- 2017.01.07
- 書評
クレと桜子の苦難の道のりに、台湾のわが家族の運命を重ねて
文:東山 彰良 (作家)
『桜子は帰ってきたか』 (麗羅 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
少々前置きが長くなったが、本作を読んでいるあいだじゅう、ずっとわたしの頭から離れなかったのが、この伯父のことだった。
物語は日中戦争終結の年、すなわち一九四五年にはじまる。当時、満州で暮らしていた日本人にしてみれば、敗戦はゆゆしき事態であった。それまで現地人の上に君臨していた支配階級だったのに、一夜にして敗戦国の民となってしまったのだから。現地人による略奪、暴行、そして進駐してきたソ連軍による非道蛮行の嵐が吹き荒れるなか、日本人同士の確執もいたるところで噴出する。主人公・クレの命の恩人とも言うべき日本人も、その正義感ゆえに同胞である関東軍将校に殺害されてしまう。朝鮮人であるクレは途方に暮れる。なんといっても、数えでまだ十九歳にしかならない少年なのだ。しかし彼は生まれ持ったその義理堅さで、殺された恩人の妻をどうにか日本へ連れ戻そうと決意する。
この妻が、そう、桜子だ。
桜子には日本に残してきた両親と息子がいる。かくして、クレは恩返しと桜子に寄せる淡い想いのため、そして桜子は我が子に会いたい一心で、混乱の満州から北朝鮮までの千キロ以上の道のりを歩きだす。そこから朝鮮半島を南下し、日本海を渡ろうというのだ。
しかし、物語は彼らの逃避行に終始しない。クレと桜子が数々の困難と危険に見舞われながら一歩一歩満州の荒れ地を踏みしめていた三十六年後、一九八一年の日本で殺人事件が発生する。それだけではない。この殺人事件には伏線がある。一九六九年に発生したもうひとつの事件とつながっているのだ。その事件とは、桜子の父親の自殺。
桜子の父親の十三回忌法要に突然クレが現れたことで、もうひとりの主人公である桜子の息子、久能真人も巧妙な陰謀に巻き込まれていく。クレにしてみれば三十六年前、ともに満州を脱出した桜子が無事に日本に帰り着いていることをたしかめたかった。が、真人の知るかぎり、母が帰国したという事実はないのだ。
果たして、桜子は帰ってきたのか? こうして、この壮大な物語は終戦直後の満州と現代の日本を股にかけ、それどころかふたつの時代が相食むようにして、うねりながら展開してゆく。
もうおわかりいただけたと思う。クレとわたしの伯父とでは、外見がまったく違う。クレは長身痩躯、わたしの伯父のほうは小柄な人だった。しかし、その温厚な人柄の奥底に、地獄を見てきたような鈍色のなにかがいつもあった。おそらく、クレもおなじであろう。その鈍色のなにかは、家族の身に危険が迫ったときには、いともたやすく守護の怪物となることをわたしは知っている。
大きい伯父さんがわたしの家族を大陸の南で守っていたほんの数年前、クレは大陸の北の果てで桜子を死守しようとしていたのである。
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