いや違う。本当は、その逆なのだ」

  と、言われれば、すぐ馬脚(ばきゃく)を現してしまいます。

  中国の場合はどうか。

  こちらは、時の権力者が、自分が踏みつぶした前の権力者の墓を掘り返し、遺骸(いがい)を鞭(むち)で打つような非情な民族です。だから、歴史のウソはすぐバレてしまう。

  こちらもウソに連続性がないのです。

  ところが日本は、そうはいかない。

  ウソが連続し、むしろ膨らんでしまう危険がある。

  なぜなら、この国の民族には、「罪を憎んで、人を憎まず」とか、「過去は水に流す」といった不思議な文化がある。

  一九八〇年代に、仕事の関係で海外の人と広く付き合ったとき、この「過去を水に流す」という言葉は、どうしても英語で説明ができず、感覚も理解されなかったので、身に染みて解(わか)ります。

  なぜ日本人は、こんなに、お人好しなのか。

  あるアラブ人に――多分に皮肉まじりに――言われたことがあります。 「日本人は、原爆を二つも落とした国と、なぜ、そんなに仲よくできるのかね?」

  恐らく日本人の、このお人好しな性格は、自然が飛び抜けて豊かで、人間に対して優しいことからくるものだと思います。

  が、人文学者ではないので、この問題には、これ以上は立ち入れません。


明智左馬助の恋 上
加藤 廣・著

定価:630円(税込) 発売日:2010年05月07日

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明智左馬助の恋 下
加藤 廣・著

定価:600円(税込) 発売日:2010年05月07日

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